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21.正体

「虫が風邪の原因やて? 目に見えへん(もん)をどうやって退治したらええねん? 未来じゃ簡単にできることかもしれへんが、原因が分かっても江戸時代(ここ)じゃでけへんのやないか?」

 玄斎さんが信じ難いという風に険しい表情になる。

「予防と感染経路の遮断は可能です。うがいと手洗いの徹底、部屋の換気と患者の触った物を消毒するなどして感染を広げないことが重要です。消毒はアルコール……度数の強い焼酎で拭くことでウイルスから身を守ることができます」

 私の言葉に玄斎さんはしばし考え込むように腕組みし、黙り込んだ。


 それから少しして、顎に片手を当てながら真っ直ぐに私を見つめた。

「飛沫っちゅうことは……咳する時に散る唾ん中にその『ういるす』がおって、それが付着することで人に感染(うつ)る。せやけど、付着したところをすぐに洗い流すなり、焼酎で拭くなりすれば、感染(うつ)らんかもしれん。そういうことやんな?」

 理解が早い。

 未来の知識は信じ難く、受け入れられないかもと思っていたけど、玄斎さんは柔軟性がある。

「はい。咳が酷いと喉が荒れるので、部屋の湿度を上げることで少しは緩和することができます。乾燥することが喉には良くないので、濡れた布を室内に干すなどして湿度を上げると多少はマシになると思います」

「あんたは医者やなかったやろ? そんな知識も寺子屋で教えるんか?」

「いいえ。未来ではテレビやインターネットというものがあって、それで瞬時に様々な情報を伝えることができるんです。例え世界の裏側で起こった出来事でも、この場にいながら知ることができるんです」

「この国の外で起こったことも?」

 玄斎さんは到底信じられないと言った風に眉間に皺を寄せた。

 私が頷くと、片手で顎を擦りながら深い溜息を吐いた。


「先生ぇ、薬はまだでけへんのですかぁ?」

 診察室の方から声を掛けられ、玄斎さんは「今行くさかいっ」と答えた。

「この話はまた後でな。とりあえず、さっきの薬を包んでこっち持って来て。今来とる患者、()かしたら消毒とやらを頼むわ」

 そう言って玄斎さんは診察室へと小走りに戻って行った。


 私も急いで紙に書かれた分量を確認しながら薬を量る。

 漢方薬といっても私の知ってる物は錠剤だ。

 こんな原材料を扱うのは初めてだ。

 生姜は料理でもよく使うから見慣れてはいるけど。

 このまま渡してどうやって飲むんだろう?

 煎じるのかな?


 そんなことを考えたのは最初だけで、その後は何も考える暇なく、次々来る風邪と思しき患者さんのために、ひたすら薬を量っては診察を終えた患者さんに渡した。


「お疲れさん。ほな、手洗いとうがいをして、お茶しよか」

 最後の患者さんを見送ったところで、玄斎さんがそう言った。

 やっと休める、と心の中で叫んで腰を伸ばす。

 ずっと立ったまま薬を量っていたので、足腰が疲れた。


 水道が無いって不便だな、と思いながら裏庭の井戸で水を汲んで手を洗う。

「そういえば、石鹸って無いんですか?」

「せっけん?」

「洗剤というか……手を洗う時により汚れを落とすような……」

「うちは灰汁(あく)とか米ぬかを使うが、洗粉(あらいこ)っちゅうのもあるな。高級品やと『しゃぼん』っちゅうのもあるが、俺は見たことあらへん」

 しゃぼんってもしかして石鹸なんじゃ?

 この時代にもあるにはあるんだ。

 石鹸すら無いなんて……シャンプーの代用品なんて絶望的だ。

「そういえば……お風呂は……?」

「うちにはないで。湯屋へ行くしかあらへんけど、二、三日に一回くらいやね。江戸じゃ朝と夜の一日二回入る人もおるらしいんやけど、この辺は毎日行く人もおるにはおるが、二、三日に一回が普通や。ちなみに今日は入りに行こう思うとるんやけど……あんたはどないしよかね? それもちょっと相談せな思うとったんや。湯屋にはさすがに連れて行かれへんし……」

 毎日入らないんだ……

 お金持ちの家に拾われてたら家の敷地内にお風呂があって、毎日入れて、石鹸も使えたんだろうか。

 シャワーが恋しい。


 そうこうしていると、「先生ぇ、おるぅ?」と玄関から女性の声がした。

 玄斎さんと一緒に向かうと、「お芋なんやけど、よかったら食べて」と布の掛かったザルを渡された。

「いつも悪いな、お松」

 玄斎さんがそう言うと、お松さんは「ええのよ。先生にはいつもお世話になっとるさかい」と笑顔になったが、その笑顔が何かを含んだような笑みに変わる。

「そういえば、先生ぇ、妙な噂されてはるみたいやねぇ」

 その一言に玄斎さんはうんざりした様子で「せやねん」と溜息を吐いた。

「誰が噂しとるんか知らんが、今日も患者からいろいろ訊かれて困っとるんや」

「こちらがそのお噂の?」

 お松さんが私を品定めするように視線を上下させる。

「ああ、せやねん。梅吉()うて治兵衛の弟子や。今日は俺の手伝いしてもろうたけど。俺らが梅吉(こいつ)を囲うてるんちゃうで。面倒見たってるだけや」

「実際に()うてみたら、よう分かりましたわ。せやけど、先生。囲うてるんは間違(まちご)うてへんのとちゃう? こちら、お梅ちゃんって呼んだらええ?」

 お松さんのその言葉に私は凍り付く。

 玄斎さんも一瞬言葉を失って固まっていた。

「……何を言い出すんや」

「誤魔化しても駄目やで、先生。この程度じゃ隠しきれてへんで?」

「せやけど、今のところ誰にも気づかれてへんで? せやからあないな噂が……」

「男と女じゃ体の作りがちゃいます。それは医者である先生の方がよう分かっとるんとちゃいますのん? あたしがちょいと手を貸しましょか?」

「……ええのか? 皆には黙っといてくれるんか?」

「お梅ちゃんは先生の(なん)なん?」

「何て……梅吉(こいつ)は治兵衛が拾うて来たんや。絵師の才があるさかい、治兵衛が俺に頼み込んでここに住まわせて面倒見たってるだけや。囲うやなんてことは俺も治兵衛もそんな気はあらへん」

「ほな、お梅ちゃんは治兵衛さんのことが好きなん?」

 急に話を振られ、私はドキリとしつつも、「いいえっ」と手を振って全力で否定した。

「……年頃の男女が一つ屋根の下やなんて。家出したにしろ、追い出されたにしろ、他に行くところはなかったん?」

「それには事情(わけ)があるんや。女であることが知られるんは……どうしても避けたいねん」

「……ま、男女の関係にならへん自信があるんやったら、秘密も守って手も貸してもええけど?」

 お松さんはそう言いながらも私を値踏みするように目を細めて見た。

 が、玄斎さんは安堵したように軽く息を吐いた。

「お松がそう()うてくれて心強いわ」

 玄斎さんがそう言って軽くお松さんの肩を叩くと、お松さんは照れたように笑み、軽く身をくねらせた。


 ん?

 まさかお松さんは玄斎さんのことが?


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