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13.家

「未来?」

 治兵衛さんが驚いた表情で立ち上がり、玄斎さんは「何を言ってるんだ?」と言いたげに眉を(しか)めた。


「具体的に言うと、二、三百年くらい先の未来です。どうやって来たのかは私も分かりません。目が覚めたら江戸時代の大阪で……だから、どうやって帰ったらいいのかも分からなくて……」

「……ほな、未来から来はったんやったら、これから何が起こるかも分かるやろ。例えば、次の元号とか、滝沢(たきざわ)馬琴(ばきん)の八犬伝の結末とか」

 玄斎さんの言葉に知ってる名前があったが、質問に答えられなかった。

 滝沢馬琴の南総里見八犬伝は超有名だけれど、かなりの長編で読んだことはなかった。

 ドラマや映画にもなっているけど、それでも見たことはなく、なぜ見なかったのかと後悔する。

 馬琴ってちょうどこの時代の人だったのか。

「なんや、答えられへんのか?」

 玄斎さんの目に疑いの色が浮かぶ。

 次の元号も八犬伝の結末も知らないけれど、知ってることだってある。

「文化の次の元号は知らないけど、江戸時代の次の元号は明治です。八犬伝は98巻106冊で完結します」

 どれだけ長編なのかと気になってそこだけは調べたことがある。

 98巻106冊というのは、1巻が上下巻に分かれていたりして、それで冊数が巻より多いのだ。

 キリよく100巻とかにすれば良かったのに、と思ったのを覚えている。

「結末を訊いたんやけど?」

「……読んだことないので。それに未来から来た証拠はこのスマホで証明します」

 高校時代、歴史の成績はそれなりに良かったのだけど、使わない知識はすぐに忘れてしまう。

 知識を求められても答えられないことの方が多いので、手っ取り早く私は未来の科学技術を見せることにした。

 スマホでカメラを起動し、動画を撮る。

「そ、その板がなんやねん? 何する(もん)なんや?」

 レンズを向けられ、治兵衛さんが怯えた様子で玄斎さんの隣にくっつく。

 喋って動いてくれたので、撮影を停止して画面を二人に向け、再生ボタンを押す。

 画面に映る先程の様子に、二人は目を丸くして声を失った。


「い、今の……俺がっ、そん中にっ」

 治兵衛さんが声を震わせて後退るのに対し、玄斎さんは近づいて画面を覗き込んだ。

「玄兄ぃ、そんな近づいたら魂吸い込まれんでっ」

 治兵衛さんが近くの柱にしがみついて、しゃがみ込む。

「こんな薄い板でこないな絡繰り……確かに異国でも無理そうやな」

 顎に片手を当ててスマホをじっくり眺め、次いで私の顔を見た。

「……ま、ひとまず未来から来たっちゅう、突拍子もない話は信じたるわ。俺らには真偽を知る術はあらへんしな。行くとこがない理由と金があらへん理由もそれで納得したるわ。せやけどな、うちに置く訳にはいかんことには変わりあらへんよって、出て行ってもらえるか?」

 話は結局振り出しに戻った。

 水戸黄門の印籠のように突き出したスマホは無駄だった。

 信じて貰えたけれど、ここに置いて貰えないのなら何の意味もなかった。

 力なく腕を下ろし、電池節約のため、とりあえず電源を切る。

 そして潔く覚悟を決めて、深呼吸する。


「分かりました。お世話になりました」

 深々と頭を下げてから、私は玄関を出た。

 すっかり夕闇の降りた通りを見回し、当てもなく歩き出す。

 どこへ向かっているのか、これからどうすればいいのか、何も分からないまま。

 ただ、両手に抱えた風呂敷包みだけが私の物で、ここには私の居場所はなくて。

 そう思うと、足取りは徐々に緩やかになり、涙が出て来た。


 ここには私を叱る嫌な上司も同僚もいない。

 けれど、私を知っている人も誰もいない。

 嫌な場所から逃げられたけど、こんな孤独な場所でどう生きればいいのか。


 そこでふと思いつく。

 ビルから落ちて死んで江戸時代に来たなら、ここでも死にかけたら元の時代に戻れるんじゃ?


 でも、ここには十八階なんて高い建物はない。

 サスペンスドラマみたいに崖から落ちる?

 でも、この辺に崖はなさそうだ。

 なら、橋から?

 大阪なら道頓堀?

 そういえば、ここは大阪の何処だろう?

 瓦町って言ってたけど、道頓堀は遠いのかな?


 そんなことを考えていたら、何処だか分からないけど橋を見つけた。

 橋の上に立って川を覗き込む。

 日が落ちて暗い水面の深さは計り知れない。

 あんまり深くなさそう。

 いや、意外に深いのかな?

 落ちたら死んじゃうかな?


「おいっ、何しとんねんっ」

 不意に肩を掴まれ、強引に欄干から引き離され、私はバランスを崩して後方に倒れそうになる。

 反射的に目を瞑り、再度目を開くと、そこには治兵衛さんがいて、私を支えてくれていた。

「何馬鹿なことしとんねんっ」

 私を抱き起しながら、真剣に怒っている表情に反射的に「すみません」と小さく謝る。

 死ぬつもりではなかったのだけど。

 

「……治兵衛には敵わんわ。俺の根負けや。うち帰るで」

 私の風呂敷包みを拾いながら、玄斎さんが促す。


 帰り道。

 私が出て行った後、治兵衛さんが「俺がこないに土下座して頼んどるんやで? 面倒見て責任も取るさかい。それやったら文句あらへんやろっ」と啖呵を切って出て行ったと玄斎さんが話してくれた。

 こんな治兵衛さんの姿は珍しいそうで、玄斎さんも仕方なく、本当に渋々私を置くことを承諾したらしい。


「自分も家出して俺んとこ転がり込むまでになんやあったらしゅうてな。未だに言わへんけど、それであんたのことをどうにも他人事のように考えられへんのやろ」

 そう玄斎さんに言われて、治兵衛さんの方を見ると、少し照れたような表情で押し黙っていた。

 その横顔に「ありがとうございます」と礼を言う。

 治兵衛さんは何も言わず、頭を掻いた。


 こうしてなんだかんだで、住むところができた。

 それはとても大きな安心感があって、胸の奥がじんわりと温かくなった。


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