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千年後の勇者召喚で再会した初恋の少女、だが本当に世界を救ったのは俺だった  作者: 暁牡丹


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第37話 深層へ



 扉は、音もなく開いた。


 押したわけではない。

 鍵を差し込んだわけでもない。


 唯愛が指先で触れた、その一点から白い光が広がり、石の輪郭がほどけるように薄れていく。


 通路の奥にあったはずの扉が、少しずつ別のものへ変わっていく。


 石ではない。

 光でもない。


 そこにあるのは、道だった。


 細く、白く、底が見えないほど深い階段。


 下へ続いている。


 いや。


 下、なのだろうか。


 目の前に伸びているのは確かに階段なのに、見つめていると空へ落ちていくような感覚になる。


 足元が、ふわりと頼りなくなる。


「……ここを、行くの?」


 唯愛の声は、自分でも驚くほど小さかった。


 白い光に飲まれて、すぐ消えそうだった。


 隣でヤスナが覗き込む。


「まあ、普通の階段ではなさそうだね」


「普通じゃないのは見れば分かる」


「分かるようになってきたじゃん」


 軽口だった。


 でも、いつもほど軽くない。


 ヤスナの目は、階段の奥をじっと見ている。

 笑っているのに、その奥にあるものを測っている。


 トバリは何も言わなかった。


 ただ、白い階段の前で足を止めている。


 いつもみたいに先へ進まない。

 唯愛の前にも出ない。


 その沈黙だけで、ここが危ない場所だと分かった。


「戻るなら、今だよ」


 ヤスナが言った。


 誰に向けた言葉なのか、すぐには分からなかった。


 唯愛にか。

 トバリにか。


 それとも、三人全員にか。


 唯愛は階段を見る。


 冷たい白。


 そこから風のようなものが上がってくる。


 肌には当たらない。

 髪も揺れない。


 けれど、胸の奥だけが静かに震える。


 怖い。


 当然だ。


 ここから先へ進めば、さっきよりも深いものを見る。

 自分の知らない記憶に触れる。

 誰かの痛みが、自分の中に流れ込むかもしれない。


 それでも。


 足は、引かなかった。


「行く」


 唯愛は言った。


 トバリの気配が、わずかに揺れる。


「……分かっているのか」


 低い声。


 責めるようではない。

 でも、押し殺したものが滲んでいる。


「分かってない」


 唯愛は正直に答えた。


 トバリが黙る。


「でも、分からないから行く」


 そう言葉にすると、不思議と胸の奥が少しだけ落ち着いた。


 怖さは消えない。

 不安も消えない。


 でも、自分がどこに立っているのかだけは分かる。


 誰かに引っ張られているのではない。

 誰かの代わりに進むのでもない。


 自分で決めた。


 それだけは、手放したくなかった。


 唯愛は一段目に足を置く。


 瞬間、世界の音が変わった。


 遠くなる。


 壁も、通路も、背後の空間も。


 白い階段の上だけが、別の場所に切り取られたみたいに静かだった。


 二段目。


 三段目。


 足音が響かない。


 自分が本当に歩いているのか、少しずつ分からなくなる。


 すぐ後ろから、トバリがついてくる気配がした。


 少し離れて。

 でも、離れすぎない距離で。


 さらにその後ろにヤスナ。


 誰も話さない。


 階段は、どこまでも続いているように見えた。


 けれど、何段降りたのか数えようとした瞬間、数が曖昧になる。


 十段だった気もする。

 百段だった気もする。


 あるいは、一歩も進んでいないのかもしれない。


 そんな感覚の中で、最初に聞こえたのは水音だった。


 ぽたり。


 どこかで雫が落ちる音。


 でも、周囲に水はない。


 ぽたり。


 また、聞こえる。


 その音に合わせて、唯愛の胸の奥が痛む。


 水ではない。


 あれは。


 血の音だ。


 そう思った瞬間、視界の端に赤が走った。


「……っ」


 唯愛は足を止める。


 白い階段の途中。

 そこにあるはずのない赤い染みが、石段の隙間に広がっていた。


 瞬きをする。


 消える。


 何もない。


 けれど、鼻の奥に鉄の匂いだけが残った。


「見えた?」


 ヤスナの声が後ろからする。


 唯愛はすぐには答えられない。


「……少し」


「なら、まだ浅いね」


「これで?」


「うん」


 ヤスナの返事は静かだった。


「深いところは、見えるとか聞こえるとかじゃない。そこにいたことにされる」


 唯愛の背中が冷える。


 トバリが低く言った。


「脅すな」


「事実だよ」


「黙れ」


「黙ってたら守れる段階でもないでしょ」


 トバリは返さなかった。


 唯愛はもう一度階段の先を見る。


 白い光の奥に、扉が見えた。


 いつの間にか、そこにある。


 さっきまで何もなかったはずなのに。


 小さな石扉。


 その表面に、複雑な文様が刻まれている。


 円。

 輪。

 二つの線が絡み合い、途中で切れ、また別の場所で繋がる。


 見たことがないはずなのに、指先が疼いた。


「……あれ」


 唯愛が呟く。


 ヤスナが横から覗く。


「門だね」


「門?」


「記憶の仕分け場、みたいなものかな。入れる人と、入れない人を分ける」


「そんなの、誰が決めるの」


「さあ」


 ヤスナは肩をすくめる。


「塔か、死者か、残した本人か」


 その言葉の意味を考える前に、唯愛の足は扉へ向かっていた。


 近づくほど、文様が淡く光る。


 扉は唯愛にだけ反応している。


 そのことが、はっきり分かった。


 トバリが後ろから声をかける。


「触るな」


 唯愛は止まる。


 でも、振り返らなかった。


「どうして」


「まだ早い」


「何が早いの」


「……」


 答えはない。


 唯愛は小さく息を吐く。


 もう、その沈黙には慣れた。


 慣れたくなんてなかった。


 けれど、意味は分かる。


 トバリは知らないから黙っているのではない。

 知っているから言えない。


 だから、今はもう、答えを待つだけでは進めない。


「次は、止めないで」


 唯愛は言った。


 トバリの気配が固まる。


「唯愛」


「お願いじゃない」


 自分でも驚くほど、声は静かだった。


「私が決めたことだから」


 そう言って、手を伸ばす。


 扉の文様に触れた瞬間、冷たいものが腕を伝って流れ込んだ。


 痛みではない。


 記憶でもない。


 もっと無機質な、確認のような感覚。


 あなたは誰か。


 そう問われている気がした。


 唯愛は目を閉じる。


 名前を答えればいいのか。

 魂の形を差し出せばいいのか。

 何を求められているのか分からない。


 けれど、胸の奥で小さな熱が灯る。


 太陽の加護。


 そう呼ばれていたもの。


 自分の中にある光が、扉の文様に触れる。


 次の瞬間。


 扉が開いた。


 音はない。


 ただ、白い光が薄く割れる。


 その向こうから、風が吹いた。


 今度は、肌に触れる風だった。


 冷たく、少しだけ懐かしい。


 唯愛は扉の向こうへ足を踏み入れる。


 そこは、部屋だった。


 広くはない。


 丸い空間の中央に、古い台座がある。


 台座の上には何も置かれていない。


 けれど、その周囲に漂う空気は、何かが“かつてそこにあった”ことを強く感じさせた。


 なくなったものの形だけが、まだ残っている。


 唯愛は胸を押さえる。


 痛い。


 さっきよりも深い。


 この場所を知っているわけじゃない。


 でも、ここにあったものを、自分のどこかが知っている。


「……何もない」


 唯愛が呟く。


 ヤスナは台座の周りをゆっくり歩く。


「何もない場所ほど、残ってることがある」


「どういう意味」


「なくなったことそのものが、記録になる」


 ヤスナは台座の縁に触れようとして、途中で手を止めた。


「これは、触らない方がよさそうだ」


 珍しく、軽口がない。


 唯愛は台座へ近づく。


 一歩。


 また一歩。


 トバリは止めない。


 止めない代わりに、すぐ後ろまで来ている。


 その距離が、逆に苦しい。


 唯愛は台座の前に立った。


 何もない。


 本当に、何もない。


 けれど、空白の中心を見つめた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 音が聞こえる。


 指輪が石に触れる小さな音。


 誰かの息遣い。


 抑えた笑い声。


『似合わない?』


 声がした。


 近い。


 けれど遠い。


 唯愛は息を呑む。


 視界が揺れる。


 台座の上に、一瞬だけ小さな光の輪が見えた。


 指輪。


 でも、すぐ消える。


 次に見えたのは手だった。


 誰かの手。


 その指に、輪がはめられる。


 暖かい指先。


 少し照れたように笑う気配。


『これで、離れても分かるね』


 自分ではない声。


 でも、自分の胸の奥がその言葉を覚えている。


 唯愛の指が震える。


 今のは、幸せな記憶のはずだった。


 なのに、なぜこんなに痛いのだろう。


 次の瞬間、景色が反転する。


 同じ台座。


 でも、暗い。


 光がない。


 誰かがそこに膝をついている。


 指輪を握りしめている。


 声は出ない。


 涙もない。


 ただ、握った手だけが血が滲むほど強い。


 唯愛の喉が詰まる。


 胸の中に、言葉にならない感情が流れ込んでくる。


 返して。


 どうして。


 置いていくな。


 違う。


 それだけじゃない。


 ごめん。


 守れなかった。


 間に合わなかった。


 ひとりにした。


 感情が多すぎて、誰のものなのか分からない。


 唯愛は後ずさる。


「……っ、違う」


 飲まれかける。


 視界の端が白く染まる。


 体が勝手に台座へ手を伸ばそうとする。


 さっきとは違う。


 今度は、もっと強い。


 台座に触れれば、続きを見られる。


 もっと深く。

 もっとはっきり。


 あの人が誰なのかも。

 何を失ったのかも。


 分かるかもしれない。


 でも。


 その先に、自分が残るか分からない。


「唯愛」


 トバリの声。


 近い。


 すぐそば。


 その声に、唯愛はぎりぎりで踏みとどまる。


 伸びかけた手を止める。


 爪が掌に食い込むほど、拳を握る。


「……見たい」


 声が漏れる。


 本音だった。


「でも」


 息が震える。


「今のままじゃ、駄目だ」


 唯愛は、自分の足で一歩下がった。


 その瞬間、台座の光がふっと消える。


 部屋の空気が軽くなった。


 トバリが、言葉を失ったように沈黙する。


 ヤスナが小さく笑った。


「また止まった」


「止まったんじゃない」


 唯愛は荒い息のまま返す。


「選んだ」


「そうだったね」


 ヤスナは少しだけ目を細める。


「ほんと、面白い」


 唯愛は台座から目を離せない。


 まだ胸が痛い。


 見たい。

 知りたい。


 でも、流されるだけでは駄目だ。


 それではきっと、自分ではなくなる。


 トバリが低く言う。


「もう十分だ」


 唯愛は首を振った。


「十分じゃない」


「今ので分かっただろう」


「分かったから、行く」


「……」


「ここにあるのは、ただの記憶じゃない」


 自分で言いながら、確信していく。


「誰かが残したものだよね」


 トバリは答えない。


 でも、その沈黙は否定ではなかった。


 唯愛は続ける。


「だったら、途中で閉じたままにはできない」


「開ければ、戻れない」


「戻れない場所まで来たんだと思う」


 言い切った瞬間、部屋の奥の壁が光った。


 台座のさらに向こう。


 何もなかったはずの石壁に、細い線が走る。


 縦に。

 横に。

 円を描くように。


 それは扉になった。


 さっきよりも大きい。


 さっきよりも白い。


 そして、明らかに奥へ続いている。


 ヤスナが口笛を吹きかけて、途中でやめた。


「認められた、ってところかな」


 トバリの表情は見えない。


 でも、気配だけで分かる。


 張り詰めている。


 苦しいほどに。


 唯愛は新しい扉の前へ進む。


 今度は、すぐには触れなかった。


 扉の向こうから、声が聞こえる。


 言葉にはならない。


 ただ、たくさんの気配がある。


 泣いている人。

 笑っている人。

 誰かを呼ぶ人。

 誰かを待つ人。


 死者の声。


 そう思った瞬間、足元が冷えた。


 ここから先は、今までとは違う。


 記憶を見るだけでは済まない。


 もっと境界に近い。


 生きている者が、簡単に踏み込んでいい場所ではない。


 そのことが、体で分かった。


 トバリが静かに言う。


「ここから先は、戻り道が変わる」


 唯愛は振り返りかけて、やめた。


 まだ見ない。


 見たら、足が鈍る気がした。


「戻れないんじゃなくて?」


「戻れても、同じではない」


 初めて、少しだけ答えらしい答えが返ってきた。


 唯愛は目を伏せる。


「それでも」


 言葉を続けようとした時。


 扉の向こうから、小さな声が聞こえた。


 誰かが、泣いている。


 違う。


 泣いているのではない。


 呼んでいる。


 何かを。


 誰かを。


 唯愛の胸の奥が強く痛む。


 足が一歩、前へ出る。


 今度は勝手にではない。


 自分で。


「次は、止めないで」


 そう言って、唯愛は白い扉へ手を伸ばした。


 トバリは何も言わなかった。


 ヤスナも黙っていた。


 指先が扉に触れる直前。


 扉の向こうから、かすかに風が吹いた。


 その風の中に、聞き取れないほど小さな声が混じっていた。


 名前のようだった。


 でも、まだ届かない。


 唯愛は唇を結ぶ。


 そして、今度こそ扉に触れた。


 白い光が、ゆっくりと開いていく。


 その向こうに広がるのは、通路ではなかった。


 空でもない。


 部屋でもない。


 ただ、静かな境界だった。


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