19.噂
「俺は言葉での謝罪は信じん。それにな、簡単に頭下げる者の言葉も信じん。ちょっとしたことや思うとるやろ? なんでこないに怒られなあかん思うとるやろ? 俺のやっとることはな、失敗でけへんのや。俺の判断と行動が命に直結しとるからや。せやからな、誰でも間違いはあるもんやけど、間違ったらあかんこともあるちゅうこと、よう肝に命じといてや。分からんことは聞く。勝手に判断せぇへん。分かったら顔上げて飯にしよか。ちょっと荷を置いて着替えて来るさかい、膳の用意しとって。今朝もやったから、できるな?」
玄斎さんの問いに私は俯いたまま「はい」と絞り出すように頷く。
立ち去る玄斎さんの足音を聞きながら、私はゆっくりと顔を上げた。
医者という職業がどんなものか知ってた。
現代だったらこんな勝手なことしてない。
だって、私がしたことは薬局の薬棚を勝手にいじったのと同じことだ。
錠剤やカプセルみたいな薬じゃなくて、乾燥した草が入ってる棚だったから、薬だっていう感覚が薄かった。
引き出しの文字も現代とは少し違っていたけどなんとなく読めたから。なんとなく分かったから。
もし読めなかったら触ってなかった。
それに会社の先輩に整理整頓をしなさいって言われてたから、ちゃんと並べようって思った。
もしそんなこと言われてなかったら、こんなことしなかった。
あ。
私、今、言い訳してる。
玄斎さんに対してじゃない。
自分に対して、言い訳してる。
いつもそうだ。
上司に怒られてる時も先輩に嫌味を言われた時も。
心の中でこんな風に言い訳してた。
自分が傷つかないように。
私は悪くないって。
玄斎さんはきっとこんな私も見透かしてた。
また……追い出されちゃうのかな。
不安になりながらも私はとりあえず言われた通りにお昼ご飯の用意を始める。
今朝の残りの栗ご飯を茶碗によそう。
里芋の煮物と柿は治兵衛さんが作業場に持って行ってしまったので、三人目か四人目か、後から来た女性が持って来たジャガイモと人参の煮物を皿に盛った。
配膳が終わったところで着替えた玄斎さんが黙ったまま座って箸を手に取る。
重い沈黙の中、咀嚼と食器の音だけがいつもより大きく聞こえる。
朝は美味しく食べた栗ご飯も今は味がしない。
気まずすぎる。
玄斎さんはさっさと食事を終えると、「悪いんやけど、ここ片しといて」それだけ言って部屋を出て行った。
また往診に行くのかな?
江戸時代の医者って家で診ないの?
診察室っぽい部屋が玄関脇にあるのに。
そんなことを思っていると。
「玄兄ぃっ」
勢いよく玄関の戸が開いて、息を切らせて治兵衛さんが帰って来た。
「なんや、騒々しい」
玄斎さんが診察室から顔を出すと、息を整えながら「大変や」と治兵衛さんが言った。
その様子に玄斎さんが神妙な顔つきになる。
「何があったんや?」
「玄兄ぃ、梅吉のことが近所でえらい噂になっとるで」
「噂てどんな?」
「可愛らしい色男がおる言うんと、凄い絵を描く者がおる言うんと。それが俺の弟やとか玄兄ぃの親類やとか。それぐらいやったらまだええんやけどな」
「他に何を言われとるんや?」
「ウメが俺らの陰間やと思われとる」
治兵衛さんのその言葉に玄斎さんは言葉を失った。
「……そんな噂、これまで出たことあらへんかったやんか。なして、こいつと三人……三人やで? 二人や無うて三人になった途端にそないな噂になるんや?」
声を荒げる玄斎さんに「俺もさっぱり分からへん」と治兵衛さんが首を横に振った。
陰間って何だろ?
けど、話の流れから察するに……もしかしてBLってこと?
「……それでか。今日往診行った時になんや視線を感じる思うたんや。そういう目で見られとったっちゅうことか」
言いながら玄斎さんの視線が冷たく私の方へ向く。
私のせいだ。
私がいるせいで……
「こういうもんは早うどうにかせな。誰がこないな噂しとるんやろか? お菊やろか? 今朝も一番にうちを訪ねて来たやろ」
「うちの春蝶が作業場で梅吉の話をしとったさかい。あっこから広まって尾ひれが付いたかもしらん」
「それにしたかて、梅吉を囲うとる話になるか? ただの弟子やんか。もっと男らしゅうさせな……」
言いながら玄斎さんの視線は私の頭で止まる。
「月代はそれじゃ無理やで、玄兄ぃ」
治兵衛さんが止めてくれる。
「そら分かっとるが……顔が女顔やけぇ。ま、女なんやから仕方ないんやけど……あれやな。こうなったらお菊に喋らせるか」
「お菊にて……あ、せやな。その手があったな」
二人の間で何やら結論が出たようだけど。
お菊さんって今朝ここに来た治兵衛さんに恋してる人だよね?
彼女に何を喋らせるつもり?
もしかして、噂のことを問い詰めるつもり?




