表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

色とりどりの傘が舞う

親父が亡くなった。嫌いで仕方がないのに、嫌いきれない親父だった。母親のように口うるさくない代わりに、「だめだ、俺の言うとおりにしろ」の一本やりで、そんな気質が時折近所付き合いにも出て、近所の人も父親を嫌っていた。

「貴君のお母さんは、本当に気性のいい人やのに、お父さんは、どうしてああ事が解らんのやろうね」

 隣のおばさんなど、遠慮もなく口にしていた。


母親を見送ったのは二年前のことだ。金がないので、僧侶は旦那寺の住職一人しか頼むことができなかった。

「ところで、貴君、今度も二年前の旦那寺の住職さんだけにするの」

「昨日住職さんに電話をしました。たぶん、これが自分の勤める最後の葬儀になるだろうと言いながら、引きうけてくれました」

 本当は、あの住職はやめておきなさいよと言いたかったのだろう。旦那寺の住職は、家族を亡くし、一人きりの生活をしている人で、だらしがなく、お経さえも飛ばし読みをして、何とも思わない住職だった。

母親の葬儀の時に83歳と聞いていたから、今年85歳のはずだ。大丈夫かなとチラリとは思ったが、まぁ、金がないのだから仕方がない。腐っても鯛は鯛というじゃないか。年取っても住職は住職さ。

 

 しかし、二年ぶりの住職との出会いは衝撃だった。住職は黒白の墨染の衣でやってきた。衣は着崩れ、その裾部分の白いところは、おおかたが何やら得体のしれない、盛りあがった茶色い染みが拡がっていた。

「泥をはね上げて、洗っていないのだよな」 

「まさか…ね。」

衣装は問題じゃない。まずは、枕経を読んでもらわねばならなかった。貴史をはじめ親類たちは父親の前で、かしこまって座った。父親の顔には白布がかけられていた。線香の匂いが漂う中、住職は新しい蝋燭に火をともし、経を読み始めた。

とうとう俺は両親とも亡くしてしまったのだなとぼんやり思う。貴史はお経の中の「南無阿弥陀仏」のところだけを住職と一緒に唱和しては、父親とこれから父親を迎えてくれるであろう仏様を想って手を合わせていた。やがて、何かが臭うような気がした。

「なんだろう」死んだ親父が臭うには少し早いと思う。集中してすんすんと匂いを嗅いだ。住職だ。住職が臭っていた。最初貴史が心配したあの匂いではないが、こもったような饐えたような匂いがしていた。きっとずっとお風呂に入っていないのだろう。貴史は少し後ろに下がりながら、枕経が読み上げられ終わるまで、さりげなくハンカチを鼻にあてていた。それから、貴史は通夜の打合せをするために会館職員事務室へ向かった。

「仏さまより、あのご住職に匂い消しを使いたい」

 会館女子職員が真顔でささやいていた。貴史は目をしょぼしょぼさせて、事務室のドアをノックした。


衝撃は続いた。通夜式に住職があらわれた時、その手には僧侶の持つ檜扇ではなくどこかの菓子店舗の紙袋が提げられていた。

「ホームレスじゃないだろう」

貴史の呻きも知らず、住職はすました顔で紙袋を自分の足元に置く。

通夜式が始まった。読経の声は高齢のためか、時にかすれたりする。しかし、その内だれが聞いても、「あーうー」としか聞こえなくなった。そして、祭壇の前の住職が前のめりになり、何やらごそごそとし始めた。最前列の貴史にはその様子がよく見えた。紙袋を探っている。取りだしているのは紙切れだ。どうやらお経のカンニングペーパのようだった。

その後も、しばらく読経しては、又「あーう―」が始まる。そして住職がごそごそと紙袋を探るという繰り返しだった。貴史の握るハンカチは涙よりも掌の汗でぐっしょりとしていた。ようやく読経を終えると住職はさっと紙切れを紙袋に戻し、立ちあがった。そこで、通夜式のアナウンスが入る。

「最後にご住職と合わせての合掌をお願いいたします。合掌」

 紙袋を手に持つ住職は片手で合掌をした。これにて、ごめん。とばかりに。


 通夜の間中、親類は住職の話で持ち切りだった。

「さすがにあれでは、死んだ人がうかばれんだろう」

「明日、別のご導師様をお願いしたらどうかしら」

「それにしても、ひどすぎる」

おかげで、死んだお前の親父はという話も聞く事もなかった。今更、別のご導師なんて頼めるはずもない。それに、嫌われ者だった父親とあきれはてた僧侶。皮肉な気持ちも交じっていたが、似つかわしい取り合わせだと思った。

「住職、明日の葬式にはお母さんの時に着ておられた緑の袈裟でお願いしますよ。紙袋も控え室に置いてきてくださいね」

 住職を見送りがてら、伝えることは伝えた。

しかし、と貴史は思った。あの住職、最後はまともなことを喋ったよな。若い自分が住職に注文ばかりつけるのも気が引けて、

「嫌いな父親でも、亡くなると少し寂しいですね」

と、しんみりしてみせると、

「親は生きているだけで、子供の傘になっているものだ」と答えたのだ。


父親が亡くなってから貴史はまだ泣けないでいた。父親とはその死をいたみ、泣くほど感情が通っていなかった。「親は生きているだけで子供に傘をひろげているのか」とぼんやり考えていると、会館職員があわてた様子で入ってきた。

「あの、住職控え室にこんなものが」

 貴史は思わず立ちあがった。まだ戒名の書かれていない位牌が二つに折れていた。位牌は土台になる部分と戒名を書くところが差し込み式になっている。住職が差し込みに失敗して、子供がやるように椅子の下に隠して帰ったらしい。


「大丈夫です。明日、葬儀の前に必ず書いてもらいますので、かわりの用意だけをお願いします」

 貴史は平静を装って言った。職員が出て行き、親族達と貴史は目を合わせた。そして、どっと、皆が笑い出した。

「こんなむちゃくちゃな住職は聞いたことも無い。毒は毒をもって制す。ワシ達、こんな腹をかかえて、笑って親父さんを送ってやれるとは思わなんだ。かえって、これはいい葬式じゃないか」

 確かにそのとおりだ。どこの誰が笑って見送られる葬式などしてもらえるだろう。親父にしては上等すぎる。誰かが一言いうごとに皆で涙がでるほど笑った。悲しくておかしくて笑った。涙で祭壇が滲む。住職の言葉が頭の中でぐるぐる回る。いろんな色の傘が回ってかぶさり合い、混じり合っているのが見える様な気がした。親父の傘はたたまれた。それだけのことだ。


 その後の葬儀の時の住職も相変わらずだった。参列客はさぞ驚き、あきれたことだろう。それでも貴史は住職との別れ際、心を込めてお礼を言った。


「ありがとうございました。お体をどうぞお大事に」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 笑いました。面白いお坊さんと、「死んだ親父がにおうのには少し早いと思う」に。 80過ぎても住職やってるなんて、きっとこのお坊さんは、けっこうこの仕事気にいってるんじゃないかと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ