15.自己紹介
「なんや? 言われへんような事でもあるんかいな?」
玄斎さんの鋭い視線に「い、いえ」ととりあえず否定する。
「この時代といろいろ違いすぎて……何をどう伝えたら良いか、言葉が思いつかなくて……」
しどろもどろに正直に伝える。
「ほな、こっちから質問するわ。歳は? 結婚は?」
「二十五歳です。結婚はしてません」
「他人のこと言われへんけど、結婚してへん理由はなんや?」
「特にありませんけど……未来では割と普通ですよ。女性も男性と同じように働いてますし、私の場合は就職を機に東京……江戸で一人暮らしをしてます」
「女が一人で暮らすのも普通なんか?」
「はい、割とそうですね。男女平等の考えが広まって、どの仕事にも就けるようになりましたし」
「平等って……女の同心がおったりするんか? あんたの奉公先は?」
「同心とは呼びませんが、いますよ。私の仕事は……広告……じゃなくて、事務……」
私が言葉に困っていると「絵の仕事か?」と玄斎さんが問う。
「いいえ。絵も扱いますが、私は携わっていませんでした。絵は学校……寺子屋に通っていた時に習いました」
授業ではなく中学、高校の部活でだけど、説明するのが面倒なので省いた。
「未来じゃ寺子屋で絵も教えるんか。皆あんな絵を描くんか?」
治兵衛さんが驚いた声を漏らす。
『あんな』というのは『写真のような』という意味だろう。
「いいえ、皆ではありませんが……絵を教える専門の寺子屋があったり、そういうところに行かなくても未来では誰もが簡単に学べる環境があるので」
インターネットがあれば文字だけでなく、動画でも何でも知ることができる。
遠く離れた人から直接教わることもできるし、誰もが生徒であり、また教師にもなれる。
話しながら、私はかなり恵まれた環境にいたのだと気づく。
別に漫画家になるために美大が必須だった訳でもなければ、漫画家になれなくとも漫画を描くことはできた。
それを本という形にしなくてもインターネットで皆に見てもらうことだってできた。
だけど、私はそうしなかった。
職業にしなくたって趣味で描いても良かったのに、私はなぜ簡単に諦めたんだろう?
物心ついた頃からずっと憧れて、ずっと美術部で絵を描いていたのに。
絵を描くことが好きだったのに。
あ。
言われたからだ。
言われて気づいてしまったからだ。
「……ほんまに同じ者が描いた絵か?」
番所で同心に言われた言葉。
あの時の同心や岡っ引き、それから治兵衛さんの表情。
あんなことが過去にもあった。
「えっ、本当に美術部なん?」
たった一言だった。
悪気がないのも明らかで、正直な感想だった。
「あれだけの絵が描けるのに絵の仕事をしてへんっちゅうことは、未来では絵師は男の仕事なんか? それとも他に理由があるんか?」
治兵衛さんの問いで回想から現実に引き戻される。
「……私は諦めたんです。私の絵ではお金を稼げないって勝手に思い込んで」
顔が自然と下に向く。
「あの絵が金にならへんっちゅうことは、未来ではあないな絵が描ける奴がぎょうさんおるっちゅうことか?」
「はい。割といますよ。それに私は自分の目で見た物は描けますが、想像して描くことが苦手で……六年も絵を学んだのに全然学んでない人よりも下手だと気づいてしまって……それで諦めたんです。才能ないって分かったんで」
そう言って顔を上げ、笑って見せると、治兵衛さんが真剣な表情で「阿呆か?」と私を見つめた。
「たった六年で絵の何が分かんねん? 下手や、才能ないわぁって気づいたっちゅうことは、上達したから気づいたんやろ? 絵師はな、一生学ぶねん。一生成長すんねん。あれだけの絵を描いといて諦めるんは勿体ない思うで?」
治兵衛さんの言葉がなぜか心の奥にすとん、と落ちて来た。
高校の時、仲の良い友達に「美大に行かないのは勿体ない」というようなことを言われた。
あの時は今みたいに全然響かなかった。
だけど、今、治兵衛さんの言葉は腑に落ちたというか、とてもよく理解できたというか。
「ここでまた、絵を描いてみぃひんか? それとも絵を描くのは嫌いか?」
「嫌いじゃ……ないです」
「ほな、すぐには無理やけど、絵が描けるようにしたるさかい」
ニッと笑う治兵衛さんの横で玄斎さんが呆れた表情で片手を顎に当てながら、
「さっきから絵の話ばっかりしとるが、生活の心配せなあかんのとちゃうか?」
そうぽつりと漏らした一言に治兵衛さんは改めて私を見た。
「せやな。ところで、一人で暮らしとったんやったら奥向きの事はできるんやろな?」
奥向きって?
もしかして家事のこと?
ならば、家電があれば可能だけど、手動では全くの未経験だけど?
ってことは、居候失格?




