26.言い訳
「それが……」
私は正直に話してみることにし、重い口を開いた。
「なんやの? もしかしてまだ描いてへんの?」
お松さんが不機嫌になる。
「いや、描いたのは描いたんですが……」
「ほなら、見せてや。下手でもええから」
仕方なく診察室に置いて来た絵を取りに行く。
そして、裏返したまま畳の上に置いた。
その様子にお松さんは私をちら、と見て、紙を手に取って見た。
その瞬間、目と口が大きく開き、驚きの表情のまま固まった。
「依頼された寝顔と寝起きは……その、ちょっと見れなくてですね……それで、そのぉ……」
しどろもどろに言い訳していると、お松さんは紙を胸に抱きしめ、「はあぁぁぁ……」と溜息を吐いて俯いた。
お、怒られる……そう思ったのだけど。
「お梅ちゃん、イイッ!」
がばっと顔を上げたかと思うと、興奮した様子のお松さんが目をキラッキラさせて頬を赤らめて私を見つめた。
「この絵、ほんまにお梅ちゃんが描いたん? こないな絵、見たことないんやけどっ。これは……まるで紙の中に先生ぇが閉じ込められてるみたいやん。これやったら、いつでも先生ぇと目が合うて……なんや、目の前で怒られとるような気ぃになるやん。この眉間の皺! 冷たい目! あぁ、あかんっ。たまらんっ。ゾクゾクするわぁ……」
え、ゾクゾクって……?
お松さんって、そういう趣味の人……?
早口に言って、うっとりとするお松さんに私は胸を撫で下ろした。
「こないな絵を貰うたからには……こっちも気張らせて貰うで」
お松さんが俄然やる気になっている。
これはお風呂に期待ができそうだ。
お松さんは名残惜しそうに紙を見つめてから大事そうに懐に仕舞うと、畳の上の着物を摘まみ上げた。
「ほな、まずは着物やけど……」
その語尾に怪獣の雄叫びのような音が重なった。
反射的にお腹を押さえる。
「い、今の何? もしかして……腹の音?」
お松さんが一瞬驚いた顔をして、次いで大声で笑い出した。
恥ずかしさにお腹を押さえたまま下を向く。
そういえば、絵を描くことを優先して、朝ご飯まだ食べてなかった。
それにしても、さっきの音、仮にも女の子のお腹の音じゃない。
ひとしきり笑ったお松さんは涙を拭いながら、隣の部屋の膳に気づいたようで、「悪かったわねぇ」と私に向き直る。
「朝ご飯食べずに絵を描いてくれたんやねぇ。着物は後にして先食べ。ほんで、腰巻の説明したるから食べながら聞いてな」
お松さんに促され、私は朝ご飯を食べることにした。
そこでふとお客さんであるお松さんにお茶を出さねばいけないのでは? と思い至る。
「あの、お茶をお出ししたいのですが……その、恥ずかしながら奥向きのことは全然できなくてですね……」
「そないなこと、気ぃ遣わんでええよ。せやけど、やっぱりあんた、お梅ちゃん。ええとこのお嬢さんなん? あ、誤解せんといてな? あんまりそういう詮索するんは好きやないんやけど、ちょっと知らんこと多すぎひん?」
ですよね、そう思いますよね。
と、心の中で深く相槌を打つ。
けれど、未来から来たことを知る人が増えるのは避けた方が良い気がした。
それならば。
「実を言いますと……その、記憶が失くて……」
「ん? どゆこと?」
「倒れた時に頭を打ったみたいで、自分が何処の誰かも分からなくなってしまって……」
「そないなことある? 家も名前も……何も覚えてへんってこと?」
「そうなんです。頭を打った衝撃で、一時的なものだろうとは思うんですけど。それで自分が誰か思い出すまでこちらに置いて貰うことになって……」
「せやったんか。こないに絵が上手いんなら家族か近しい人に絵師がおるかもしれへんね。女の絵師って聞かへんけど……」
言いながらふとお松さんは懐から私の絵を取り出して眺めた。
「これ、そういや何で描いたん? 筆やないやろ? こないな線、見たことないんやけど」
鉛筆と言ったら話がまたややこしくなるかな?
でも、鉛筆と言うしかない気もする。
「……木炭です。細く削って描きました」
治兵衛さん相手じゃ、こんな嘘すぐに見破られるけど、お松さんなら……
「そうなん? 木炭を細うしたらこないな線になるん?」
へぇー、と感心している様子を見ると、誤魔化せたようでホッとする。
「ほな、腰巻はな、こうしてこうやって……」
私の事情を理解したお松さんは持って来た腰巻を自身の体を使って使い方を実演してみせてくれた。
長い白い布を腰にぐるぐる巻いて、紐で固定するだけだった。
つまりノーパンということになる。
生理の時は褌のようなものを着用する。
その中に吸収体として布か紙を挟むようだ。
ちなみにこの褌は『お馬』と呼ぶらしく、理由は馬の顔に似ているから、だそうな。
馬の……顔?
よく分からないけど。
私はそれをご飯を食べながら聞いた。
「あの……中の布を変える時ってどうしたら……?」
「変えんでも一日保つさかい。それにここにずっと出すんやのうて、厠行った時に血も出せばええし」
ん? 何か感覚が違うような……?
「そんなコン……自由に出せるものじゃないと思うんですけど」
うっかりコントロールって言いそうになった。
「ま、うっかり漏れてまうこともあるけど、大抵キュッて締めておけるやろ?」
え? もしかしてお松さんは独特な体質の人?
「いやいやいや。できませんって、そんなこと」
私がそう言うと、お松さんは不思議そうに小首を傾げた。
「東の人はそうなん?」
「東?」
「あんた、この辺の者やないやろ。何も覚えてへんでも訛りがちっとも出んのは、江戸の者やからやない? ええとこのお嬢さんがいなくなった言うたら、えらい騒ぎになるはずやし。江戸から海を流されて大坂へ来たんやったら、江戸で騒ぎになっとっても大坂じゃ分からへんしな」
未来の東京から来たので、江戸時代の大阪で騒ぎになってないのだから、あながちお松さんの想像してることは外れてはいない。
なので、「そうかもしれません」と頷いておいた。
生理に地域差があるとは思えないけど、経血をコントロールできたらいいのにな、とは前から思っていた。
それができる人がいるとは。
驚きつつも冷たいご飯と漬け物だけの朝食はすぐに食べ終わり、片付けは後にして膳の上に伏せて部屋の隅に寄せた。
「食べ終わったようやし、ほな、着替えよか」
お松さんは満面の笑みを浮かべて、仁王立ちになった。




