第一話 教室と、千年の先
五月の午後。
眠気を誘う春の光が、窓際の机を斜めに照らしていた。
黒板の前では担任が、受験だの進路だのという現実的すぎる話をしている。
だが教室の半分は、ほとんど聞いていない。
「なあ新田」
隣の席から小さな声がした。
顔を向けると、幼馴染の少女がこちらを覗き込んでいた。
「聞いてる?」
「聞いてない」
「即答だね……」
少し呆れた顔で笑う。
**永久野唯愛**。
小学校からずっと一緒の幼馴染だ。
長い黒髪を耳にかけながら、彼女はため息をつく。
「進路の話だよ?」
「まだ一年だろ」
「だからだよ」
「未来の話は苦手なんだ」
俺――**新田無明**は机に頬杖をついた。
未来。
将来。
夢。
そんな言葉を聞くと、なぜか胸の奥がざわつく。
理由は分からない。
ただ、遠くで何かが呼んでいるような――
そんな、妙な感覚だけがあった。
「ねえ無明」
「ん?」
「もしさ」
唯愛は窓の外を見た。
「違う世界があったらどうする?」
「突然どうした」
「なんとなく」
彼女は笑う。
「ファンタジーとかあるじゃん。魔法とか、勇者とか」
「ゲームのやりすぎ」
「夢がないなぁ」
唯愛は頬を膨らませた。
「もし私たちがさ、そんな世界に行ったら」
彼女は少しだけ真面目な顔になる。
「無明は何になると思う?」
「さあ」
俺は少し考えて答えた。
「目立たないモブ」
「ひどい」
「お前は?」
「私は……」
唯愛は一瞬考えて、少し照れたように笑った。
「旅する人かな」
「なんだそれ」
「好きな人と一緒に旅するの」
その言葉に、俺は少しだけ視線を逸らした。
「誰と?」
「さあ?」
いたずらっぽく笑う。
その時だった。
――ドン。
低い振動が、教室を揺らした。
「……地震?」
誰かが呟く。
だが違う。
床が光っていた。
教室の床全体に、複雑な紋様が浮かび上がっている。
「え……」
誰かが声を上げた。
光はどんどん強くなっていく。
床だけじゃない。
壁も、天井も。
教室全体が光に包まれていく。
「なにこれ!?」
「映画の撮影!?」
「いや違うだろ!」
クラスが一気に騒然となる。
だが。
唯愛だけは、なぜか静かだった。
俺の袖を、ぎゅっと掴む。
「無明」
「なんだ」
「なんか……」
彼女は不安そうに言った。
「懐かしい感じがする」
「は?」
意味が分からない。
その瞬間。
光が爆発した。
――勇者召喚。
その言葉が、どこかで聞こえた気がした。
視界が真っ白になる。
体が浮く。
重力が消える。
そして。
俺は、落ちた。
光の底へ。
その瞬間。
唯愛の声が聞こえた。
「無明!!」
振り返る。
だが。
彼女の姿は、光の向こうに消えていた。
――その日。
教室から。
**一人だけ消えた生徒がいた。**
◇
同じ頃。
遥か遠い異世界。
多種族共生国家
**ヨモツヒラサカ**
その中心。
首都 **高天原**。
玉座の間。
金の髪を持つ狐人の女王が、静かに報告を聞いていた。
「女王陛下」
大臣が頭を下げる。
「勇者召喚が成功しました」
その言葉に。
女王は、ゆっくり目を閉じた。
「……そうか」
低く、落ち着いた声。
「人数は」
「三十名ほど」
「三十」
女王は、少しだけ笑った。
「クラス転移、か」
それは千年前。
別の世界で聞いた言葉だった。
女王の名は
**九尾王タマモ**
またの名を
**黄泉の王**
そして。
**太陽神アマテラス**
彼女は静かに玉座から立ち上がった。
「謁見の準備をせよ」
「はっ」
家臣たちが慌ただしく動き出す。
タマモは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……まさか」
胸の奥が、わずかに震える。
「本当に来たのか」
千年前。
失った世界。
かつての仲間たち。
そして――
**あの子。**
タマモは、静かに目を開いた。
「楽しみじゃのう」
女王の口調。
だが。
その奥にある声は違う。
かつての少年の声。
「久しぶりだな」
**みんな。**
だが。
彼はまだ知らない。
その勇者の中に。
**千年前、死んだはずの少女の魂がいることを。**
そして。
その再会が。
世界を大きく動かすことになることを。
――千年越しの物語が、今始まる。




