プロローグ
暗闇の中の暗闇。
そこの中心に聳え立つ、おどろおどろしい魔王城――今日もこの城で、不幸な少女……私、レフティの悲鳴が響き渡った。この物語は、そんな私と魔族の頂点に立つ男の物語である。
「あっ――あぁっ! ま、魔王様……! そんな……あああっ! っ、お……お許しくださいませ……!!」
「ほう? レフティよ、貴様良い声で泣くではないか。ふはは、よいぞよいぞ。ならば……もっと泣かせてやろう」
魔王城の中枢、魔王様と一握りの者しか入れないという魔王様の自室の中――私レフティは毎度の事ながら、そんな悲痛な声をあげている。……散らばる部屋、軋むベッド、滴る汗。あぁ、言葉を並べているだけなのになんて卑猥なんでしょう。だが、実際は違う。
……魔王様の美しい手に抱かれた、私の美しいクマのヌイグルミ。お気に入りであるそれ――その名もミリーちゃんは今、それはもう見るも無残な格好をさせられている。もちろん魔王様のベッドの上で。……どんな格好なのかって? ミリーちゃんは仮にも乙女なのです。その問いの答えは控えさせていただきます。ただ言えるのは、とにかく私が汗をたらし必死になるほど……可哀相な格好だということだけ。
「ふん、つまらん答えだな。そういうつまらん奴のヌイグルミなどこうだ!」
「ミリーちゃわぁぁああああん!!」
――パタリ。
ミリーちゃんと私は、事切れたようにそれぞれの場で崩れ落ちた。私の瞳には一筋の涙が。……ああ、ミリーちゃんごめんね。私では魔王様に逆らえないどころか――むしろ逆らっても倍返しの制裁どころじゃないの。ていうか命がいらないと思う日があったとしても、絶対魔王様にだけはその命を預けたくありません。許しておくれ、マイスウィートレディ。訳して私の可愛い娘よ。
起き上がった私は、ベッドの上で無残にもピーガガガガと自主規制音が必要な格好をしている、ミリーちゃんを抱き上げた。涙が一筋どころではない。もう大泣きだ。それを見て魔王様は実に愉快そうな表情で笑っていらっしゃる。くそう。
恨めしそうな視線を――恐ろしすぎてやるにもやれない私は、そのままミリーちゃんを抱えながらイソイソと魔王様の自室を後にした。と、言いたいのは山々なのだが。しかしそれでうまくいくと思ったら、そうは問屋――いや、魔王がおろさない。この最強最悪超ド級性悪鬼畜魔王様は――言わば悪の塊。サドの化身。外道の中の外道だ。そんな簡単に引き下がれるものなら、私はすでにミリーちゃんを助け出せていただろう。
魔王様に掴まれた肩を切り落として、「呼び止められたのに気付きませんでした!」と若干本気で命がけのスルーをしてしまおうかと思ったほど。だがさすがに切り落とすのはまずいので、ものすぅっごく嫌そうな顔を浮かべながら――私は、魔王様の方へと振り返った。
魔王様は――やはり、愉快そうに笑ってらっしゃった。私が振り返ったと同時に、言う。
「実につまらん。このままでは今日寝れず不眠のまま明日仕事をこなさねばならん。よしレフティ、この我が輩も悩殺してしまうような、悩ましい声をあげてみろ」
「あぁ~んいや~ん魔王様もっと~、あ~待って~やめて~ん」
「甘いな。しっかりやらねば明日二時間公開プレイだ」
「あっ、あぁっ! 魔王様……そこは、ああっ!」
「ガキ臭いやつめ」
「本気でやって結局この仕打ち!!」
涙を浮かべて床に伏せた。その時近くにあった本をなぎ倒してしまい、元から散らかっている魔王様の自室をさらに散らかしてしまった。……まあ、元から汚いのだから問題はないのだけど。私は魔王様の自室を一度見渡したあと、鼻で笑った。
「……」
「……いだだだだだだだだ!! ごめっ、ごめんなさいぃぃ!」
「何故謝る? 貴様はなにか我が輩の気に触るような事をしたのか? ならば申してみよ、今ならすべてを水に流してやる」
「まじですか!? あ、じゃあじゃあ、まずたった今部屋の汚さを笑った事と、昨日魔王様の朝食のスープにタバスコ入れた事と、謁見室にある魔王様の玉座にブーブークッションをおいた事と……」
「よしレフティ。右足と左足どちらがいい?」
「しまった罠か!! そしてそれはなんの選択肢なんですか!?」
戦々恐々とする私に魔王様はにこやかな笑みを浮かべながら……私の頭に手を添えて、言った。
「いや? とくに理由などない。……ただちょっとコレクションを増やしたいと思ってな」
「たぁーすぅーけぇーてぇー!!」
この人まじで外道だ……ホルマリンにして漬けられる……!!
――こんな毎日。
これが、私と魔王様の日々だ。鬼畜で性悪、最低最悪のドS、外道を語らせたら右どころか近くにも寄れないほどの……悪の中の悪。決して甘くはないけれど、それでもちょっぴり優しい魔王様。だから私は着いていく。ちょっぴりだけある優しさに甘えて、求めて、この人を死ぬまで支えるために。
「……ふ。さて飽きたな、我が輩はもう寝る。それとレフティ――しっかり休めよ」
柔らかな魔王様の手のひらに触れるのは、私の頭。このちょっぴりのためならば、私はなんだってしよう。この人が本気で腕や足を欲しいと言うならば惜しみ無く差し出すし、命を寄越せと言うならば喜んで捧げよう。
外道で優しい魔王様。
私はミリーちゃん――昔魔王様から頂いたヌイグルミを大事そうに抱えながら、笑顔で礼をする。冷えたようで暖かい、父のようで母のようでもあるその瞳を持つ……魔王様のために。つまらないかもしれないけど、これはそんな私の日常の物語。私と、私の敬愛する魔王様との。
いつかきっと、魔王様の“特別”になれる事を願って――――。