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34.マウント

 この時代の医者は診療時間というものがない。

 二十四時間三百六十五日、呼ばれれば行き、来れば診るという感じで定休日も基本ない。

 ただし、基本的には医者が患者の家に出向くスタイルだ。

 それに診察代と薬代がそれなりにするので、よっぽどのことがない限り、庶民が医者にかかることはない。

 とはいえ、玄斎さんは代々医者の家系で、地域密着型のザ・町医者だからか、お金が払えない人には野菜や米などの食材であったり、雑用を手伝ってもらうなど、物か労働で対価を払ってもらっている。

 それに自宅に診察室もあって、往診と自宅での診察の半々で営業している。

 なので、割と日中は患者が多く来院する。


 けれど、今日は珍しく誰も来ない。

 昨日は咳する患者が多かったし、今日はご飯を炊いてくれるお瀧さんが寝込んだということで、薬の準備を任されたのだけど。

 誰も来ないので玄斎さんも一緒に薬の準備をすることになった。

 玄斎さんが薬を量り、それを私が砕いて包む。

 特に会話もあまりなく、ひたすら作業に没頭していたら、鐘が七回鳴った。


「お。そろそろ仕度しぃ。ゆっくり歩いて行きよったらちょうどええ時間になるやろ。帰りは迎えに行くさかい、待たせてもろて」

 そう玄斎さんに送り出され、私は一人、お梅として藤織屋へと向かった。

 お風呂に入るにはまだ日が高い気がしたけれど、ずっとお風呂に入れなかったので今は少しでも早く湯船に浸かりたいと思った。

 お松さんに一度連れて行かれただけだったので、道はうろ覚えだったけれど、それでもなんとか辿り着くことができた。

 店の前で前回、奥の部屋まで案内してくれた番頭さんがすぐに私に気づいて、笑顔で駆け寄って来た。

「お梅はんっ、ささ、奥の部屋へどうぞっ」

 番頭さんに促され、前回と同じ部屋に通される。

 そこには赤い派手な着物に身を包んだお綾さんが、何やら畳の上に並べていた。


「風呂炊いとる間、ここで茶菓子でもどうや?」


 お綾さんはそう言ってご機嫌な表情で手招きした。

 振り返ると「ごゆっくり」と言って番頭さんが襖を閉め、足早に去って行く。

 なぜだか退路を断たれた気分で、私はおずおずとお綾さんの向かいに座った。


「これ、綺麗やろ? ちょうど今日手に入れたんや。特別にあんたにも食べさしたるわ」

 そう言って豆皿にほんの3粒ほど盛られていたのは。

「金平糖? 懐かしい」

 思わず呟くと、お綾さんの顔が引きつる。

「懐かしい、やて? 食べたことあるん?」

 あ。

 この時代、金平糖って珍しい物だった?

 だって、ただの砂糖菓子でしょ?

 昔ながらのお菓子ってイメージだったから、江戸時代でも庶民の食べ物って思ったけど。

「あ、いえ。私が食べたことがあったのは別のお菓子でした。これは……初めてです」

 慌てて取り繕うけれど。

「さっき『こんぺんとう』言うたやんか。なんで嘘吐くんや? もしかして、うちをなめとるん?」

「い、いえいえ。そんなつもりじゃ……」

「ほな、これは見たことある?」

 さっきから視界の端に入っていて、気になっていたのだけど。

 お綾さんが指さしたのは地球儀だった。

 得意気に目の前まで持って来てくるくる回している。

 ここは知らない振りをするのが正解だと思ったので。

「これは何ですか?」

 問うと、お綾さんはにっこり笑んで「この世界のすべてや」と言った。

「うちらがおるんは……ここ? うん、ここや」

 若干、自信なさそうにオーストラリアを指さして言った。

 この時代に地球儀ってあったんだ、と私が興味津々に見つめると、お綾さんは満足そうに笑んだ。

「この『こんぺんとう』はな、こっから船で運ばれて来たんや。織田信長公も食べたんやて。今はこの国でも作っとるさかい、それであんたも食べたことあるんやろけど、元はこっから来た菓子なんやで」

 そう言ってお綾さんがしきりに指さしている場所はアフリカ大陸だった。

 オランダかポルトガル辺りから伝来したはずだけど、「へぇ、そうなんですかぁ」と驚いた振りをした。


 私の知ってる現代の世界地図に比べると、微妙に形が違う国があった。

 でも、ロケットもなければ人工衛星もなかった時代に地球儀を作った人は凄いと思う。

 一体どうやって地球の形を知り、地形を知ることができたのか。

 確か日本地図は長い年月をかけて全国を歩いて測量してできた。

 それも確か江戸時代だったはずだから、既に完成しているかこれから作るのか。

 私は感慨深く目の前の地球儀を見つめた。


「うちはな、この辺の高い物だけやない。こういった南蛮の品も手に入れられるんや。あんたもええとこのお嬢やなんやって話やけど、南蛮の品までは手ぇ出せへんやろ?」

 お綾さんの言葉に私は「ああ」と納得した。

 お松さんの勘違いのせいで、私はお綾さんにとって江戸のお嬢様として見られている。

 だから、お嬢様マウントを取るために金平糖や地球儀を見せて自慢しているのだ。

 お綾さんは勝ち誇った笑みを浮かべているけど、生憎私にそのマウントは通用しない。

 でも、このマウント、私にとっては大歓迎だ。

 お陰でお風呂に入れるし、多分この時代の最先端であろう物に触れられる。

 南蛮渡来の物が手に入るなら、ぜひとも手に入れたい物がある。

 お風呂に入るなら必需品のアレ。


 念願のお風呂に入れるってだけで満足しないといけないのは分かるんだけど。

 でもせっかくなら……!


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