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「何を言い出すかと思えば。それは邸勤めの女房にとっては御役目の一つ。多少なりとも愛情だって湧きますわ。人としての感情はあるのですから」


 生駒は少しホッとした。隼人が真剣に言って来るので、何か重大な事でも指摘されるのかと思ったのだ。主従関係でそういう事など良くあること。それでも自分は北の方にも姫様にも、同じ位に愛情を持っている自信がある。邸の主人たちすべてに愛情を持っている以上、それは献身の証しの様なもの。世間でも認められていることだ。


「いいや、違うと思う。あなたと大納言殿の関係は、そういうものではなくなっていると思う。少なくともあなたは生涯を大納言殿に捧げることも厭わないでしょう。あなたのすべてをこの邸に捧げる覚悟がある」


「それの何がいけないとおっしゃるの? 私は女房としての立場はわきまえております。高貴な方と同等の扱いなど望んでおりませんわ。幼いころから育ったこの邸で、一人の女房として生涯を終えたい。ただ、それだけのことです」


「その御言葉、もし、私があの男を倒した後、あなたの追いかけている相手がいなくなった後でも、おっしゃる事が出来ますか?」


 問われて生駒は思わずぎくりとした。復讐を失った時、大納言殿のあの、すがるような目が失われて御心が北の方や姫君だけに向かわれた時。自分はそれを正視出来るだろうか?


「……出来ますわ。私は北の方に育てていただき、姫様を誰よりも慕っていますから」


 そうよ。北の方は我が母も同然。姫様は私の生きがいだもの。


「その言葉に嘘は無いのでしょう。だからこそあなたは本当はとても苦しんでいらっしゃるのだ。北の方や姫君を心から慕っているだけに、大納言殿への愛は苦しい。だから復讐を言い訳にして、御自分の愛から目をそらしているんだ」


 隼人は好き勝手な事を言っている。こんな話、腹を立ててさっさと切り上げればいいのに、生駒はそれが出来なかった。心の中の泉に戸惑いの波紋がろがり、耳がひとりでに隼人の言葉を拾っているようだ。


「私の心を勝手に決め付けられるのね。あなたに私の何が分かるというんです?」


 それでも言葉にするとどうやって否定しようかと頭がめぐっていく。


「ある程度は分かりますよ。あなたが大納言殿に逢う時は、香の香りを変えることを弁の君から聞きました。大納言殿はあなたにとって特別な証拠でしょう。それにあなたは大納言殿に買われてこの邸に来たのでしょう? あなたはこの邸でかなり良い待遇の中で育った事は聞いています。出自のはっきりしないあなたへのやっかみだって聞かせれました。それでもあなたはここで愛されて育った。あなたの大納言殿への感謝は誰よりも深い物があるでしょう」


「そうよ。私は感謝しているの。つまらない勘ぐりはやめていただきたいわ」


「私もそう思いたかったです。あなたが盗賊達への連絡役などしていなければね」


 知られていた。この邸の裏の顔を。あの夜に私が出歩いていた事を知られていた以上、私と鳶丸の周辺の事は当然疑われ、調べられていたに違いない。あの夜の深追いが、すべてを隼人に知らしめてしまったんだと生駒はうろたえた。口調も荒くなる一方だ。


「それは、大納言殿に復讐の協力をしていただくためよ。私と大納言殿は契約の契りを交わしているにすぎないわ」


「何故そんな契りを交わされるのです? あなたはそんな物が無くても大納言殿のためにどんな事でもなさるだろうし、大納言殿も御自分の秘密を明かされた以上は、あなたへの協力は惜しまなかったでしょう。それでもあなたは大納言殿と深くかかわり合った。これは感謝や尊敬を超える感情があるからでしょう。あなたは命を助けられ、生きる希望を与えられ、同情を寄せて下さる相手を、愛さずにはいられないのだ」


 隼人が早口で捲し立てる。それなのに決めつけだと一蹴する事が出来ない。隼人の真剣さが生駒から抵抗する言葉を奪って行くのだ。


「なぜ、あなたにそんなことが分かるというの?」生駒は聞き返すだけで精一杯だった。


「私も同じだからです。あなたに命を救われ、生きる希望を与えられ、同情を寄せられる。そして今は憎まれ役だ。それでも私はあなたから復讐心を奪いたい。危険を取り除きたい。……あなたを愛してしまっているんです」


 はっきりと口にされてしまい、生駒は困惑した。生駒もそれを感じ取っていたから。だから隼人を恐れてしまう。隼人の目の中に自分の心を見てしまうのだ。


「それはあなたの思い込みから生まれた感情ですわ。愛ではない。あなたはあまりにも生き抜くのに過酷な場所にいらっしゃったから、幼い私の僅かな言葉にも強く反応してしまったんだわ。私にはあなたの苦しみは分からない。あなたの苦しみに比べれば、私は幸せな日々を送っているの。ここまで知られてしまっている以上、私は復讐を遂げてこの邸を出て行くわ。でも、あなたの気持には応えられない」


 何もかもが終わってしまう。生駒はそんな気持ちになっていた。この先の人生など、考える気力もなかった。


「いいえ。私は確かにあなたを愛しています。あなたが私に応えて下さらないことなど承知の上です」


 隼人の目に悲しい色が浮かんだ。


「それでも私はあなたを御救いしたい。大納言殿は決してあなたを、あなたと同じようには愛せないでしょう。それができるくらいなら、あなたは復讐を言い訳にする必要など無かったはず」


「やめて! もう聞きたくないわ」


 そう、生駒はそれを知っていた。自分は決して自分の心の火を消し去れるほどには愛されないことを。自分が苦しんだのは復讐の火ではなく、自分自身を焼き付くすしかない、叶えられぬ恋の炎だという事を。ただ、認めたくなかっただけだ。隼人は言葉を続ける。


「あなたは私を苦しんだとおっしゃいますが、それは違う。私の苦しみなど所詮、身体の痛みや見下される屈辱だけです。あなたの苦しみはもっと根深いものです。愛と献身のはざまで、北の方や姫君への感謝と情愛を胸に持ちながら、それを裏切る心に苦しんでいる。これは身体の痛みなどと比べられるものではありません」


「分かった風な事を言うのは止めて。あなたは私を苦しめるだけ。この心は救われなどしないわ」


 生駒は両手で耳を塞ごうとした。その手を隼人がつかんで言った。


「聞いて下さい。私は必ずあなたに代わって復讐を遂げて見せます。けれどあなたの心の炎を消すことはできない」


「だったら、私を放っておいて」いつの間にか生駒の目に涙がこぼれ落ちた。


「放ってはおけません。愛を救うには愛で救われるしかないんです。私の中にもあなたへの愛の火があります。あなたの火が消せぬなら、いっそその火で私を焼き焦がして下さい。あなたのためなら何度でも、私は焼かれましょう」


 隼人がそう言って生駒を抱きしめた。自分のこの火は誰にも消せない。自分自身でも消す事ができない。でも、今ここに、共に炎にまかれようとする人がいる。


「……私はあなたを愛せないわ」


 生駒の心の火が、隼人の身体に移ったように熱くなっていくのを感じながら生駒は隼人の胸の中で言う。


「知っています。私はあなたに愛されることを望むんじゃない。あなたの火が私を焦がして、少しでも救われることを望んでいるんです。あなたが大納言殿に、そう望んでいるように」


 いっそこの火が心のすべてを燃えつくしてしまえばいいのに。生駒はそんなことを思っていた。




「たった今、私をあの男の所に連れて行って。二人で仇を打ちましょう。そのまま私はここから姿を消すわ。そうすればこの邸に迷惑はかからないわ」


 夜明け前に生駒はそういったが、


「それはできないんです。実は中納言がこの邸の隙を狙って大納言殿を潰そうともくろんでいます」


「まさかあなたが」すべてを知っている隼人に気を許したことを生駒は後悔しかけたが、


「違います。その事じゃない。中納言はあの盗賊達にせっつかれているんです。盗んだ物をもっとうまく金や衣に換えられるように中納言の勢力を伸ばせと。そのために大納言殿を抱き込みたがっている。この邸に何か後ろ暗い匂いがする事も気づいているかの知れない。そのためにここの姫君と右大臣殿の御子息との結婚を壊して、中納言殿の御長男の大夫を姫の婿にするつもりだ。もともとそのつもりで中納言の御長男は求婚なさっていたのだし」


「まさか。御結婚はもう準備も整って、目前なのに」


「中納言殿は強引なお方だ。何をするか分からない。姫君の周りに用心した方がいい。誰かの手引きで大夫を姫の寝所に忍ばせないとも限らない。そのくらいのことはなさる方だ。間違ってもあなたが盗賊を追ったりなどしてはいけない。大納言殿や姫君の首を絞めることになりかねない。今夜はその御忠告も兼ねて来たのです」


「そんな」


 口では戸惑った言葉が出るが、確かにああいう輩を使うような方だ。この縁談を破談にするためなら、どんな手だって使ってもおかしくはない。


「あなたが姫君を大切に思われているように、私にとっても若君は大切な方だ。今は互いに姫君と若君が無事に結ばれることに全力を注ぎましょう。あなたなら分かって下さる筈だ。私を愛してはくださらなくても、この事を御協力してはくださいますね?」


 そうだ。若いお二人には幸せになって頂きたい。その心は私も隼人と同じだわ。


「ええ。今はとにかくお二人のために」


「安心しました。私も若君のためにも何も言いませんよ。これを『契約』などとはおっしゃらないで下さい。少なくとも私の方は、お二人が無事に結ばれれば、あなたの火に焼き殺されてもいいぐらいは、愛も覚悟も」


 ピシャリ。


 言葉より先に生駒の手が動いて、隼人の頬を叩いていた。


「やはり、契約などではない。愛していらっしゃるんじゃないですか」


 そう言って隼人は立ち去っていく。


 そうよ。あなたがそれを私に思い知らせに来たのよ。生駒はそう思いながら涙をにじませて隼人の背中を見送っていた。






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