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25.失敗

 夜半。

 私は紙と鉛筆を持ち、忍者の如く音を立てずに玄斎さんの部屋へ。

 お松さんからのミッションを遂行するためだ。


 玄斎さんの部屋は診察室の隣にある。

 私は玄関を入って土間からすぐの居間で寝起きしているから、その向かいになる。

 手探りで移動し、そっと襖を開けるも、暗さに絶望する。


 この家にはほぼ窓というものがない。

 診察室の玄関に面した方に一つと、台所と作業場の裏庭に面した方にそれぞれ一つ。

 合計三つ、明り取りの小さな窓があるだけだ。

 その上、夜は防犯のために跳ね上げていた板戸を下ろして塞ぐので、家の中は真っ暗になる。

 なので、玄斎さんの部屋も完全なる暗黒に包まれていた。


 これじゃ……寝顔を描くなんて無理。


 私が断念して踵を返そうとした、その瞬間。

「誰や?」

 低い声が闇から響く。

 玄斎さんが私の気配で起きてしまった。

「……夜這いか?」

 本気か冗談か分からない問いかけに、私はパニックになり「トイレと間違えましたっ」と言って慌てて部屋に戻り、襖を閉めた。

 咄嗟の言い訳とはいえ、自分でも外にあるトイレと間違えたって無理がある、と思った。

 けど、『トイレ』という横文字はこの時代の人には通じないはずだから、寝ぼけて訳の分からないことを言ったと思われて誤魔化せた……と思うことにしよう。

 バクバクする心臓を落ち着かせるように胸に手を当てる。

 今日はこんなことばっかりで、眠れそうにない。

 目は冴えていくばかりだ。

 それでも寝起きの顔だけは絶対に描かないと、と決意して、必死に目を閉じて布団を被った。

 このまま朝まで起きていよう。

 そう思ったのだけど。


 誰かが何度も咳払いしてる。

「ちょっと入らせてもらうで? ええな?」

 そう苛立った声がして、襖が開く音がした。

「そろそろ起きや。俺も往診に行かなあかんさかい」

 真上から降って来る声に目を開ける。

 と、そこには玄斎さんの姿が。


「朝飯、隣の部屋に用意しといたさかい、それ食うて片したらこの部屋片付けといて」

 言われてがばっと起き上がる。

 寝てた、私?

「あと、昨日と同じように薬作っといてや。配分は紙に書いて机の上に置いといたさかい、間違えんようにな」

「す、すみませんっ。すぐに起きますっ」

 眠れないって思ってたのに。

 それに目覚まし(アラーム)のない生活は初めてだから起きるタイミングが分からない。

 玄斎さん達は一体どうやって起きてるの?

 慌てて起きるも玄斎さんは木箱を片手に家を出て行ってしまった。


 急いで布団を畳んで押し入れに仕舞う。

 隣の部屋の襖を開けると、お盆の上にご飯と漬け物が用意されていた。

 私の分だけ?

 治兵衛さんのは?

 そう思って家の中を探すも人の気配はなかった。

 治兵衛さんも既に仕事に出掛けたみたいだ。

 昨夜の出来事があって、どんな顔で会えばいいのか、正直気まずかったから少しホッとした。

 そこでふと玄斎さんの寝起きの顔も見られなかったことに気づいて血の気が引く。

 お松さんとの約束……どうしよう?

 玄斎さんのオフショットがなければ、お風呂に入れないかも……


 ぺたん、と力なくその場に座り込み、私は頭を抱えた。

 こうなれば仕方ない。

 よし、想像で寝顔と寝起きを描いてみよう。

 そう思い立ち、治兵衛さんの部屋にある箪笥の引き出しを開ける。

 その奥に隠すようにして納められた風呂敷包みから鉛筆を取り出す。

 未来の物は隠すようにと言われていたけど、鉛筆なら木炭とそう大差ないし、筆では写真のような絵は描けない。

 紙は診察室にあった物を一枚拝借した。

 この時代の紙はノートやメモ用紙のようなツルツルした紙とは違って、少しザラリとして描きにくい。

 削りたての鉛筆だと引っかかる感じがあったと思うけど、以前ひったくり犯や治兵衛さんを描いたので鉛筆の先は……

 削らないと描けないほど芯が見えなくなっていた。

 幸い紙の側に小刀を見つけ、それを拝借して鉛筆の先を削る。

 鉛筆削りで削るより、小刀の方が自分好みの芯の形にできるのが美術部員っぽくて好きだったのを思い出す。

 流石に会社で持ち歩く鉛筆は鉛筆削りで削っていたけど、ふとあの頃の自分を懐かしく思った。


 こんな形でこんな場所でまた絵を描くなんて。

 有り得ない状況にやっぱりこれは夢なのかも、という気がして来た。

 死ぬ前に走馬灯の代わりに長い長い夢を見ているような。


 不思議な気持ちになりながら、私は絵を描き始めた。

 玄斎さんの顔を思い出す。

 でも、思い出せば思い出すほど、不機嫌な顔か呆れているか……怒っている顔しか思い浮かばない。

 きちんとして隙のない玄斎さんから無防備な寝顔や寝起きの顔なんて、欠片も想像できなかった。


 なので、描き上げたのは眉間に皺の寄った怒っている顔になってしまった。


「こ、これは……流石に渡せない……よね?」

 描き上げた紙の上にうつ伏せになった瞬間。

 ガラッと勢いよく玄関の戸が開き、「お梅ちゃん、おるぅ?」とお松さんの声が。

 ビクッとして顔を上げる。

 なんてタイミング……

 やっぱりこの家に監視カメラがあるんじゃ……?


「お、お松さん……」

 仕方なく、おずおずと診察室から出て行くと、お松さんが大きな風呂敷包みを手に期待に満ち溢れた目で私を見た。

「とりあえず、いろいろ揃えて持って来たで」

 言いながらまるで自分の家のように居間の襖を開け、草履を脱いで上がる。

 私もその後を追って居間へと移動した。


 畳の上で風呂敷包みを解いて、着物や紐、布などを並べていく。

「昨日()うてた(もん)とお綾んとこに行く時に着ていく物や。こっちは約束通り揃えて来たけど、そっちは例のモノ、用意してくれたん?」

 鋭い視線で見つめられ、私は先程描いた絵を思い浮かべる。

 寝顔と寝起きの顔を所望しているお松さんに、怒っている顔を渡す勇気はない。

 とはいえ、まだ描けてないと言う勇気もない。

 けれど、寝顔と寝起きの顔を拝める気もしない。


 どうする、私?

 渡す? 渡さない? どっちが正解?


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