今日は一段と機嫌が悪くないですか?
――天気の良い暖かい春の日。今日も魔王城では、不幸な少女……私、レフティの悲鳴が響き渡っていた。
理由は言わずもがな、魔王様に原因がある。
「ふはははは! よいぞよいぞ! さあ、もっとやるのだケルベロス」
「ケルベロス!? 頭が一つしかなくて二足歩行をする剣を振り回したこの犬が、ケルベロス!?」
魔王城のとある一室――主に鍛練の場として使われているこの広い部屋は、魔王城をお守りする兵士達の日々腕を磨く神聖な場だ。そんな大切な場所の一角を陣取って楽しんでいる魔王様は……愛犬ケルベロスを、愉快そうに応援していた。
私? 私はその遊び相手として、木刀をもったまま逃げ回っています。向こうは真剣、こっちは木の剣。そこからまず物申す! ……不憫そうに見つめる兵士達の視線を感じながら、私は涙した。いや、もうホント、見てないで誰か助けて下さい。
――魔王様に寵愛を受けてらっしゃるこの犬っころ、見た目は完全に犬なのだが、猫舌で二足歩行でしかも器用に剣を振り回すといった、どう考えてもあり得ない噂を持っている。いや、猫舌以外噂ではなくなった。だって今まさに私の目の前でやってらっしゃるのだから。ぐすん。
「ほらレフティ、逃げてばかりではなく戦わんか! 実につまらんぞ」
「つまらんで済みますかぁ!! 気を抜いたらつまらん生涯で終わります!」
これ状態じゃなくて、ホントです。だが避けたり逃げる事だけに関しては超一流の私だって、負けてはいません。鍛練中の兵士様達が感心するほどですから。
「それ! 今だ! 行けケルベロス!!」
「うわーん! 宰相様物陰でチラ見してないで助けて下さいよーう!!」
唯一の頼みの綱は、魔王様をギリギリなだめる事のできる、宰相様だけ。しかし宰相様は剣技がお嫌いなので、ぶっちゃけ望みは薄い。さようなら人生、こんにちは永眠。一人絶望感に打ちのめされていた私は、天国へ行けますように……と願いをこめる。しかし神様は、やはり私を見捨てなかった。
突如、私と犬っころの間に現れた――マントを羽織った一つの影。長い黒髪を靡かせたその人は、優雅な剣さばきで犬っころの剣を弾き、ひと蹴り入れて気絶させ、これまた優雅にそして滑らかな動きで……私を抱えあげた。いわゆる、お姫様抱っこというやつである。
私は目をパチクリとさせ、その人を見る。魔王様とまったく同じの髪に、真紅の瞳、スラリと丈に長く、細い肢体、そして顔。だけど魔王様とは違い優しさ溢れた雰囲気を醸し出すこの人は……。
「ロームファクター大公様!?」
この人は、ここから少し離れたロームファクター地方の領主――魔王陛下の、双子の実弟である。そんな方に抱きあげられながら……私は今、カチカチに固まっていた。固まりながら、その優しげな瞳に見惚れている。
……ああ、同じ顔なのに、何故こうも性格が違うものなのか。それにロームファクター大公様は、なんて優しい香りを放つのだろう。しかもだ、その甘く蕩けるような熱視線で見つめられては、さすがに私も心が揺らぐというかなんというか。あ、やべっ、鼻血が。しかしそれを出さないのが乙女である。
必死に己と戦う私を見てか、ロームファクター大公様は少しおかしそうに笑った。
「やあ、レフティちゃん。今日も面白いね」
「あ、ありがとうございます……!」
「……おい、この愚弟。さっさと我が輩の下僕を離さんか」
「やれやれ……兄さんも相変わらずだね、まったく」
「ふん。それより、わざわざこんな所まで来て何用だ?」
魔王様は実の弟――ロームファクター大公様を氷点下の視線で睨み付けながら、腕を組んで仁王立ちをした。それだけでも、楽しさを邪魔されて憤慨なさっているのがわかり、私としてはこの世の終わりのような心境なのだが……さすがと言うべきか、ロームファクター大公様はちっとも動じてらっしゃらない。
むしろ、兄が不機嫌そうなのをわかっていても、ちっとも気にしてないようだ。仮にも魔王様の半身、肝が据わっていらっしゃる。
「いえね、今日はちょっとレフティちゃんに用があって」
「え、私ですか?」
「ええ、そうです」
ロームファクター大公様は、魔王様と私に見事な切り替えして敬語と通常語を使い分けていらっしゃる。そんな所にも私は惚れ惚れとした。だって魔王様は常に“見下し語”なんですもの。ハハハ。おっと、氷点下の睨みの矛先がこちらに回って来た。
「……っとと、ごめんなさい。これ以上は僕でも触れていられなさそうだ」
「あっ! す、すみません……」
「謝る事はありませんよ、ただ僕が貧弱な魔力だから悪いのです」
くっ……ああ!
なんて紳士! なんて温和! なんてお心の広い……!! 見れば見るほど――いえ、知れば知るほど違いがまざまざと出ていらっしゃる。最初は顔が同じだけに私は最初警戒心満天に接してしまっていたのだが、もう本当に過去の自分が恥ずかしい。人は見た目じゃありませんね。たとえどれだけ性悪マジキチ魔王様に似ていようが、やはり中身は違うのです。
きっと神様は、この双子様の性格の比率を間違えてしまったのでしょう。間違いなく王たる性格はロームファクター大公様で、力は現魔王様だ。……偏った見方ならば、魔王様も別の意味で最高なんでしょうが。ええ、性格が悪い人ナンバーワン、という意味で。
しみじみそう思った私に魔王様はなおも見透かしたように睨み付けてらっしゃいましたが、今だけは言わせて下さい。ロームファクター大公様ばんざーい!
「で、その折り入った頼みなのですが」
「あっ、はい! 私に出来る事ならば、なんでもいたします!」
「ありがとう。……実は、僕の妻であるユリフェルナが、最近魔力の堪りすぎで身体を壊してしまってるんだ。妻は元から身体が弱いので、魔法をうまく扱う事が出来ず、このままでは魔力が溜まってより身体を悪くしてしまう……どうかレフティちゃんの力で、なんとかしていただけないだろうか」
ユリフェルナ・ロームファクター様――元々ロームファクターの領主だった方の一人娘で、噂を聞くとそれはもう見目麗しい淑女なのだとか。そんなユリフェルナ様に惚れ抜いた現ロームファクター大公様、つまり魔王様の実弟様は、家柄を捨て彼女と結ばれたのである。
私も一度ユリフェルナ様とお話しをしたことがあったのですが、噂に違わぬ美しい女性でいらっしゃいました。横でニコニコしている大公様と見比べて、本当にお似合いだと思ったものだ。しかし彼女のいうところ、「魔王様は確かに性格が破壊的に見えますが、素直に表へ出されている分、とても好感が持てますわ」とおっしゃられていた。
あまり意味が介せなかったものの、彼女なりの褒め言葉なのだろうと思った。……そういえばあの後、ロームファクター大公様と部屋に籠ったきり小一時間くらい顔を見ていない。
「ピュアブラックー!」と、ユリフェルナ様の叫び声が聞こえたが……ふむ、ロームファクター大公様は以上にお肌がツヤツヤして満足顔をしてらっしゃったので、喧嘩をしていたわけではなさそうだ。やはり仲がよろしいのですね。
――私は、もちろんお引き受けしますと言いながら頷いた。ユリフェルナ様には以前クマのヌイグルミを送って下さったお礼もまだ直接言えていませんし、断る理由は皆無です。
「よかった……本当にありがとう」
「いえ、こちらこそお役に立てれて光栄です!」
「――ふん。勝手に話を進めおって。まぁいい、ちょうどそちらの地方に用事があった。我が輩も行こう」
「兄さんも? 大丈夫だよ、レフティちゃんは僕にまかせて。兄さんがいたら邪魔……じゃなくて、邪魔なんだ」
「わざわざ言い直すなこの天然の腹グロめ。我が輩の下僕を嫉妬させるダシに使うな」
魔王様はこれでもかと言うほどの魔力を駄々漏れさせて、実弟のロームファクター大公様に敵意を向けた。ああ、仲がいいんだか悪いんだか。見ているこちらとしてはとても心臓に悪い。そして魔力がチクチクと痛い。
「ほら、兄さん。そろそろ魔力をしまって。みんなだいぶ身体が重そうだ」
「ふん」
「まったく……それじゃあレフティちゃん、明日の朝迎えに来るよ」
そう言うやいなや、ロームファクター大公様は黒い霧に包まれ、忽然とその姿を消してしまった。やはり魔王様の実弟……私を数分抱える事が出来るだけはある。それを言うと魔王様はなんて規格外なんでしょう。だって私を抱き締めながら寝てしまうぐらいなんですもの。
いつまでもロームファクター大公様の去ってしまったその場を眺めながら、私はふと思う。
……もし、もしだけど。私が魔王様以外の人を好きになれるとして、そして付き合えたとして、私は……その人と幸せになれるのだろうか? 触れもしない、そんな私と。そして、結婚してもどうやって子を宿すと言うのだろう。そう思ったら――なんだか無性に、寂しくなった。
「――レフティ」
「! ……魔王様?」
魔王様が私の後ろから方腕をのばし、首に回す。これが両腕ならば、抱き締められているような風景になっただろう。そんな切ない夢を脳内に浮かべてしまった私は、少し苦笑する。
私の首に腕を回したままの魔王様は、それを上から見下ろしながら……言った。
「不倫だけは認めん」
「……はい?」
「しかもアイツだけは言語道断。貴様はわかっていないだろうが、仮にもアレは我が輩の弟だ。普通の性格を持って生まれるわけがなかろう」
一瞬なにをおっしゃっているのかわからなかったが、どうやら魔王様は私がロームファクター様に想いを寄せていると勘違いしているらしい。間違ってもそんなことだけはないのに。……どれだけ似てようと、魔王様とは全然違うのだから。
私は笑って、否定しようとした――が、それは魔王様が言った言葉に砕かれてしまう。心、もろとも。
「……貴様は、普通の人間とともに歩み、結ばれろ。それが一番の幸せで、一番望ましいことだ」
「あ――」
「安心しろ、いずれ我が輩が貴様のその奇妙な体質を打ち消してやる。我が輩に出来ぬ事はない」
他の人間と。それは……魔王様と、結ばれる夢は見ていけない、ということだ。それが一番幸せで――魔王様も、それを望んでいらっしゃる。
……本当に、お優しい。そして残酷だ。私に他の人を想えなどと、無理に決まっているのに。しかしそれはわかっていた事なのだ。私は、魔王様と結ばれる事は絶対にない。私が人間で、魔王様が魔族だから。もし魔王様が魔王でなければ、私が人間でなく魔族だったならば。……そう思ったらきりがない。
きっと、この力が消えてしまう時。それはつまり私は魔王様にとって、必要のない存在になるということなのだろう。私は……魔王様の側にいられなくなる。
――それでも、私は。
「私は魔王様の下僕です。これから私の生涯はすべて魔王様のもので、魔王様の側を離れる事はございません」
「……」
「魔王様、私の忠誠は魔王様だけにございます。たとえどれだけ性格が歪んでらっしゃっても、鬼畜でも、外道でも……私は魔王様をお慕いしておりますので」
そう言って、私は悪戯っぽく笑った。
これから先、魔王様がアイリーン様とご結婚してしまったとしましょう。そして子供が生まれたとして。私は多分アイリーン様を母のように慕い、子を、自分の娘のように思いましょう。大切な方の妻と子を、私は命懸けで守ると誓います。……もちろん、優先順位は魔王様が上ですが。
「……ふん」
魔王様は鼻でそう笑って、もう片方の腕で私の腰に手を回しました。そして、首にあった方も腰に回し、力強く抱き締めて――。
「下僕の癖に生意気なやつめ!」
「スープレックスだとぉぉおお!?」
解説しよう。スープレックスとは、プロレスという異国に伝わる格闘技の投げ技の名の一つである。スープレックスという言葉の前に様々な言葉をつけている場合があるが、基本、後方から相手を掴みあげ背中を反るようにして持ち上げたまま投げ飛ばすのを、一纏めにスープレックスと呼んでいる、らしい。
これを食らったものはしばらく頭と首回りの激痛に悶える事になるであろう。解説終了。うわぁああああん痛いよぉ!!
「くっ……! ものすごく感動的な場面だったはずなのに……」
「ふはははは! 使うのは初めてだったのだが、ふむ。うまくいったな」
「しかも初心者! 私よく無事だった!!」
さすがに自分を褒めたたえる私。
「何考えてるんですか魔王様! 一瞬天国行きかとジャッジしましたよ!」
「安心しろ、我が輩がなんとしてでも地獄に引きずり込んでやる」
「それは閻魔様も尻尾まいて逃げますよ」
むしろ魔王様こそ閻魔なのでは。そう疑問にも思えないところが凄い。ほら、兵士様達も勢いよく頷いている。
――私は溜め息を吐いて、メイド服の乱れを正した。まったく、乙女にこんなことするなんて。これだから魔王様は……目が離せない危険な方だ。
「む……良い技を思い付いたぞ。よし、そこの兵士!」
「皆さん逃げてくださぁぁぁぁい!!」
……天国にいるお母さん、お父さん。私はどうやら二人の元へは行けなさそうです。