表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/37

35.お風呂 其之弐

「石鹸ってご存知ですか?」

 私の問いにお綾さんは眉間に皺を寄せた。

「も、勿論や。ほら、アレやろ? 鋭くて……」

 ん? 鋭いって……『せっ()()』って剣と勘違いしてる?

 石鹸じゃ通じないなら。

「ボディソープ? じゃなくて、えーと……シャボン?」

「さぼん? さぼんってまさか……」

 何かに思い至ったお綾さんは目を見開き、息を飲んだ。

「あんたの家じゃ風呂で『さぼん』使うてたんか……?」

 そう言って私をキッと睨みつけた。

「い、いえ。そういう訳では……お綾さんなら使ってるかと思って」

「……あんたも使うたことないん?」

「ええ、まあ」

 私が頷くとお綾さんは安堵した様子で胸元に片手を当てた。


 お風呂が沸くまでの間、私はお綾さんからこの時代の最先端を聞き出そうと、こんな感じでいろいろと質問しようと思ったのだけど。


「そんなことより、あんた。玄斎先生のとこにおる……梅吉様のこと、何か知っとる?」

 突如、気の強いお綾さんが鋭い視線を私に向ける。

「えっ? いえ。あまり……」

 目の前にいる私が梅吉だってバレた?

 一瞬、ひやりとしたけれど。

「お風呂炊くのに時間かかるさかい、ただ呆けて待っとるんも阿呆らしいやろ? せやから、次からは梅吉様について、なんでもええから話してや」

 お綾さんは頬を赤らめてそう上目遣いに私を見た。

 バレていないようで良かった、と安心する私に。

「あっ! まさかあんた……」

 急に立ち上がって目を見開き、私を指差すお綾さんに、再びドキリと心臓が跳ねる。

「梅吉様のこと……好いとるん……?」

「い、いえいえ。私は全然っ」

 全力で両手を振って否定する。

 梅吉は私だしっ。


 そうこうしていると、障子の向こうから「お湯のご用意ができましてございます」と女性の声がした。

 いよいよ、やっと、お風呂に入れるっ。


 胸躍らせながら、使用人と思しき女性に案内された場所へ行くと。

 湯気の中、檜の香りがした。

 思ったより狭く、思ったより薄暗い。

 五右衛門風呂だったらどうしよう、と思ってたので、普通に木のお風呂で助かった。

 お風呂は離れにあり、短い渡り廊下を渡って行った。


「着替えはこちらでお願いします。あと、これ、使(つこ)てください」

 お風呂の手前に脱衣所と思しき小部屋があり、そこで手拭いと布袋を渡された。

「あの、布袋(これ)は?」

(ぬか)袋です。使(つこ)うたことあらしまへんか?」

 女性はとても驚いた表情で私を見た。

 ないです、と正直に答えると、袋をお湯に浸けて体を擦って使うのだと説明してくれた。

 これで体を洗うのか。

「あの……お手伝い、()りはります?」

 私の無知っ振りに女性が困った表情でそう訊いて来た。

「あ、いえ。大丈夫です」

 お風呂で手伝うって背中流したり?

 流石にそれは申し訳なさすぎるので、丁寧にお断りした。

 女性が「それではごゆっくり」と会釈して出て行くのを見送って、私は早速着物を脱いでお風呂に入った。


 久し振りのお風呂。

 洗面器に代わる桶もなく、ただ体に湯を掛ける取っ手の付いた木桶だけがあった。

 仕方ないので、それに湯を汲んで布袋を浸す。

「熱っ」

 思わず声が出る。

 お湯、熱い。

 あ、追い炊きがないから?

 熱めに沸かしてあるのかな?

 いやいや、これって薪で沸かすんでしょ?

 追い炊きできるよね?

 あれ? 薪ってもしかして貴重?

 いやいや、ただの木だし。

 この熱さがデフォルトなのかな、この時代。

 いろいろ考えながらも布袋を腕に滑らせる。

 匂うとあまり良い匂いではなかったけれど、でも肌がすべすべになる感じがした。

 背中は無理だったけど、届く範囲で体中に布袋を押し当て滑らせた。

 顔も洗ったけど。


「髪、どうしたら……?」

 シャンプーに代わる物も見当たらず、髪もまさかこの布袋で? とも思ったけど、流石に違う気がした。

 仕方なく湯ですすぐだけにする。

 ゴシゴシ指でマッサージしつつ、何度か湯ですすぐも洗った気は全くしなかった。

 何日もお風呂に入れず、髪も洗ってなかったので、湯ですすいでも油っぽさは消えなかった。

 トリートメントまでは言わないからシャンプーしたい。

 そう思いながら湯船に浸かる。

 思ったより深い。

 熱いけど火傷するほどの熱さではなく、慣れれば芯まで温まるようで気持ちよかった。

 だけど、長くは入っていられず、すぐに出た。


 この時代、バスタオルという物は存在しない。

 渡されたのは手拭い一枚。

 脱衣所で少し考え込む。

 大きめの手拭いだけど、少し拭いただけですぐにびちょびちょになって水を吸わなくなる。

 もしかして、これは絞って拭くを繰り返すもの?

 そう思って再びお風呂場に戻り、手拭いを絞って体を拭き、絞っては拭きを繰り返した。

 髪を拭くのは半ば諦めかけた。

 この時代の人達、どうやって髪洗ってたのよ?

 どうやって体拭いてたのよ?

 お風呂入るのがこんなに大変だとは思わなかった。

 これじゃ毎日入らないわ。

 妙に納得しながら、しっとりした体で着物を着る。

 着ながらふとパンツを鴨居に干したままだったのを思い出す。

 その前に脱ぐのは簡単だったけど、この着物、お松さんに着せて貰ったんだった……

 悪戦苦闘していると、渡り廊下をこちらに向かって来る足音がし、戸の前で止まる。

「失礼します」と戸が開くと、先程の女性が手に何かを持って驚いた表情で私を見た。

「あれま……」

 そう言って女性は私の格好を見、次いで床を見、肩越しに風呂場を見て、再度「あれま」と言った。


「……こちらでお体お拭きにならはったみたいやけど」

 言われて私は床に視線を落とす。

 薄暗くて気づかなかったけど、よく見たら風呂場と脱衣所の床板は材質が違っていた。

 板張りだけど地続きではない。

 きっと脱衣所の床は濡らしてはいけない場所だったようだ。

「すみません……」

 私が謝ると、女性は首を横に振った。

「いえいえ、江戸とこっちじゃ文化が(ちゃ)いますやろ? ちゃんと説明せんかったこっちが悪いんで……それと、お着物やけど、それもここでは肌着まででよろしよ?」

「えっ、全部着ないんですか? それじゃ着物はどこで……?」

「汗が引いてからお部屋で着るんがこの辺の……風習やけど。お客はんには羽織をお貸ししております」

 女性が手に持っていたのはその羽織だった。


 文化の違いで納得して貰えて良かった。

 けど。

「床は拭く物貸して頂ければ自分で拭きます」

 そう言うと、女性は目を見開き「お客はんに滅相もない」と慌てた。

「でも粗相したのは私ですし」

「説明しとらんかったあたしのせいやから、お客はんは何も気にせんといてください」

「でも……」

「それより……肌着、ちょっと直させて(もろ)てもよろし?」


 お願いします、と私は俯いた。

 直しながら女性は小声で「江戸のお嬢様は流石やわ」と心の声が漏れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ