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1.夜の底に落ちた日

挿絵(By みてみん)「初めからやり直して来いッ」


 怒号と共に紙が舞った。

 すみません、と小さな震える声に上司はさらに顔を歪めた。

 が、何も言わず席を立って執務室を出て行った。

 苛立った足音が遠ざかって行くのに、なぜか耳の奥で大きく響いた。

 残された私は涙を堪えてしゃがみ込み、床に散らばった書類をかき集める。


「まただよ」

「今日も残業確定だな」


 ひそひそと呟く声が耳に刺さる。

 聞こえない振りをするのは慣れた。

 平気な振りをするのも慣れた。

 皆の前で罵倒され、最初は恥ずかしい気持ちでいっぱいだったけど、今はもうそれにも慣れてしまった。

 何事もなかったかのように書類を両手に抱えて席に戻る。


 都内の高層ビルの十八階。

 そこが私の働くオフィスで、面接で訪れた時はこんな綺麗で素敵なオフィスで働けたらいいな、と思った。

 採用が決まった時は、オフィスドラマみたいな日々が始まるのだとわくわくした。


 小さい頃から漫画家になりたくて、中学、高校と美術部だった。

 鉛筆一本で写真みたいな絵も描けるのが自慢だ。

 けれど、進んだ道は国立大学の経済学部。

 銀行員の父と公務員の母のもとで育った私は、なんでも現実的な方を選ぶ癖がついていた。

 絵じゃ食べて行けないし、漫画家も私には現実的じゃなかった。

 何社も受けて内定が貰えた今の会社に入った。


 なんとなくの惰性の積み重ねで気づけば入社三年目。

 仕事はさすがに覚えた。

 だけど、オフィスドラマみたいな日々とは全く違って。

 思ってた仕事ともかけ離れていて。

 毎日が辛くてしんどくて。

 死にたいなって日に何度も思っちゃうほど、疲れ果てていた。


 私の上司はコンプライアンスって言葉が通じないような人で、口が悪く、態度も横柄だった。

 口は悪いけど、悪い人じゃないから、と先輩に言われたけど、悪い人にしか見えない。


「髪切ったのか。彼氏にでも振られたか?」

 髪切った女子社員に必ず言うセリフ。

「お前はコピー機か? ここ、明らかに誤字だろうが。こんな簡単な校正もできないのかっ」

 こんな風に皆の前で大声で怒鳴り散らすことも多い。


 そして、怒られる対象はほぼ私だ。


「これ、明日までに付箋の箇所、修正しといて。原本はチャットでいいから送っといて」

 席に戻って集めた書類を机に置いた私に先輩が声を掛ける。

「……机の上、もう少し整理したら? これじゃ、何処に何があるか分かんないでしょ」

 紙の束を置く場所に迷って私に手渡すと、溜息を吐いて足早に去って行った。

 束から覗く付箋の多さに私も思わず溜息が出る。

 机の上を眺めて再度溜息を吐く。

 机の真ん中には拾い集めた書類の束、机の両サイドには今日中にチェックしないといけないファイルがあるし、手の中の書類の束の重みに逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。

 メールも溜まっている。

 帰れるのは何時だろうか。


 案の定、気付けば広い室内に人の姿はなくなり、時計を見れば夜の十時を過ぎていた。

 繁忙期だったらこの時間でも残業をしている人はいるのだけど、今日は私が最後のようだ。

 そういえばお腹空いたな、と席を立って給湯室横の自動販売機に向かう。

 缶コーヒーを買って、なんとなくすぐに席に戻る気にならなくて、廊下の窓から外を眺めた。

 夜でも明るくて、私以外にもこんな時間に働いている人はいるんだな、と思うと慰められる気がした。

 窓を開けると初秋の冷たい風が吹き込んで、気持ちよかった。

 落下防止のためか、高層階の窓は半分しか開かない。

 それでも吹き込む風に眠気も吹き飛んで、すっきりした気持ちになる。


「よし、もうひと頑張りするか」


 大きく伸びをして、窓を閉めようと手を伸ばした。


「ん? あれ?」


 開ける時はスムーズだったのに、閉めようとするもビクともしない。

 そう言えば、少し前に鍵が壊れているので開けないでくださいと通知があったような……

 一度開く方向へ押して反動をつけて閉めたらどうかと思い、押した瞬間、半分しか開かないはずの窓が勢いよく全開し、予想外の動きにバランスを崩した私は窓の外へこけた。

 というか、落下した。


 やだ。

 これじゃ、自殺したと思われちゃう。

 

 死ぬ、というよりも先に私はそう思った。

 

 風が頬を叩く。

 ビルの窓が、一つ、また一つと、上へ上へと遠ざかっていく。

 

 でも、不思議と冷静だった。

 

 私が死んだらあの上司は少しは悪かったって反省するかな?

 自分のせいで私が死んだって罪悪感でいっぱいになるかな?

 

 落ちながら、冷たい風に晒されながら。

 恐怖よりも、そんなことばかり考えていた。


 その視界の端にまるで私を追って落下してくるような花びらが一枚、見えた気がした。


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