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爽やかな空気と明るい陽光の中、狭い駐車場の木陰で、一人の男が車にもたれかかって立っていた。二十歳前後、身長も肩幅もあり脚も長く均整の取れた体つきで、つり目が印象的だ。黙って立っていると、威圧感がある。
こんな時、煙草でもふかしていたら時間潰しになるんだろうな、と彼はぼんやりと思った。彼は煙草を吸わない。こんな爽やかな日に大学のキャンパスで友人が煙草を吸っているのを見ると、正直、勿体無いと思う。もっと緑の空気を楽しめばいいのに、と思うのだが、友人に言わせると、空気がうまいと煙草を吸いたくなるそうだ。そんなものなのか、とも思う。
エンジンを切り、車のラジオをかけ、開けた窓から僅かに聞こえる音楽になんとなく耳を傾けていた。この老人ホームは住宅街の中にあり、緑も豊かで環境は抜群、出来ればこのゆったりとした雰囲気を壊したくはなかった。
人の気配がして顔を向けると、待ち人が現れた。こちらも非常にバランスの取れた体つきをしている。しかし長身とはいえ背は彼より低く、そして華奢だ。Tシャツの上に細身の麻のジャケットを重ね、腕まくりをし、パンツを合わせたそのスタイルは完璧だが、その人物が女性だとは、多分殆んどの人が気付かない。サラサラの長めの前髪が彼女の切れ長の目によく似合う、と彼はいつも思っている。
「どうだった?」
彼は明るく声をかけたが、彼女が見せた笑顔は少し曇っていた。
「ん?……なんかヘビーだった」
「なんか訊けたか?」
「まあ、それなりに」
「参考になりそうか?」
「さあね。そういう事は、先になってみないと」
そう言うと軽く肩を竦め、彼女は彼の隣に並び、同じく車にもたれかかった。弱冠疲れた様子でホッと溜息をつき、青空を見上げる。
しかし彼はお構いなしで、明るく続けた。
「でもとても、100歳過ぎてるよーには見えねーよな。若いよ」
「しっかりした話し振りでしたよ。記憶もハッキリとしてるし。……似てるんだって、私が」
「何に?」
「彼の奥さんに」
彼は少し眼を見開き、彼女を見た。彼女はチラッと横目で彼を見ると、苦笑いをする。
それを見た彼は面白そうに、そして感心した様に言った。
「……へぇー。遺伝子ってのはすげぇな。似てんだ? 気付いたのか、ヒトミに」
「さあ、どうだろう? 特に何も言われませんでしたけど」
「そっちも何で名乗んねーんだよ?」
すると彼女は再び空を見上げ、気だるそうに答えた。
「似てるどころか。まるで生まれ変わりでしょう、特技受け継いじゃっているんだから。死ぬほど愛した妻の再来に、あの人がどんな衝撃を受けるか……考えるだけで、重い。疲れる」
「珍しー。まいってんな、ヒトミちゃん」
「まいってなきゃ、わざわざこんな所まで足を運びません」
ツンとした表情で答える彼女を見て、彼は益々笑顔を見せた。
陽気に笑いながらバンバン、と大袈裟に彼女の肩を叩き、肘を絡めてグイと引き寄せ、横から顔を覗き込むようにして言った。
「よーしよし、俺が景気づけてやろう。奢りだ。カラオケ行こうぜ?」
「カラオケは嫌い。知ってるでしょう?」
「ウソだろ、おい。真琴もう、部屋で待ってるぜ?」
衝撃を受けた様な彼の表情。歌う気満々だったのが、よくわかる。
ヒトミはガックリと肩を落とし、口には出さずとも内心で舌打ちをした。
「……真琴め。はめたな……」
幼馴染である彼の妹の、してやったりの顔が目に浮かぶ。この兄妹はカラオケ好きなのだが、一緒に行ったら騒々しくて堪らない。特に兄貴の歌は、繊細な彼女の耳には正直耐えがたい。
ヒトミは下唇を僅かに突き出し、自分の肩を抱える彼を横目で睨んだ。
「素人の歌を聞くのは苦痛なの」
「……うっわー。なんてぇタカビーな台詞……」
「兄妹で楽しんできて下さい」
プイっと横を向くと彼の腕から抜け出て、助手席にまわりサッサと車に乗り込む。
一方の彼はまだドアの外で、真剣な表情で考えていた。
「……まあ、それもしょうがないか……」
何がしょうがないんだか。カラオケに行きたくて堪らない上に最愛の妹が待っているとなれば、迷えないクセに。かっこつけちゃって。ヒトミは白い眼で彼を見た。
この兄貴の妹に対する溺愛っぷりは、一時期、傍で見ていても鬱陶しい程だった。そしてその度に、短気な兄妹だからすぐに大喧嘩になっていた。
運転席に乗り込んだ彼は車を発進させながら、彼女に聞いてきた。
「ヒトミはどこ行くんだよ」
どこか最寄りで降ろしてくれるつもりらしい。
「久々にゲーセンでも行こうかなぁ。のんびりと楽しむのもいいかも」
「女が一人、ゲーセンでのんびり、ってどうよ?」
「結構ナンパされるんだ、これが」
前方を見ながらヒトミがニヤッと笑うと、運転席の彼が黙り込んだ。
しばらく彼女は気にしていなかったが、いつもはお喋りな彼が黙っている事の奇妙さにやっと気付き、右横を見た。彼のつり目が益々つり上がって、唇が突き出ている。
なんだ、これ。
「……何?」
「俺も行く」
「何で? カラオケは?」
「……別にそんな歌いたいって訳じゃないし。俺が行かなくったって、あいつも誰か誘うだろ。そもそも相手が俺じゃなくって真琴もせいせいするだろうし、うん」
「……」
「……」
絶対、嘘だ。
「ナンパって言ったって、女に、ですよ?」
「あ、なんだそうなんだ」
真顔で即答。そしてふと気付いたように、やはり真顔で、ヒトミを眺めた。
「お前、女もいけるクチ?」
思わずの、絶句。一気にヒトミの目つきが、生ぬるくなる。
「……カラオケ行けば?」
「お前としては人生、人の二倍楽しめんだろうけど、守備範囲が二倍に広がる身としては悩ましいよな」
「……薫が行かないと、真琴、礼を呼ぶかもよ?」
バカらしくて付き合いきれず、ヒトミは爆弾を投げた。
爆弾を投げられた薫は、運転中なのにもかかわらず、思いっきり固まった。
「……マジで?」
「個室で二人っきり。再会から日も浅い。盛り上がるだろうなぁ」
妹とその彼氏が(しかも生意気で目つきも悪く、最強に気に喰わない奴が)個室でいちゃついている姿をくっきりはっきりと想像してしまったらしく、薫は声にならない悲鳴を上げた。
「…………っ!」
「じっくりたっぷり気が済むまで、悩んで下さい」
ヒトミは満足気に深く助手席に沈むと、腕を組んで目を閉じた。彼の悩みはしばらく続くだろうし、続いている間はこのドライブも続くだろう。だって自分の目的地が分かっていないんだから。
クスッと笑う。守備範囲が二倍、って何よ?
騒々しい兄妹の間に割り込めた事が実はそれなりに嬉しく、彼に不器用な甘え方をしてしまっている自分が、それなりに笑える。そして妹と自分の間で揺れ動いている彼が、結構愛おしい。
いつの間にか、憂鬱な気分が僅かに薄らいでいた。
曾祖父母の時とは、時代も環境も状況も違う。何とかなるかもしれない。何とかならなくても、それが自分の運命なら、何とかするしかない。
ヒトミはふと、花の香りを嗅いだような気がして、目を開いた。
しかし窓の外の景色は時速60キロで流れ続けている。そして隣には、相変わらず眉間に皺を寄せてぶつぶつと悩み続けている、馴染みの彼がいる。そして、花の香り。
あの老人は、本当は何もかも分かっていたのかもしれない。薫を眺めながら、ヒトミはぼんやりと思った。
自分が何者なのかも、何故彼を訪ねてきたのかも、曾祖父は分かっていたのかもしれない。
そしてひょっとしたら、彼は、今もどこかで。
こっそりあの歌を歌って、誰かの命を救っているのかもしれない。
幼い頃に、子守歌代わりに聞いたあの歌。
時には胸を焦がす程切なく、時には優しく包み込む様なあの歌。
母から母へと伝えられる、我が家に伝わるあの歌を。
完結です。最後はこのカップルに、雰囲気を和ませてもらいました。和みましたでしょうか?
ヒトミの曾お爺ちゃんが最後に救った交通事故のけが人は、宮地家、薫と真琴の曾お爺ちゃんだった、という裏設定です。それ以来、宮地家と東田家は繋がっているのですが裏すぎる設定ですね……。
でも、一話から六話で独立したお話として読めるように、試みたつもりです。いかがでしたでしょうか?
お読みいただいてありがとうございます。
このお話が、皆さまのお暇つぶしに役立ちましたように……。
戸理 葵




