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29.一人三役

 玄斎さんの家に戻り、玄関の戸を開けると、そこには咳き込む患者さんが五人ほどいた。

 具合悪そうな顔が一斉にこちらを向く。


「あら、間が悪そうやね。あたしはこれで失礼するわ。先生にはまた改めて会いに来るさかい」

 お松さんは中に入ることなく、そう言ってそそくさと帰って行き、入れ替わるように玄斎さんが診察室から出て来た。


「何処行って……たんや?」

 私を見た玄斎さんが不機嫌な顔から怪訝な表情に変わる。

 男装から女装……というか本来着るべき方の着物を着ているのに少し驚いた様子だった。

「……薬作るん、手伝(てつど)うてんか?」

 あ、そう言えば掃除とか諸々言いつけられていたのを全部ほったらかしてお松さんと出掛けてしまったんだった。

 慌てて奥の作業場へ走る。

 その背後で患者さんが「今のは?」と問い「手伝いに雇った(もん)です」と玄斎さんが答えていた。


 日が落ちるまでひたすら薬を調合して包む作業をし、最後の患者さんを見送る頃には外は真っ暗になっていた。

「お疲れさん。ほな、そないな格好しとる理由を説明してもらおか」

 一段落したところで玄斎さんが居間へ座るよう促した。

 確かお松さんが持って来た風呂敷包みが居間のど真ん中に置いたままだった気がするし、朝ご飯の膳も部屋の隅に置いたままだった気がする。

 けれど、どれも片付けられていた。

「……えっと、お松さんが来られて……それで、着替えてお綾さんの所へ行って来ました」

「それは風呂敷包みがあったさかい、だいたい察してはおったんやが……」

 そこで玄斎さんは咳払いを一つして、珍しく言い難そうにそっぽを向く。

「男所帯で至らんかったのは悪い思うんやが……腰巻を部屋に投げて行くんは……ちょっと遠慮して貰いたいんやが」

 あ。

 そう言えば、お松さんが実演してくれた後、そのままにしていた。

 パンツを置いて出て行くようなものだよね。

 すみません、と小声で謝って俯く。

「一応、この部屋は客を通すこともあるさかい、起きたらすぐ片付けといてな」

「はい……気をつけます」

 俯いたまま、そう答える。

「で、お綾と会えたんか? 風呂は入れそうか?」

「はい。お松さんのお蔭で。ただ……」

「なんや? 風呂代でも催促されたんか?」

「いえ。玄斎さんと一度話し合いたいと言われまして……」

 その一言で玄斎さんの表情が心底嫌そうに歪む。

「なんで、そないなことになったんや?」

「それは……お松さんが私についてちょっと勘違いしてまして」

「勘違い?」

「訛りがないので大阪の人じゃないと見抜かれまして。それに知らないことがいろいろあり過ぎることにも不審がられまして……それで、記憶喪失だと嘘を吐いたら、なぜか江戸から流されて来たお嬢様ということになってしまって……」

「キオクソウシツってなんやねん?」

「名前も何処の誰かも思い出せない状態のことです」

「年寄りの物忘れみたいなもんか?」

「そうではなくて、頭を強く打ったせいで一時的に記憶が無くなることです」

「ああ。そないな話は聞いたことあるな。せやけど、それがなんで江戸のお嬢様なんや?」

 永久脱毛してる肌とかのせいだと思うけど、それを玄斎さんにはちょっと言い難い。

 なので、さあ? と誤魔化しておいた。


「……馬子にも衣装やな」

 ボソッと玄斎さんはそう言って立ち上がり、「飯にしよか」と奥へ移動した。

 玄斎さんと一緒に台所でお茶を沸かして、汁物を温めるのを手伝う。

 そう言えば、お昼食べ損ねてた。

 その割には空腹感はなかったのだけど『飯』という単語に反応して小さくお腹が鳴った。

 これよ、これ。

 朝鳴って欲しかったのはこの音よ。


 そんなことを考えていると、玄関の戸が開く音がした。

「お、ええ匂いしとるな」

 治兵衛さんの声にドキリとする。

 顔を合わせ辛い。


「ええとこに帰って来たな。ちょうど今から飯にするとこや。今日はもう上がりなんか?」

 玄斎さんが治兵衛さんを出迎える。

「おう。一段落着いたさかい、しばらくは日暮れまでに帰れると……」

「げ、玄斎さんっ」

 二人の会話に割って入る。

「なんや?」

「これ、どうしたらっ」

 火を点けたまま側を離れないで欲しい。

 ぐらぐら煮え立つ鍋に慌てふためく私とは対照的に、玄斎さんは走る訳でもなく普通に歩いて戻って来た。


 そして。

 居間で夕食となったのだけど。


 全員、無言。

 そこに、漬け物を咀嚼(そしゃく)する音だけが響く。

 特に治兵衛さんは掻き込むように急いで食べている。

 そんな治兵衛さんを横目に見て、玄斎さんが漸く口を開いた。

「なんやあったんか?」

 問われた瞬間、治兵衛さんは()せた。

「……口ん中、片付けてから喋り」

 玄斎さんが汚いものを見る目で治兵衛さんを見ながら言う。

 治兵衛さんはゆっくり咀嚼して、ゴクリと口の中の物を飲み込んでから咳払いをした。

「何も……あらへんけど。ところで、なんで梅吉は女子(おなご)の着物を着とるんや?」

 チラ、と不機嫌そうな視線で問われ、私が説明しようと口を開きかけるも、「お綾んとこ行ったようやで」と玄斎さんが答えた。

「お綾? なんで……?」

「こいつは湯屋には行けへんやろ。うちに風呂はあらへんし。せやから、お松と話してお綾んとこがええんちゃうかってなってな」

「お綾が素直に貸す訳ないやろ。それになんで梅吉の格好やないんや?」

「風呂を借りるんやで? 梅吉として行ける訳ないやろ。その格好の時は璃花でええんか?」

「い、いえ。お梅と名乗りました」

「ほな、言い間違えんように常に『ウメ』って呼ぶようにしとこか。治兵衛もええな?」

「ええけど……ややこしいな」

「未来から来た女が璃花。これは誰にも言ったらあかん。梅吉はお前の絵の弟子でこの家の居候の男や。お綾のとこ行く時だけ女のお梅になる。別にややこしゅうないやろ」

 玄斎さんがそう整理してくれたけど、治兵衛さんは顔を(しか)めて天井を仰いだ。


 私も眉間に皺が寄る。

 お風呂に入りたいってことが、こんな複雑なことになるなんて。

 それはそうと、とりあえず今夜は……玄斎さんと治兵衛さんがいるのに体……拭けるかな?


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