結局私は帰れない?
パーティー会場から出た私達は、すぐさま馬車に乗り込み魔王城へ帰った。流れる景色など見る気もおきず……私は、しばらく意気消失し無言で手のひらを見つめていた。
……魔王様の逆鱗に触れてしまった、あの親子。あれに心配はしていないが――私は、来賓客のほうが気になっている。魔王様の調教タイムを目の当たりにしたのだ……おそらくその者達の精神は、全治一生掛かっても治りはしないだろう。一時期魔王城でも、アレを見たメイドや兵士が忽然と消えてしまったほど。まあ、厳密に言えば“逃げられた”とも言う。
そのため次魔王城にて働いてくれるような人を……私達は一年中探さねばならないのである。少しでも魔王様の印象をよくしようと、アレコレ手を回し努力して。主に私と宰相様が、ですけど。……しかし、今日の一件でそれも水の泡だろう。まさに鶴の一声だった。
「なんだ、辛気くさいやつめが」
「……私と宰相様が手塩にかけた全知全能なる完ぺき大作戦、“ザ・おいでよ魔王城!”がぶっつぶされたんですよ……魔王様の笑い声で」
「ふはは、笑い声で簡単に壊れるのか。案外脆いのだな、まるで一番目の子豚の家のようだ」
「むしろ三番目の子豚もびっくりな破壊力ですぅぅうう!」
私はわっと泣き出した。
「ふん、よいではないか。これでしばらく愚かな部下が増えんで済む」
「そして私達が不眠不休で働く、と……」
魔王様は愉快そうに笑った。ああもうホント、次からはどうやって働いてくれるお方を探そう? 宰相様は政治の事に限らず、アレコレ忙しいから働き手を探しには行けないし……かといえ私だって魔王様のお世話がある。あ、間違えました。私は魔王様の暇つぶし相手というポジションです。泣きたい。
とにかくだ。この状況をなんとか打破せねば……いずれ、魔王城には私と宰相様だけしかいなくなってしまうだろう。そしたら身の破滅だ。
「ところでレフティ」
「……なんですか」
「貴様そういえば武術を習いたいと言っていたな?」
「なにを唐突に……私そんなことこれっぽっちも――」
「言っていたな?」
「――言って、ますん」
ものすごく曖昧な肯定になってしまったが、有無を言わせない魔王様の雰囲気により否定は断念。魔王様は満足げに頷きながら、「良い事を思い付いたのだが」と呟き、徐に懐から地図を取り出した。裏には人間界の地図と、表には魔界の地図が描かれた貴重な代物だ。ああ、嫌な予感しかしない。
魔王様は地図を広げ、魔界の方を私に見せる。魔王様は「このまま帰るとシックスから仕事を回される。逃れるためにここへ行くぞ」と、綺麗な指に指した。その場所――そこは、たしか“戦闘の地”とも呼ばれる、名の通り武術や剣術に長けているお国の一つだ。
……仕事から逃げようとしている。しかも私をだしに使って。
「英雄ベッフェの地、戦闘の地、戦狂乱の溜まり場――呼び方は色々あったが、それはまぁどうでもよい。我が輩も肩慣らしに行きたいのだ」
「ここを荒れ地にするつもりですか!?」
「失礼な奴だな、絞められたいのか」
「ぐっ……! もう絞めてます……!!」
「おっと。ふはは、気付かなかった。……なんにせよ、貴様の武術向上のためだ。もちろん我が輩とて全力など出さん」
当たり前でしょう! とは口に出さなかったものの、充分その気持ちは伝わっただろう。魔王様はニヤリと笑いながら、依然として私の返事を待っていた。
まったくもう。どうせ行くと決定していらっしゃるくせに。
「決定だな」
「はあ……魔王様とあろう者が呑気に旅をするだなんて……」
「呑気だと? つくづく貴様は失礼だな、これは視察も兼ねてだ。……魔王城で働く、勇気のある奴がいるかもしれんからな。我が輩は必要ないとは思うが」
魔王様はそこまで言うと、ふいっと顔を背けた。ようやくそれで、私はその意味を理解する。……何だかんだ言っても、やはり魔王様は魔王様だ。何処までも厳しく、どこまでも優しい。そういう優しさを、もうちょっとだけ多く出してくれても……いてて、無理なようだ。
「それにしても魔王様、英雄ベッフェって何者なんですか?」
「む、知らんのか」
「いえ……あの地を有名にした方、というのは存じています。ただなんで“英雄”なのかな、と。魔族に英雄だなんて、少しおかしくありませんか?」
「ふむ」
魔王様は頷き、教えてくれた。
「英雄ベッフェ。ベッフェ・ルイソンと言うのだが、奴は以前人間だった。人間から、魔族になったのだ」
「……え? 人間から魔族に!?」
「そうだ。奴は生前の頃、かの魔王ウィルの生まれ変わりと戦友であった。かの魔王もまた誰にも負けないほど強かったが、唯一負けた事がある相手が……」
「ベッフェ・ルイソン、ですか?」
「その通りだ。魔王に勝つ人間の愚か者、侮辱でもあるが、その光栄を称えられて“英雄”と名付けられたのだ」
「……で、人間から魔族になったとは、どういう?」
私が一番知りたいのは、そこだ。もし人間が魔族になどなれると言うならば、それは世界を揺るがすほどの大ニュースである。力欲しさに人間達がこぞって集まってくるであろう。しかし、そんな事初めて聞いた。
魔王様は、首を傾げながら不思議そうにする私を見て、言った。
「知らんのも無理はない。魔王にしか受け継ぐ事の出来ん、世界レベルの貴重な情報だからな。バレたら殺さねばならん」
「ぶっ!! ちょ、なんちゅー事実を言っちゃうんですか!」
「ふははは。夜道には気を付けるがよい」
「きゃー!」
素直に悲鳴をあげておく私。
「こんな情報があるのも、また“かの魔王様のため”……だな」
「?」
「……かの魔王が生まれ変わった時、愛しい人が人間だったら? 見つけられたのに人間だったからと、またとやかく問題が発生するだろう。しかもだ、もしその時再び“魔王”であったなら?」
「……ああ、魔王様は強い魔族の女性としかご結婚出来ませんものね」
そう、だから私はダメなのだ。人間で、魔王様が魔王だから。……まあ、想っているのが私だけというのが切ないけれど。
その事に、私は地味にショックを受ける。
「人間を魔族に――その情報は知っていても、我が輩にはその“方法”は知らぬ。戦闘の地にあると聞く。かの魔王も、方法だけは知らなんだ。それが必要となった時教えよう、と濁されたらしいが。それをちょいと調べて貴様を試しにやってみようと思ってな」
「はあ…………………………………………はあ!?」
つい叫ぶ。
五月蠅かったのか殴られた。痛い。
「ちょ……! わた、私をですか!?」
「異論は認めぬ。決定事項だ。面白そうだろう、貴様も魔族になれるのだぞ? 魔族は長命だからな……そしたら、貴様を永遠とこき使ってやる」
「うわっ、心から魔族になりたくないと初めて思いました! ……じゃなくて、そんなことしたらどうなるか! 世界レベルの秘密なのではなかったんですか!? も、もしバレたら――!」
魔王様は、まさに“魔王”を名乗るかのような悪い笑みを浮かべ――冷酷に呟く。「そしたら荒れ地にするまで」、と。
……恐ろしい。恐ろしすぎるよ、魔王様。それを出来てしまいそうだからこそ、本当に恐ろしい。なんとかしてくださいませ、魔王ウィル様。ここに真の悪がいます。いやでも、魔族だしそれもアリなのか? んなわけがない。
――魔王様は、「我が輩より特別視されるかの魔王など不愉快だ。もちろん英雄殿も。あの地を徹底的に調教してやらんとな」なんて不気味な言葉を零しながら、とても楽しそうに笑っている。それを見て私は顔面蒼白。
やばい、やばいよコレ。このままでは、第二の魔王城が出来上がってしまう――! 戦闘の地が、恐怖と断末魔のワンダーランドになってしまうなんて! なんという地獄絵図だ。
私の頭で恐ろしい想像が繰り広げられる中、きっと逆に魔王様の中では最高の調教タイムが繰り広げられているのだろう……ああ、末恐ろしや。再び魔王様の哄笑が響き渡ってしまうのだろうか。まさに人類滅亡! 世界の危機だ!
……なんて、好き勝手に悪口を叩くから、私は脳天に拳骨を食らうのである。
「私の貴重な脳細胞達がぁぁああああ……!」
「ふん。貴様の頭には味噌しか詰まっておらんだろうに。……む、そう思うとやけに味が気になるな。どれ」
「ぎゃぁああっ! 私の味噌ほどゲロの味がするものはないと思いますぅぅうううう!!」
しばらく馬車の中でジタバタと騒いだり暴れたりをする私達――いや、正確には私一人。馬車を引いてくれる馬さんやロームファクター大公様の部下にとって、とても申し訳ない話である。
――魔王様は私の味噌の味を確かめる事を諦めたあと、窓から身を乗り出して、馬車を戦闘の地に向かうようにと指示された。早く魔王城に帰りたいと思う反面、私は少しだけ興味を示していた。武術を習う事ではなく、“魔族”になれる方法に――だ。もしそれが本当に可能ならば、私は……。いや、過度な期待はすまい。ただ、願う事ならば。
……私は、魔族にりたい、と思う。そして、それで魔王様と結ばれなかったとしても、魔王様がいつか来る寿命とともに――私も散ってゆきたいな、なんて。
「……あるでしょうか」
「? なにがだ」
「あ……。いえ、その……」
「……魔族になる方法、か? ふん、愚問だな。我が輩がわざわざ探すのだ、あるに決まっている」
「もしも、なかったら……?」
その質問に、それでも魔王様は鼻で笑う。
「なかったらだと? 馬鹿者め、あるのだ。我が輩があると言ったのだからな。それでも、もしないと言うならば――作り出すまで」
自信たっぷりに――迷いなく、魔王様は断言をした。それに私が疑うはずもなく。この人なら絶対に実現出来る……そう思わせた。いや、確信をした。
それが、魔王様だ。
「……さて、武術とはいえ様々な格闘技がある。異国に伝わるプロレス然り、柔道、テコンドー、ボクシング、合気道、空手。しかし我が輩が気になっているのは――」
「?」
「パルクール。これは本音、魔族にはあまり意味のない物だが……人間にとってはよいトレーニング方法だと聞く」
「パルクール……聞き慣れない言葉ですね。それも異国の格闘技なのでしょうか?」
魔王様は「いや」、と否定をして……説明する。
「パルクールは、格闘技ではない。先ほど言った通りトレーニング方法だ」
「はあ……トレーニング方法、ですか」
「人間が魔族のように俊敏に、かつ行動出来るようになるというトレーニングらしい。――バランス、体力、忍耐力、空間認識力など、それらを鍛え上げるため道具を一切使わず、自身の身体だけでその環境を利用し、走り、跳び、登る。それがパルクールだ」
魔王様はそう言ったあと、遠目に見える住宅を指差した。私は疑問符を浮かべながらも、その指を指された方向を伺う。
……普通の家だ。普通とはいっても、それなりに身分がよい方が住んでいそうな家ではあったが。二階建ての、極めて横に長い家。私がそれを見たのを確認してから、魔王様は言った。
「貴様、あのてっぺんから飛び降りて、着地は出来るか?」
「いやいやいや! 無理です勘弁して下さい!」
「誰も“まだ”やれとは言っていないだろう。仮定の話だ」
「“まだ”を強調しておきながらですか!?」
明らかにやらせる気満々じゃないですか!
「まあ、出来んだろう。人間には」
「そりゃあ。落ちるだけなら出来ますが、魔族のようになんの怪我もなくは……さすがに」
「だろうな。が、しかし、パルクールと呼ばれるトレーニングを受けた人間には……それが出来る」
「……え? 怪我もなく、ですか?」
「もちろんだとも。一度見たのだから間違いはない。それに、あの家とあの家の間……ふむ、二メートルはあるだろうが――アレも飛び越える事が出来るであろう。しかも梯子もなく、少しの出っ張りを利用して壁を登って行く事も出来る」
「えええ?」
私はさすがに信じられなくて、魔王様を疑いのまなざしで見つめた。……それが気に食わなかったのだろう。魔王様はモデル顔負けのスラリとした足で、私の、弁慶の泣き所を蹴りあげる。さすがに言葉もなく悶絶する私である。
プルプルして足を抱える私を愉快そうに眺めてから、魔王様は続けるように言葉を紡ぐ。
「そのトレーニングの中で一番向上されるのは、おそらく“勇気”だろう。もちろん勇気だけではどうにもならん。繰り返すが、パルクールとはバランスと体力、忍耐力、そして空間認識力がとても重要なのだ」
「あの……空間認識力、とは?」
「ふむ、良い質問だな。空間認識力――つまり、咄嗟に“何を判断出来るか”という事だ。その判断したものを実行するのが“勇気”であり、実行するために“回りをよく見る”――空間を認識するのだ」
空間を認識する。自然にある様々なものを扱い、自身の身体一つで危険を乗り越える。……それが、パルクール。環境を利用し、走り、跳び、登るのである。
魔王様は――どうやら、私にそれを習わせたいようだ。そんなに私を人外にしたいのだろうか。すでに人外だというのに。魔王様に関わっている時点で。
「――まあ、貴様にはまずそれをやってもらわねばな」
「……? ま、まず?」
「おや? この我が輩が、まさか貴様に一つだけしか習わせない……と?」
「…………ですよね」
わかりきっていた。わかりきっていたからこそ、無視をしていた。いわゆる、現実逃避である。
「ふうむ、パルクールを覚えたらいったいなにをさせようか。希望はあるか?」
「い、いえ……武術というかそれ以前に、私は戦いとはまったく無縁なので。あ、忍耐と勇気には絶対の自信はありますが」
魔王様のおかげて。むしろ魔王様のせいで、とも言う。
抓られた。
「困ったな……」
「オススメとかはないのですか?」
「……オススメ、か。我が輩も別にそれを“完全に”習得してるわけではないのだ。知らんでも我が輩は強いからな」
「たしかに。……ぐぼはぁっ! なっ何故褒めたのに!?」
「ふん、気分だ」
「気分でみぞおち!!」
ここは急所なんですよ! ダメ、ゼッタイ!
「噂では――というか、実際の話なのだが」
「はい?」
「我が輩達が必要なのは戦のため……しかし、喧嘩で有利だという武術はどれなのかは知っている」
「え。どれが有利なのかなんてあるんでしょうか? 使用次第ではどれも有利になるのでは……」
「もちろん、技量もあるだろう。しかし、やはり有利な武術というものは必ずある――それが、柔道だ」
私は首を傾げた。
柔道なら、私も実際使われているのを見た事がある――が、どう考えてもアレが有利だとは思えない。何故なら、アレは殆ど投げ技か蹴り技しかなく、他の武術と違って技の種類が少ない……ように見える、のだが。しかし魔王様は柔道が一番有利だと言う。
私は断然ボクシングの方が強いと思うのだが……だって足と手の両方が扱え、尚且つ威力は壮大だ。パンチなんてとくに、一撃でも食らえば普通の人は即アウトだろう。いや、一撃はやり過ごせても二撃目入れば完全に終わる。それだけ強い。
……だが。そう言った私の言葉に、魔王様は口角をあげ、言った。
「どの武術も隙を狙うのが、当たり前だ。そしてその隙を一度でも、柔道を扱う者に見せたら――その得意の“投げ技”で負ける」
「えっ! ……投げ技で、ですか?」
私はイマイチ理解が出来ずに、頭を悩ませた。
たしかに投げられたら痛いだろう。だが……言ってしまえば、“投げられただけ”のようにも感じるのだが。ただ地面に叩き付けられるだけ。
「そう、叩き付けられるだけ」
――魔王様は、言った。
「その叩き付けられるだけが、一番のダメージなのだ」
「?」
「その頭でも考えればわかるだろう。石ばかりある硬い土に叩き付けられてみろ、壮絶な痛みだろうな」
「――!」
「そう、痛いのだ。かなりな。ボクシングもまた、最強と言えるだろう。だが戦いとなればどちらが有利なのか? ……柔道だ。ボクシングで二度攻撃が当たればいい、だが避けられたら? 一度避けられればもう後はない。後は……地面に真っ逆様、だ」
「痛い……ですよね、かなり」
「だろうな、頭を打つ可能性もあるわけだから。……まあ、それを扱う者の力にもよるだろうが。しかもだ、柔道は掴む部分があれば誰だって投げ飛ばすのができる」
「……それ、誰でもいいという事では?」
「だいたいな。さすがに鎧を相手には難しいだろうが、このご時世鎧なんぞもうとっくに廃れておるだろう。動きにくいし、隙間に剣を入れられたら一瞬で死ぬ。実質上は――中でも一番勝手のよい武術であろう」
私は納得する。
そうか、隙なのか。どれが強い攻撃力を持っているか――ではなく。どれが一番隙を狙い相手を倒せるのか、だ。
その事に、私は軽い衝撃を受けた。戦いとは奥が深い。
そして、それを知っている魔王様は何処から仕入れて誰に試したのか、恐ろしく感じた――。