地獄の模擬試験開始
――しかし、しかしだ。感動に浸るのはいいが……気付くんだ私。先生様の言ってらっしゃった、あの言葉を。
……そう。
模擬試験だ。
魔の頂点におられるお方に、あの先生様は模擬試験をやらせると言う。もちろん、今この少年魔王が本物の魔王様だなんて事は私や宰相様、学園長様しか知らないし当たり前なのだが……。ああ、浮かれている場合ではないぞ私! 学園の危機だ!
一瞬で我に返った私。宰相様を伺えば、“帰って来てくれてありがとう!”と言わんばかりの笑みだった。
「レフティちゃん、行こう? 演習場へ案内するわ」
「あ……は、はい……そうですね」
「……大丈夫? 顔色が……なんなら保健室へ――」
「こんな緊急事態に休むだなんて! たとえ手足がなくなろうとも私はっ……!!」
「えっ? あ、そ、そんなに命を危機に晒してまで試験を……?」
ビックリしながらもおかしいそうに笑うメーリン様。ああ……癒される。じゃなくて!
「まお――お、お兄ちゃんっ」
一瞬“魔王様”と言いそうになったのを堪えて、私は魔王様が先ほどいた方を振り返る。しかし、そこはすでにもぬけの殻……というか、いらっしゃったのは人に包まれた塊だけ。……人気者は恐ろしい。群がる方達も勇気がありすぎて恐ろしい。
そんな感じで私は魔王様に忠告出来ぬまま、ズルズルと演習場へ向かう。向かう間も何回かチラチラと魔王様を伺ったりするのだが、いかんせんその塊が崩れる気配がなくて……。その様子を不思議に思ったのか、メーリン様にまた心配していただくという始末で。まったく申し訳ない限りだった。
かという宰相様も、魔王様に引けをとらぬ容姿をしているため回りには女生徒の群れが引っ付き回っております。あんなタジタジする宰相様を見るのは初めてなので、目新しいといえばそうなのですが。ですがそうなると困るのは私なのです。私じゃあの群れを割って魔王様を監視するのは無理……本当だったら宰相様にお願いしたいところなのですが、あの方も今の状況からして無理なご様子。
まさに絶体絶命のピンチ。せめてどんな会話をしているのかだけ聞こうと、私は聞き耳を目一杯立てた。
「ね~。ダブリューってさぁ、誰かに似てるよねぇ?」
「あっ、それ私も思った!」
「うんうん! でもどこでだっけ?」
うっほおおおおい!
さっそくバレかけているではありませんか、魔王様っ。ピンチ、大ピンチです。先ほど危惧していた“隠し子説”が本当に噂になってしまいますよ!! あああ、だから顔も変えたほうがよろしいのではないでしょうかとあれほど……なのに魔王様は、「それくらいのスリルでもないとつまらんだろう?」とかおっしゃいやがって。
隠し子説がもしアイリーン様の耳に知れたら……! あぁ、恐ろしや。年齢的に私が疑われる事だけはありませんが、しかし、八つ当たりされるのは避けられない事実。その時かぎり魔王様から逃げても許されるでしょうか。いてっ、何故か黒板消しが飛んで来ました。どうやらダメなようです。
「あっ……ミリーナちゃん、ついたよ? ここが演習場」
「え! うわぁ……。広いですね」
気付いて見渡せば、そこはすでに演習場と言われていた場所で。さすが魔王城からも援助金を出してるだけあって、とても広く豪勢に作られた場所だった。
……まあ、魔王城の演習場と比べて強度はあまりないと思いますが。なんたって壊される心配がないのですからね。魔王城の演習場の強度をナメちゃいけませんよ。魔王様の攻撃を、一度だけでも防げるんですから。“一度”も防げるんですよ? 一度も。
「あ、あの……対戦相手って、いったいどのような風に決めているんですか? たとえば……くじ引き、とか」
どうしても気になっていたことを、私は控えめになりながらもメーリン様に聞いた。いつの間にか女子の群れから逃げ出した宰相様も興味津々で答えを待っている。
「ああ、私たち特別クラスのやる模擬試験の相手っていうのはね、もう既に決まっているの」
「えっ? 決まってるのですか?」
メーリン様は「うん」と笑顔で頷いて、おっしゃった。
「わたし達が戦うのは、先生だよ?」
「っせ……!?」
「せん、せい……!!」
私と宰相様は、愕然として口元をおさえた。
先生と、戦うだと? それはもちろん私も宰相様も、そして……魔王様も、か? いや、私や宰相様はいいのです。まぁ、ぶっちゃけ私個人の意見としては、先生様と戦うのはいやなのですが。しかしだ、それは譲歩しようではないか。一番の問題は……“魔王様も先生様と戦う”、ということになるのですから。
そしてその先生様は明日から消える、と。うああああ! どうしましょぉぉう!?
――私と宰相様は、しばらく混乱に頭を悩ませた。どうすればさっそくやってきたこの危機から逃れられるのか、どうしたら問題なく模擬試験を終了させることができるのかを。
しかし私なんかが考えたからとていって、いい案が思い付くわけもなく……。宰相様でさえなにも浮かばなかったのだから、本当に絶望的である。もうこれは、魔王様自身を信じるしか後は残されていないのだろうか。ああ魔王様、マジで自重してくださいマジで。
「ようし、集まってるかー? そんじゃあいつもの三グループに別れろ」
そう言いながら現れた先生様の姿に、私はドキリとした。その担任の先生様の後ろには、まだ伺っていなかった二人の先生様がいる。三グループ……つまりあの先生のどれかにあたる、というわけか。
一人はガタイのよい、いかにも肉弾戦が得意ですと言わんばかりの先生様。もう一人は細身な背の低い女性の方で、溢れる魔力からしてかなり腕の立つ魔術師のようだ。しかし、女性の方はどうやら人間のようですね。魔力の量が人間のそれとは桁違いであっても、性質は間違いなく人間のもののようですし。
あ。ちなみにこの性質の見分け方などは、以前宰相様にお教えいただいたのです。魔力の量を見極める技能も含めて。それができればもし誤って他人に触れてしまっても自分で配慮出来るだろう、という、魔王様のご命令だった。案外便利なものです。
「おい、三人。得意分野はなんだ? 一応グループわけには、魔法・剣術・素手の三つにわかれてるんだが……」
「あ……わ、私は……ええと、魔法はちょっと。ていうか戦いが苦手というか……あえて上げるならば、素手……いや、剣術です」
素手と言ってから、私はハッとしたように言い直した。
理由はもちろん、この体質のせいである。素手で戦う……それはつまり、私に触れるということだ。私にとって接触とは一番避けねばならない行為なので、しょうがなく得意なわけでもない剣術を選ぶしかなかった。まぁ魔王様との戯れ――という名の虐待で、一応鍛えられてはいますし……問題はないのですが。魔法は最初から論外。扱った事などありません。
「それじゃあミリーナは俺とだ」と呟く先生様を見上げながら、私はコクンと頷いた。そして今後は私の横に視線を送った先生様に、宰相様はドキリとした表情を浮かべ、口を開く。
「え、ええと。私は……いえ、僕は――接近戦が主に苦手、なので」
「ってことは、魔法か?」
「う――あ、はい」
宰相様は、祖父であるシクソン様に引けを取らぬほどの秀才。魔王様には及ばずとも、魔法の腕はぴか一である。しかし私より戦いに抵抗があるためか、普段から魔法を扱うというお仕事をなされない。隠密行動が大好きだとよく本人から聞きます。
――そして最後は、もちろん。
「うーん、残すは素手の戦いのみなんだが……まぁ別に無理に当てはめる必要はないか。どれが得意なんだ? ダブリュー」
「僕ですか? そうですねぇ、不得意なものは特にありませんね。あ、でも最近は素手で戦えるような技術を磨こうと思って、ひそかに勉強していたりします」
私や宰相様を使ってね!
ええ、本当に最近魔王様の絞め技が見惚れるほど完成されてきましたとも!!
「んじゃあダブリューは素手で戦ってもらうか。うっし、せっかくだから最初は仮入学の三人からお手並み拝見といこうか?」
「……えっ、もしかして、三人同時進行で戦うんですか!?」
「当たり前だろ? 一人ずつ戦う必要はねぇよ、先生が三人いるんだから」
た、たしかに……!
しかし、それでは緊急時魔王様のストッパーがいないということではありませんか!? そりゃ魔王様が戦っている最中に突っ込むだなんて、そんな自殺行為は裸足になってでも逃げたい事ではあるのですが……いやいや待て、落ち着け私。私が逃げたら誰が止めるんだ、この学園の危機を。いざとなったら腕の一本や二本……差し出してやるくらいの覚悟でいなくては。
そう、だって私は魔王様のメイド! 化物の――いえ、怪物の――いえ、閻魔の――いえ、ご主人様の大暴れくらい、止めて見せる!!
……と、やる気満々で拳を握ったその手をふいに捕まれ、顔面へ勢いよく持っていく魔王様。もちろん私は涙目。そうでした、魔王様は何故か私のナレーションに入って来れるんですもんね。失念しておりました。
ジンジン痛む顔面を撫でさすりながら、私は横目で若々しい魔王様を伺った。魔王は、小声で呟く。
「さっきから二人して失礼な事を考えおって――安心しろ、貴様の入学するかもしれん学園を、誰が破壊するものか。もちろん、あの先生とかいうやつも然り」
「……魔王様……」
「ふはは、軽く“キュッ”と潰すだけだ」
「その部位を伺ってもよろしいですか!?」
うわぁああああ!
やっぱり心配だぁぁああああ!!
「さぁ、話の時間は終わりだぞ。好きな剣をとれ、ミリーナ」
「……!? う、わぁっ」
いきなり目の前に現れた、複数の剣。異空間から伸びるように現れたそれに、私は真面目に仰天した。
……選べ、と言われても。剣術にはあまり詳しくないし、どれを選んでいいやら、さっぱりである。しかしまぁ、一番扱い安そうな物を選んでおくのが無難な行為だろう。私は複数ある剣のうち、魔王様に練習のためによく渡される剣と形状がよく似ている物をその手に取った。といっても、魔王様が私に渡す剣は大抵がエグイ形をする物が多いので、あくまで“なんとなく”似ている物なのですが。
――私の身の丈ほどあるのではないかと思われるほどそれなりに長く、太い大剣。それを掲げながら、私は使い心地を試すために数回空を切った。
いつものより少し軽く感じる気がするものの、まぁ重たいよりは断然いい。そのほうがスピードも出て戦いやすくなるでしょう……、あくまで私は勝つ気があるわけではなく、“身を守る事が出来ればいい”、のですから。威力よりスピード、尚且つ扱いやすい剣を。
私は「よし」と呟きながら頷いて、担任の先生様を伺った。
「決まったようだな。似合わねぇもん扱うなぁ、本当にそれでいいのか?」
「は、はい」
「ん。それじゃあ――始めようか」
始めようか――その言葉を放った先生様は、ニヤリと笑ったのち。
姿を忽然と消してしまった。