表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

 ああ、いい天気ですね。爽やかで、随分と秋らしくなってきた。気持ちがいい。あなたも、どなたかの面会に来られたのですか? そうですか。それはいい。いいですね。本当にいい。ええ、ここは本当にいい所ですよ。まるで皆の我が家の様だ。はたして、本当の我が家との区別がついている人間が、どれほどいるのか分かりませんけどね。あはは。職員は皆、素晴らしいですよ。大変なお仕事です、ありがたい事です。



 私? 私ですか。私には面会人など来ませんわ。いえいえ、家族がいない訳ではありません。ちゃんとおります。頑張ってね、みんな生きておりますよ。本当にありがたい事です。家族がいる、孫がいると思うだけで、この世界が、生きる価値のある世界の様に感じられますからね。不思議です。同じ空気を吸って、同じお天道様てんとうさまの下に孫達がいる、と思うだけで、目に力が入りますからね。わかりますか? 目に、力が入るんです。これが年寄りには重要なんですわ。若い人には、わからないでしょうなぁ。目に力が入ると、ものを見ようとするのですわ。これ、孫がおらんかったら、地球温暖化とか環境問題も、そんなに真剣にはニュースを聞かんでしょうからねぇ。はっはっは。

 最近は地球も人間も、物騒な世の中になりましたね。政治家も、コずるいモヤシみたいなのばっかりで。ああ、いかん、年寄りは偉そうに文句が多い。だけど昔は、お天道様てんとうさまが見とる、お天道様の下で恥ずかしくない事を、言うとったのですがねぇ。今は誰も、それを言いませんね。正直者は馬鹿を見ても、お天道様は見とるんです。だから、いつでも正しい事を、胸を張って出来るんです。そんなお天道様がおらんくなったから、世の中はみっともない事をする人が増えたのですかね。ああいかん、また文句を言っとる。



 そんでも、私は過去の遺物です。

 家族の、お荷物になりたくないんです。だからここに来たのです。

 だから子供達が他界した時に、もう、付き合いは絶ちました。あの子らには未来を見て欲しい。私も、家族の事には口を出したくない。信じられますか? 私、子供らよりも長生きしとるんです。



 ところであなたは、大変失礼ですが、お気を悪くなさらないで下さい、私の家内に似ておりまして。その、雰囲気が。

 

 家内がね、それはそれは綺麗な女だったんです。もう、私には勿体無いくらいの美人で。それはもう、ぞっこん、惚れておりました。どこか西洋の血が混じっとるような、みすてりあすな、ゆうんですか? 綺麗な瞳をしておりましてね。不思議な事に、家族の中ではあれだけが、そういう顔をしておりました。性格がまた、優しく穏やかで。ええ、ええ。本当に、私には勿体の無い女房でした。気立てのよい、いい女房でした。本人はずっと、苦労をして来たのだろうに。他人の事を常に思いやり、心を砕く女でした。



 あなたのお顔を見ていたら、家内の事をどんどんと思いだして来ましたよ。


 お話しても、よろしいですか? 年寄りの話を、聞いてもらえますか? 

 そうですか。それは嬉しいですわぁ。

 本当に嬉しい。女房の話を人にするのは……この話を人にするのは、



 多分、初めてではないかなぁ。










 女房は、草木を育てるのが趣味でした。近所の誰よりも、育てるのが上手かった。あれの手にかかれば、どんな植物も綺麗な花を咲かせ、葉を茂らせ、実をつけたのです。植物の世話をしている時の家内の表情が、一番、幸せそうだった。本当は、農家の嫁になるべき女だったのかもしれない。私が強引に、貰い受けなければ、ね。


 私は職業軍人ではありませんが、二度程徴兵を受けました。武道をやっていて、これが中々のものなんです。時代がよければオリンピックに行けたと思っています。あの時代は、オリンピックの競技科目ではなかったので。とにかく、体格が良いし成績が良いしで、二度も徴兵を受けたと思います。最初の徴兵前に家内と結婚し、私はすぐに戦地へ行きました。帰って来てから長男が生まれ、それから三年後、また戦地へ行きました。太平洋戦争です。

 幼い息子と離れる時、自分は息子の記憶に残る父親でいられるのか、やはり不安でした。しかも家内のお腹にはもう一つの命が宿っていた。二つの小さな命と、年老いた私の両親の命を、あの細腕で守らなくてはいけないのです。あの頃は既に、食糧難が始まっていた。私は、残していく家族のこれからの事を考えると、胸が塞がる思いでした。


 でもあの頃は、みんながそうだったのです。みんな、拠り所が無く、自分の運と力だけを頼りに、国を愛して、友人を愛して、家族を愛して、他人の事も愛していました。



 それでもね、誰もが不安で暗い時代の中、家内はそれはそれは美しかった。

 誰よりも美しくて、気高く、優雅で、慈悲に溢れていた。



 服だって、みすぼらしいものを着ている。私の母がケチだったからね。買う事が許されなかった。嫁に来てから、朝から晩まで、身重の体で、それはよく働いていた。庭での畑づくり、炊事、家事、洗濯、何でもやった。文句ひとつ、言わなかった。けれども母は、そんな女房を褒めるどころか、当り前だと胡坐あぐらをかいて、近所の連中に嫁の文句を言いふらす程だった。



 何故かと言うとですね。

 世間を騙すいやしいエセ祈祷きとう屋を、わざわざ嫁に貰って、免罪してやったのだから。

 世間に顔向け出来る体裁を、我が家が取ってやったのだから。常識人の仲間入りをさせてやっているのだから。

 と言うのです。これ、どういう事か分かりますか?




 実は家内には、不思議な力があったんです。

 人を癒す力です。

 心を、じゃないですよ。

 体を、です。

 病気を、治すんです。

 まじないで。

 その場で。



 ただ、誰の事でも治せる、と言う訳ではない。

 彼女のまじないの効果は、大別すると、三つに分かれていました。

 良くなる人と、変わらない人。

 そして、死んでしまう人。

 死んでしまう人はそもそもが、家内の所に来た時点でほとんど、生ける屍状態なのですがね。まあ、彼女とまじない部屋に入り、出てきた時には死んでいる、という事もしばしばありました。加えて家内は、まじない部屋には自分と患者以外誰も入れません。中で何が行われているのか、患者本人にも記憶がありません。これが、彼女を益々、周囲から孤立させていました。


 あの女は、時々、人の生気を吸っているのではないか、と。



 私には分かっていました。家内は患者を見ただけで、大体の予想がつくのです。救えるのか救えないのか。連れ添っているうちに、そんな家内の目の色を読み取る事が出来るようになりました。ですからある日、言いました。



「どうしてそこまで、お前がバカを見なくちゃいけないんだ。そもそも彼らは医者からも見放されて、お前の所に駆けこんでくるのだろう? そんな奴らにお前は、大した金も要求しない。善意の塊ではないか。助けられなかったと罵倒されて陰口を叩かれて、そんな仕打ちを受ける筋合いがない。命を救ってやった奴らも、時が経てばありがたみが薄れとばっちりを恐れ、なりを潜める。ならば最初から、救える見込みのある奴だけ、引き受ければいいものを」



 すると家内は微笑みました。まるで花の様に柔らかく微笑みました。彼女は好んで、野菊の様な、控えめで可愛らしいけど、芯のある花を育てていましたが、その花と同じ微笑みを、私に見せてくれたのです。それは私達夫婦の間で、会話と同じくらい、頻繁に交わされる笑みでした。家内は他人にも優しく笑いますが、私に対しては、溢れ出る愛情が彼女の美しい顔をいつもいろどっていました。



「そうですよ、あなた。私はあの人達の、最後の頼みの綱ですわ。文字通り、駆け込み寺なのですよ。そんな私が、病人を見る前にその方達を追い返したらどうなるかしら? 生きると言う事に対して、挑まずに白旗を上げる姿勢を見せたら、私達は今のこの国を生き抜いてはいけないわ。結果では無く、臨み続ける事に意味があるのよ」



 真っ直ぐに私を見上げるその姿は、たおやかで凛として美しく、いまでも目蓋に焼きついています。



「じゃあせめてお前が頑張っている姿を、患者の家族に見せたらどうかね? いつも患者と二人きりで籠もっていては、何も分からないだろう。部屋に家族も招き入れれば、お前のその嘘の無い、純粋で高潔で泥臭いまでに正直な心が、伝わるかもしれない」


「それはできません。人に見せる訳にはいかないんです」


「何故?」


「…手術室に、患者の家族を招き入れる外科医がいますか? 家族は、冷静な協力者ではありません」


「なら私は?」



 すると彼女は、嬉しそうに可笑しそうに、声を上げて笑いました。


「あなたを招き入れる、目的が見当たらないですわ。ご覧になってどうなさりたいの? それで何か、私達を取り巻くこの状況が変わるかしら?」


 

 私はそんな彼女を、そっと胸の中に抱き寄せました。

 そして彼女の花の香りを楽しみながら、ゆっくりと伝えました。



「私はお前の、全てを知りたいんだよ」


「…なら、尚更お見せできません」


 そう言って体を離し私を見つめる彼女は、とても満たされた笑顔でした。



「そうすればあなたは、朝も夜も、私の秘密が気になって頭から離れないでしょうから。一日中、私の事ばかり考えてくれますものね」



 私はそんな彼女が、愛しくて愛しくて、堪りませんでした。

 世間が何と言おうと、母がどう言おうと、私にとって家内は、人生の全てであり、幸せの全てであり、喜びの全てであったのです。彼女のいるこの国を守る為なら、私はどんな戦地へ行ってもいい、と思っていました。



「恩返しをしてしまう様ないじらしい機織りの鶴かと思っていたら、とんだはねっかえりだな。主人の心を上手く、手玉に取っている」

「まあまあ。手玉に取るなんて人聞きの悪い。心の底よりお慕いしております」


 彼女は茶目っ気たっぷりに答えました。


「それに私は、どんな事があってもあなたから離れたり致しません。あなたは私の全てなのですから。どんな事があってもあなたを支えます。あなたと子供達を、守ってみせます」



 そう言う家内は、少女の様な純粋な表情をしていましたが、目は全てを見通している神の様な眼差しでした。

 そんな彼女を見ると、私はいつも切なくなるのです。

 私は再び、彼女を抱きしめました。



「お前は、か弱い鶴などではないな…。花の神だ。…私だけの」

「神だなんて、おこがましいです。それになんだか恐いですわ。せめて花の精、ぐらいにして下さい」



「…花の精…私だけの、愛しい」



 本当に、私には勿体の無い女房でした。








 






このお話に目を通して下さった方、ありがとうございます。

お気づきの方も多いと思いますが、このお話の世界は、別作品に通じております。

2日に一度の更新を目指しますので、お付き合い頂けますと嬉しいです。


この作品が、皆さまのお暇つぶしに役立ちますように。



戸理 葵

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ