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惨劇の夜

      由良のを渡る舟人ふなびとかぢを絶え

                ゆくへも知らぬ恋の道かな  (百人一首) 


 いつの世の事だろう? 帝が世を治められ、高貴な方々が美しい絹の衣を身にまとい、楽の調べや舞、美しい遊び事や物の哀れに心ふるわせる和歌などが詠まれ、そのような方々に従者や下男、下女、童や女房と呼ばれる侍女と言った者達が召し使われている頃があった。


 後の世の人々は「平安」と呼ぶようだが、これはそう言った頃に人の悲しさや激しさ、喜びの中を生きた人々のお話しと思ってお聞きいただきたい。



 牛車が止まり、中から美しい女君が扇をかざして建物の中に降りて行った。その横に同じくらいの年頃の女房が幼い、五つくらいの女の子の手を引いて降りようとするが、女の子は嫌がってぐずぐずしている。


「ダメですよ姫様。今日はお邸には帰れません。方違かたたがえなんですから我慢していただきます」


 姫様と呼んでいるにもかかわらず、きっぱりとした口調。この人はこの幼い姫君の乳母めのとのようだ。幼い姫君は仕方なくに車から降りる。そして一目散に母親の衣のすそにまとわりついていく。乳母は姫君に乳をやり、こまごまと世話を焼いてはくれるが姫君の母上に仕えている身なので、やはり母上の言いなりで、自分の願いを聞いてもらうためには母上の傍にいるしかない事が姫君には分かっていた。その母が許してくれなければ誰も我がままを聞いてはくれないからだ。


 乳母が到着を告げ、それをこの邸の使用人がここの女主人に告げに行く。姫君は母親の衣をしっかりと握りしめ、隠れるようにしていた。


生駒いこま、しっかりしてください。いつまでもよその御邸で御挨拶もできないようでは、お母様は心配でなりませんよ」


「ご挨拶……するの?」


 気の弱過ぎる姫は、その言葉だけで目に涙を浮かべている。女君はため息をつきながら、この邸の女主人のいらっしゃる所へ案内されていった。



「方違いで御手数をおかけします」


 明日は中天の神がこの姫君達が何事かの用で行く先に巡行される日であるらしく、その方角を避けるための「方違え」をするため、この邸に宿泊に訪れたようだ。


「いいえ。御越し下さって嬉しいわ。あら、姫君はおベソをかかれて。どうなさったの?」


 女主人は優しく生駒姫に声をかけるが、姫は恥ずかしがって母の影に隠れるばかり。女主人のお子様とも、女童めのわらわたちとでさえ御挨拶が出来ずにいる。


「困りますわ。この子は気が小さすぎて」


 母親の女君はため息交じりに姫の頭を撫でた。


「生まれた時に身体が弱かったのがいけなかったのかしら。元気に育つようにわざと『生駒』と言う名を付けたのに」


 そう言いながら娘の涙を袖で拭いてやっている。


「大丈夫ですよ。姫様はお気持ちは少し小さいところがありますが慎重ですし、もう御身体は弱くありません。きっと上品な姫様に育たれます」


 女君の横に控えていた乳母めのとがそう保証した。


「そうは言ってもねえ。少しは愛想と言うものがないと。人慣れしなくては困ります」


 すると邸の女主人が言った。


「それなら御庭を少し歩かせてあげましょう。気持ちが落ち着くでしょうし、ウチの童たちとも親しくなれるでしょう」


 そう言うと女主人は一人の童を呼び寄せる。


「隼人。お前は一番しっかり者だから、この姫君の御相手を任せるわ」


 言われた男の子は生駒より少し年上らしい、賢そうな顔だちで、


「分かりました」


 と答えると、生駒の手を引いて庭に下りて行った。



「何がそんなに怖いんだい?」


 隼人と呼ばれた少年が生駒に尋ねると、


「……怖いんじゃないの。恥ずかしい」


「どうして? 君はせっかく綺麗な子なのに」


「だって、みんな私をじろじろ見るんだもの」生駒はまだもじもじしてしまっている。


「それは君が綺麗だからだよ。綺麗な物はみんな見たがるんだ。ほら、あの紅葉を見て御覧」


 そう言われて生駒はやっと庭の様子に目をやった。築山が作られ、木々が立ち並び、その山を這うように、木々を縫うかのようにやり水が流れている。木々の紅葉は今が盛りで、これから訪れる都の寒い季節を忘れさせようとするかのように、温かそうな美しい暖色の色を青空の下に広げて見せていた。


「このお邸の御庭は秋が一番綺麗なんだ。春、花を咲かせる木よりも、秋に紅く染まる木の方が多いから。でも、桜はここも綺麗なんだ。どうだい? 綺麗だろう?」


「きれい……」生駒は思わず言葉が出た。


「だろう? 綺麗っていい事なんだ。だから恥ずかしがるなんてもったいないよ。君は姫君だからもう少し大きくなったら、外にも出れなくなるし、姿を見てももらえなくなる。もったいないよ。ほら、そこの木の下に立ってご覧よ」


 生駒は素直に少し細い紅葉の木の下にたたずんだ。


「ほうら、やっぱり。そうやってるとまるで龍田姫だ」


「龍田姫って、あの龍田川の?」


「そうだよ。『からくれないにみずくくるとは』って歌にも歌われた。龍田姫は秋の女神様だよ。とっても綺麗なんだって。袖を振ると山が染まるんだ」


「こう?」生駒は袖を振って見せる。


「いくらなんでも、君じゃ山は染められないよ」


 そう言って隼人は笑い出してしまう。でも生駒は夢中で袖を振り続けていた。


「ああ、もういいよ。笑って悪かった」隼人は生駒を制しようとしたが、


「違うの。ほら見て、綺麗よ」


 生駒は流れるやり水を見ていた。そこには和歌のように紅葉が流れ、そこに生駒が降った袖が水面に映っている。まるで袖の上を紅葉が通り抜けていくようだ。


「本当だ。綺麗だね」隼人も生駒の言葉に素直に応じていた。


 本当は隼人は他の童ともっと活発に遊びたかったのだが、この姫君の御相手をするようにここの女主人に言われていたし、この姫君は見た目ほど気弱でもなさそうだと思ったので、その日は殆んどこの生駒姫の御相手をして過ごしてしまった。




 その夜のこと。突然邸の中に怒号が飛び交った。


「盗賊だ! みんな起きろ!」


「いやあああ。盗賊よ! だれかあ」


「お方様! 姫様! お逃げ下さい!」


検非違使けびいしを! 検非違使を呼ぶんだ!」


 驚いて生駒は飛び起きた。すると闇の中で母親にすぐ、抱きかかえられてしまう。


「お母様」


「大丈夫、すぐに逃げなくては」


 女君は生駒を抱えて走りだした。普段は立ち歩くこともない女君に、生駒は思いがけずに重たかったらしく少し走ってはうずくまってしまう。すると、さっきまで聞こえていたはずの怒号が、叫び声とともに次々と消えていった。それは生駒にどうしようもない不安をもたらした。


「生駒、すがりついては駄目。走って逃げなさい」


 母は厳しくそう言いうが、生駒は動く事が出来ない。


「逃げるんじゃねえ!」


 恐ろしい声がした直後に、ざくっとした音と母が「あっ」と小さな声を上げ、そのまま動かなくなった。


「お母様? おかあ……」生駒は小さな手で母をゆするが、母は全く動かなかった。


 まさに今、生駒が泣き叫ぼうとしたところで、生駒の身体は男に抱え上げられた。紙をひねって付けた火の灯りで生駒を照らすと、


「おう、こいつは条件にピッタリだ。さっきの女童より見目がいい」


 と言う。その明りで男の顔が生駒にもはっきりと見えた。


「おい! 他にガキはいるか?」男がそう叫ぶと別の男の声で、


「こっちに一人いる」と返事があった。


「連れて来い」


 男はそう言いながら乱暴に生駒の身を離すが、袖はしっかり捕まえたままだ。


 ドンっという鈍い音に続いて、どさりと生駒の真横に誰かが倒れた。それはよく見ると隼人だった。誰かがかがり火で隼人の顔を照らす。


「男か。注文外だな。切っちまおう」


 そう言って男が太刀を振り上げるのを見て生駒は思わす隼人をかばい、立ちはだかった。


「おい、チビ、退け」男がいら立ってそう言うが、かまわず生駒は隼人にしがみついた。


 生駒にはさっき母が動かなくなった恐怖が残っていた。隼人が声も出せずに震えているのが分かった。もう誰も目の前であんなことになって欲しくない。生駒はそう思っていた。


「ちっ。グズグズしていられねえ。コイツも多少の金にはなるだろう」


 そう言って男は生駒と隼人を抱え上げるとかがり火で邸に火を付け、邸の外へと走り出した。抱えられたまま生駒は沢山の血にまみれた大人が火に巻き込まれるのを涙で揺れる目で見ていた。そして盗賊達は闇の中へと消えていった。




ここに出て来る「方違え」とは、陰陽道と言う占いから来るものです。

陰陽道の神様「天一神」は、一定のサイクルで巡行する神様。同じ方角に移動するのは恐れ多い、失礼なことなので、神の災いをさけるために事前に別の方角に宿泊し、それからあらためて目的地に向かうと言う事が行われていました。


他にこの時代は仏教が盛んで、人の運命は前世の行いにより決まっていて、今の生きざまが後世の運命を決めると信じられていました。

ただしそれも絶対ではなく、善行による功徳によって救われる事もあると考えられたようです。


そしてここに出てきたように邸には大人の女召使いの女房や使用人の他に、童、女童と言った子供も召し使われていました。

小間使いのような仕事や、主人のお子様のお相手などの仕事を年齢に合わせてしたようです。


「女君」の「君」と言うのは、高貴な方に付ける「様」のようなもの。

「男君」「女君」「~の君」と言うように使いました。


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