24.事故
竈の火を消し、台所の向かい、薬棚のある作業場の机に盥を置く。
そこに鍋のお湯を移して少し冷ましている間に着物を脱いで晒しを解く。
着物は洋服のように上下に分かれておらず、一枚の布のようなものだ。
だから、帯を解けば一瞬で無防備になる。
裸で薄暗い土間に立っている状態は、誰もいなくても、なぜだか少し心細くて恥ずかしい。
それに暖房のない家の中は少し肌寒い。
そういえば、今が文化十四年とは聞いたけど、今日が何月何日なのかも分からない。
栗ご飯やふかしたさつま芋の差し入れを貰ったから、季節は秋なのだろう。
電気がないから、玄斎さんに灯明を点けてもらった。
この時代、台所の炊事や部屋の明かりは全て火を使う。
だから火事が多く、火の扱いに気を配る必要がある。
灯明というのは油を入れた皿に細く撚った蝋燭の芯のような物を半分浸し、その先に火を点けて使用する。
部屋ではこれを木枠と和紙で囲った行燈を使うけれど、一時的に利用する場所では行燈の木枠を外したこの灯明を利用するらしい。
蝋燭は? と訊いたら、蝋燭は高価な物らしい。
玄斎さんが竈に火を点けてくれる時に聞いた知識で、私の知らないことが多くて、できないことばかりだと改めて思った。
揺れる小さな炎は蛍光灯の灯りと違って明るすぎず、どこか落ち着くような癒されるような、ずっと見つめていたくなるような不思議な魅力がある。
けれど、灯りがなければ家の中は真っ暗で、マンションのワンルームとも現代の戸建てとも違う、昔の家独特の雰囲気は幽霊でも出て来そうな怖さがある。
そこに手拭いをお湯に浸し、絞る水音だけが響く。
温かいお湯で体を拭く。
その温もりが冷えた肌に染みて気持ち良かった。
全身を拭くと体も温まり、少しさっぱりした。
髪も洗いたかったけれど、ここでは贅沢なことみたいだ。
温くなったお湯でついでに顔も……と洗い始めた瞬間。
ガラッと玄関の戸が開く音がした。
玄斎さんがもう帰ってきたのか。
慌てて着物を掴んで体に押し当てて隠す。
顔を洗ってる途中だったので、すぐに羽織れなかった。
「腹減っ……」
治兵衛さんの声が途中で止まる。
「や、すまんっ。な、何も見てへんでっ」
言いながら走って外へ出たようで、再びピシャリと戸が閉まる音がした。
そっと玄関の方を見て、次いで自分の姿を見る。
絶対見られた。
恥ずかしさにその場にしゃがみ込む。
突然の出来事に心臓がバクバクと大きく響く。
玄関から奥まで長い通路で続いていて、玄関から見て右側が台所、左側が作業場になっているのだけど、その間に立っていたので、丸見えだったに違いない。
作業台の上に置いた油皿の光量だけでは薄ぼんやりとしか見えなかったとしても、裸なのはバレバレだ。
一応パンツだけは履いていたけれど……
せめて着物を羽織ってから顔を洗えば良かった。
誰もいないからと気を抜きすぎた。
いや、そもそも玄関が開かないようにつっかえ棒をしておけば良かった。
いろいろと悔やまれるけれど、とりあえず今はきちんと着物を着なきゃ。
そう気を取り直して、お松さんにして貰ったように晒しをキツく巻いて、着物を着る。
帯は治兵衛さんに結んで貰ったようには結べなくて、簡単にリボン結びにした。
治兵衛さん、外で私が着替えるのを待ってる……んだよね?
着替えたからもう入っても大丈夫って……言わないと駄目……だよね?
でも、裸を見られた後に声を掛けるのは……気まずすぎる。
なんて言えばいいの?
黙って戸を開けるだけじゃ、駄目……かな?
おずおずと玄関に近づく。
そっと戸を開けると、そこに治兵衛さんの姿はなく、通りに出て見回してみるも見当たらなかった。
しかも外は家の中よりも寒くて、お湯で拭いて温まったと思った体は一気に冷えてしまった。
何処に行ったんだろ?
探しに行った方がいいのかな?
迷っていると、通りの向こうに湯屋から帰って来た玄斎さんの姿が見えた。
私に気づくと、駆け寄って「どないしたんや?」と問われるも、治兵衛さんに裸を見られたとは言い難い。
「それが……治兵衛さんが戻って来られたんですが……また何処かへ行ってしまったみたいで……」
とりあえず、それだけ伝えてみる。
「作業場に戻ったんとちゃうか? 筆か何かを取りに来て、そのまますぐ出て行ったとかやろ。あいつは忙しい時は家に帰って来んことも多いさかい、そう気にせんでもええで」
何か物を取りに戻った訳じゃない。
お腹を空かせて帰って来たってことは、仕事が終わったのだと思う。
出て行ったのは私の裸を見ちゃったせいで……
それが分かっているだけに玄斎さんの言葉を素直に受けれない。
「……そないに心配やったら」
私が気に病んでいると思ったのか、そう言いかけた玄斎さんは目を細めた。
「帰って来たみたいやで?」
言われて振り返ると、治兵衛さんがゆっくりと歩いて来るのが見えた。
が、私と視線が合うや否や、猛ダッシュでこちらに駆け寄ったかと思うと、そのまま横を素通りして家の中に入ってしまった。
「なんや?」
玄斎さんも不思議そうに玄関から中を覗き、首を傾げながら家の中に入る。
私も何とも言えない恥ずかしさと罪悪感を胸に、家の中に入った。
治兵衛さんは既に自分の部屋に入っていて、襖が閉まっていた。
玄斎さんが「治兵衛、飯は?」と声を掛けると腹減ったと言って帰ってきたはずなのに「食った」という返事が。
これは……明日の朝、どんな顔して会えばいいんだろう……?




