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間違い

 これではまるで兼光自身が姫の縁談を壊しでもしたような言い方だ。その態度と言い回しが北の方には不可解に思われた。


「おかしな言い方をするのですね。まるで御自分の思うままに姫を苦しめているような」


 すると兼光は一層嫌な笑いを浮かべた。


「北の方の思っておられる通りに受取って下さって結構です。中納言殿の御出世のために私は様々な手段を打ってまいりましたから。私がいなければ今の中納言殿の地位は無かったかもしれません」


「おまえの様な従者に一体何ができるというのです」


 兼光の嫌な笑いに北の方は吐き捨てるようにおっしゃった。


「何とでも。人は本気で事を成そうと思えば、なんだってできるものなのですよ。あなたの夫も高々五位の中弁でしかなかった方が、今では大納言にまで上られたではありませんか。世の中はわが身を汚す事さえ厭わなければ、色々な事ができるものなのです」


 兼光はひょうひょうと言ってのける。


「なぜ、そうまで中納言殿に肩入れするんです。お前の言い方には主人への尊敬を欠片も感じません。それなのになぜ」


「復讐ですよ。あなたさまへの」


「私はあの時、きちんと道理にならって御断りをしたはずです。大夫殿に失礼な真似などしていませんでした」


「そうですね。確かに丁重な御断りをいただきましたよ。だが、それであなたが選んだお相手はどういうお方でしたか? 五位の中弁ではありませんか。我が君はそれまでずっと、光の中の道を歩んでこられていました。それだけの才にも恵まれ、周りにも期待され、相応に努力もされた方でした。光の中を歩まれるのにこれほど相応しい方はおられないと、誰もが思っていた方でした。それがよりにもよって、ようやく五位に上がったばかりの中弁のために、あれほど望まれていたあなたに断られてしまった。この屈辱。これほどの無礼な事など我が君には無かったはずです」


「無礼ですって?」


 北の方は怒りのあまり声を荒げられた。が、周りに女房達が控えている事に気がつき、


「皆、下がっていなさい。しばらくこの者と込み入った話をしたい」


 そう言って人払いをした。


「兼光。それはあの方がわたくしに何をなさったか、知った上で言っているのですか?」


「御結婚前に我が君があなたの御帳台みちょうだいに忍ばれて来られたことですか?」


 御帳台とは高貴な方々がお休みになる周りを布で囲んだ寝具を乗せた台の事。もちろん結婚前の姫君のそこに、何人たりともはいりこむ事が許される場所ではない。そこに男君が強引に入ってこられるなど、あってはならないはずだった。それなのに兼光は何でもないように顔色も変えずに答えたのだ。


「そうよ。あんな……あれ以上の侮辱は女にとってありません。無礼なのは大夫の方ではありませんか! 私と夫はそのことでどれほど苦しみ抜いた事か。あの方は女の心にひとかけらの優しささえ無い方だった。ただ、わたくしを奪う事しか考えておられなかった」


 北の方は嫌な事を思い出したせいか、額から脂汗がにじんだ。


「それほどまでに我が君はあなたを欲しておられたのだ。その栄誉にあなたは気づかなかった。あの時あなたは確かに我が君の物になられたのです。そのまま我が君と御結婚なさるべきだった。それこそが本当の宿世だったのですから」


「そんな事はありません。あれはたちの悪い女房が……」


 北の方はハッとした。たしかあの、大夫を手引きして邸から追い出した女房は、大夫の従者と恋仲だという噂があったはず。


「まさか。あれはお前が」


「お察しの通りですよ。だがそれを狙ってのことなどではなかった。たまたま私にはそういう機会が訪れたのです。これこそ、前世からの宿世だったとは思われませんか? なにしろあなたはあの時我が君の子を宿されたのですから」


「違います! あの姫は夫の子です」すかさず北の方は言い返したが、


「私はそうは思っておりません。あの後すぐに、あなたは御結婚なさったが、それではどちらの子とも言えないでしょう。だが私は確信している。あれは我が君があなたへの想いを捧げたからこそ宿された子だと。我が君はあなたに我が君のしるしを残して、苦悩の果てに亡くなられたのだ」


「そんな事は無いわ。あの方が亡くなったのは流行病はやりやまいの熱病のため。わたくしには関係ありません」


「それでも我が君はあなたにしるしを残されたのです。それなのにあなたは姫君を育てきらなかった。我が君の子を真剣に育てる気が無かったのだ」


「無礼にも程があります! 我が子を大切にしない母親などいるものですか。あれは夫の子でした。そして私達はその子を本当に愛おしく思って育てていました。あの子を病気で失った時、わたくしたちはどれほど不幸だったか」


 すると、兼光は急に立ち上がった。その目が異様に輝いている。


「不幸? 御不幸だったのは我が君だ! 我が君の残されたしるしを、あなたは育てきれなかった。大納言殿など喜んでおられたことだろう。これで我が君に本当に勝ったと思われたに違いない。もしかすると、大納言殿がその子を呪い殺したのではないか? 我が君の残した素晴らしいしるしが、この世に栄えて行くことを恐れられたのだ!」


「お前は我が夫を侮辱するのか!」


 北の方は思わず手にしていた扇で床をパシリと叩きつけた。


「侮辱されて当然だ。あのような者、我が君に比べれば何の才もないくだらない人間だ。愛だ恋だとつまらぬ感情に振り回されて、この世に本当に素晴らしい光を与えるべきを知らぬ者が生きながらえているとは。あの方が生きておられれば間違いなく、今頃は太政大臣になられたに違いない。素晴らしい御一族を築かれたに違いない。それをお前達が壊したのだ。私は決してそのことを許すつもりはない」


 兼光はまるで熱に浮かされたように話していた。視点はどこか遠くをさまよい、その足も地についていないかのように、身体をゆらゆらと揺らしている。

 もののけだわ。この者には大夫のもののけが取り憑いているに違いない。北の方はそう思って脂汗だけではなく、今は冷や汗までも流して脅えていた。


「我が君の子はこの世に残さずに、自分たちの姫には右大臣の子を婿にする。そんな事は許すものか。あの姫にはどうあっても中納言の子の子供を産んでいただく」


「何を。何をそんなに中納言殿の御子息にこだわるのか」


 脅えながらも北の方は問わずにはいられなかった。


「お気づきにならなかったのですか? あの方も大夫で、詩吟が御上手でいらっしゃる。しかも私はあの方にあなた好みの詩の吟じ方を細かくお教えしました。宴であなたが大夫をお気に召すように。あなたもあの詩吟には魅せられたのではないですか?」


 北の方は思い出した。あの、中宮大夫も詩を吟じるのが得意だったことを。


「まさか……」


「そうです、あの方は我が君の子です。我が君が亡くなる直前に中宮付きの女房にはらませたのです。我が君は子が生まれるのを待たずに亡くなり、私は宮中勤めで暇がない母親に代わってその子を今の中納言夫妻の養子にし、従者としてその子に仕えたのです。こうしてあなたに復讐をするために。そして、今度こそ我が君のお血筋が栄えて行くのだ。他ならぬあなたの姫君によって」


「お前は、狂っているわ。お前には大夫殿の霊が取り憑いているのだわ」


 北の方は目のくらむような思いでおっしゃった。


「そうです。私は我が君に代わって、我が君の想いを成し遂げる」


「わたくしが何をしたというの? 白露になんの罪があるというの?」


 北の方はすでに兼光に向けてではなく、何か得体の知れない物に向かって話しかけていた。


「あなたが我が君を選ばなかったのが、すべての間違いなのです。そして、我が君を差し置いて栄えようとしたこと自体が間違いなのだ」


「わたくしは身に過ぎる栄華を望んだことなどありません。ただ、安らかな日々と姫の幸せを望んでいるだけなのに」


 北の方はまるで自分の運命に向かって語りかけるように言う。


「それがおかしいのですよ。高貴な身に生まれながらそのような感情や、恋情に流される。あなたの様なくだらない人間のせいで、我が君は不運の中で亡くなられたのだ。今こそその罪を思い知るがいい!」


 狂人の持つ特有のらんらんと輝く目と、気味の悪い声で兼光が言い放った。


「誰か、誰かこの者を邸から追い出して! この者の言う事など、わたくしは耳を貸さないわ!」


 北の方がそう大声で叫ばれると、女房や使用人たちが驚いて北の方の御前に参上した。兼光は使用人たちに、


「今日はもうお帰り下さいませ」と言われて邸の外に追い立てられた。


 御心を乱された北の方は床に伏して、侍女たちに介抱されながらも、


「姫は、白露だけは守らなくては。何人も姫の傍に近づけてはなりません」


 と、うわごとのように言い続けていた。

 





結婚前の姫君の寝台に忍び込んで強引にでも関係を結ぶ。

今なら完全に犯罪ですが、当時はそれでもそのまま三日間男性が通い続けてしまえば、正式な結婚として認められてしまいました。


まだ貞操観念などの思想がなく、事実婚が何より優先された時代だったのです。

女性にとっては残酷な時代ですが、だからこそ、高貴な姫は徹底的に男性から隠されたんですね。

高貴な女性にとって「自由」は、心の中にしかない時代だったのかもしれません。


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