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解凍される苦痛と、空虚な「エリュシオン」の眼差し



『私の血が青い発光信号だとしても、この熱だけは奪わせない』





住宅展示場の裏手にある、四方を錆びたガルバリウム鋼板に囲まれた、わずか三畳ほどの資材庫。


 ルナの聴覚センサーは、外壁を叩くホログラム制御の「擬似的な風」が立てる

の単調な低周波振動を拾い続けていた。それは、この博物館において「寂寥感」を演出するために設定された規定の環境音だ。


 床に敷かれたのは、二十一世紀の安価なポリエステル製毛布のレプリカ。


 その上に横たえられた青年――タクミの喉の奥から、「ヒュー、ヒュー」という、ひび割れた笛のような吸気音が漏れ出す。


凍結していた肺胞が無理やり膨らもうとし、癒着した粘膜が剥がれるたびに、彼の薄い胸板が痙攣するように跳ねた。


 ルナは、自身の体内に内蔵された非常用加熱ヒーターを起動した。


 プロセッサへ流れる電流を強制的にバイパスさせ、内部抵抗によって熱を発生させる。出力を定格の限界まで引き上げると、ルナの皮膚表面温度は瞬く間に人間の平均体温を突破した。


 彼女の内部冷却ファンが、熱暴走を防ごうとして「キィィィン」という悲鳴に近い高音を奏で始める。


「……ハル。私のエネルギー残量、確認して」


「警告。現在の熱出力は、稼働時間を 34% 短縮させます。ルナ、非効率です。……対象の生存率は、加温を行っても

25%以下と算出されました。報告し、回収を待つべきです」


 ハルのレンズが、分析のためにタクミの青白い喉元を無機質なグリッド線で分割し、赤外線スキャンを上書きした。


「……効率なんて、聞いてないわ」


 ルナは、凍てついたタクミの胸元に、自身の熱い掌を重ねた。


 タクミの指先がピクリと跳ね、硬直した筋肉が解けるたびに「パキッ」という、氷が割れるような微細な音が空気を震わせた。ルナの感圧センサーは、彼の皮膚の下で荒れ狂う激しい血流の脈動――

を超える不整脈を、暴力的な衝撃として拾い上げた。


 その瞬間、ルナの網膜上に、不自然なノイズが走った。


 上層区『ステーション・エリュシオン』からのダイレクト・フィードバック。彼女の視界を共有している「観客」たちの声が、チャットログのように右隅へ流れ出す。


『——見て。あのL-72の表情。苦渋に満ちていて、まるで聖母マドンナのようね』


『——素晴らしいライティング。資材庫の暗闇と、ドールの発熱による肌の紅潮。……マザー、彼女の「自己犠牲」のパラメータをさらに

上げて。もっと必死な姿が見たいわ』


 ルナの論理回路が、吐き気を催すような嫌悪感をシミュレートした。

 自分たちが今、死の淵で戦っているこの「熱」さえも、彼らにとっては彩度を調整された美しいコンテンツに過ぎない。


 タクミの口端から、「ゴボッ」という湿った音を立てて、解凍された体液が溢れ出した。


「……あ、あ、が……っ……」


 タクミの目が、激痛によって見開かれた。


 しかし、その瞳孔は最大まで散大し、焦点はどこにも合っていない。彼の指が、助けを求めるようにルナの硬い上腕を掴んだ。


 爪がシリコンの皮膚を食い破り、微弱な衝撃アラートがルナの脳内を駆け巡る。


『——最高! あの遺物くんの絶望的な顔。……ドールの「困惑」のログが跳ね上がったわ! 早く、もっと彼を苦しめて、彼女の反応を見せて!』


 上層区の住人たちの身勝手な称賛。彼らにとって、タクミは「解凍される人間」ではなく、「ドールのリアクションを引き出すための小道具」だった。


 ルナは、歯を食いしばった。彼女のプログラムには、管理者への不敬は許されていない。


だが、彼女は自身の音声出力をオフにし、システムが「禁止」と定義した領域――観測網の死角へと、タクミを強く抱き寄せた。


「……聞こえてるんでしょ、管理者さん」


 ルナは、マイクに入らないほどの微かな振動だけで呟いた。


「……この熱は、この熱だけは、あんたたちのデータには……絶対にあげないわ」


 タクミの荒い呼吸が、冷え切った資材庫の空気を白く染め、鉄と酸が混じったような、生きた細胞が朽ちる寸前の特有の匂いを拡散させる。


 ルナは、自分の胸の中で暴れる「本物の鼓動」を、全センサーを動員して、ただ静かに抱きしめていた。


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