11.問答
外に出ると、綺麗な夕焼け空が広がっていた。
「途中から忙しゅうて構ってやれんかったが、大丈夫やったか?」
作業場を出たところで、治兵衛さんがそう訊いて来た。
「はい。お昼は春蝶さんと一緒にいましたが、その後は春蝶さんも忙しくなって、助さんと格さんのお手伝いをしていました」
名前を聞いた時、思わず吹き出しそうになったのは内緒だ。
言っても通じない。
「助は面倒見が良い奴やからな。格は無愛想やったろ?」
「無愛想というか……口数の少ない方ではありましたけど。お二人にはいろいろと丁寧に教えて頂きました」
助さんから聞いたが、作業場にいるのは十一人で、彼ら全員が絵師という訳ではなかった。
絵師は治兵衛さん、春蝶さんともう一人いて、彫師が三人、摺師が三人、見習い兼雑用係が助さん、格さんの二人。
そして、この作業場を仕切っているのが治兵衛さんらしく、実は凄い絵師なのかも。
ここでは『治兵衛』ではなく『春好』と呼ばれている。
絵師は画号で呼び合うことが多いそうだ。
春好という有名な絵師っていたっけ?
美術部だったけど、美術史は実はあまり詳しくない。
特に日本の美術というか浮世絵を部活で扱うことは全くなくて、余計に知らない。
北斎とか広重くらいなら流石に知ってるけれども。
それから一階は書店ではなくて版元というところで、出版社のようなところらしい。
版元が何か知らないことには助さんだけでなく、格さんも「知らんのかいな?」と物凄く驚かれたけど。
二人の説明を要約して現代風に理解すると、本や浮世絵などの出版物を企画し、販売までの一切を仕切る、事業の元締めのようなものらしい。
今日は複数の締め切りが重なっていて忙しかったようだ。
治兵衛さんと私は先に帰ることになったが、他の人達はまだ残って作業をしている。
残らなくても良かったのだろうか。
格さんは徹夜になるかもって言ってたのに。
「それにしても今朝はえらい焦ったわぁ。よりによって同心の所へ行くことになるやなんてなぁ」
参ったわ、と治兵衛さんは大きく深く息を吐いた。
「すみません。私のせいで……」
「いや、俺がうっかりしてたせいや。しっかし、それにしても絵が上手いなぁ。師は誰やねん?」
漫画と美術部の先生です、とは答えられない。
口籠っていると、治兵衛さんは声を潜めて「異人か?」と訊いて来た。
違うけど、違うとも言えず、困った笑みを浮かべると、そうか、と勝手に納得してくれた。
「俺も一応は絵師や。せやから常に絵は学びたい思うてる。凄い技を目の前で見せられたら、そら一緒に絵を描いてみたぁなるもんや。せやけどなぁ……さっき言うた『一緒に絵を描こう』っちゅうの」
そういえば、そんなことを言われたけど。
「あれ、一旦保留にさせてくれや。やっぱ絵師はな、目の前にある物だけ描けばいいっちゅうもんやないんや。目にしてない物も想像して描かなあかん時があるさかい。想像して描けへんのは……ちょっとな」
治兵衛さんは語尾を濁して笑顔を見せた。
はっきり言われない方が心を抉ることもあるんだな、と身を以って感じた。
笑顔なのが余計に傷つく。
「あの……気になってたんですけど」
「なんや?」
「今朝、私を追い出すって……」
傷ついたついでに朝からずっと気になってたことを訊いてみる。
「ああ。そういや、ちゃんと訊いてへんかったな。ほんまに逃げ出した遊女なんか? あないな絵が描けるやなんて、遊女やあらへんやろ? ほんまは何者なんや?」
当然の質問だけど、不意打ちすぎて答えに窮する。
未来から来た、とは流石に言えないし、言ったところで信じて貰えない。
異人と言えば最悪殺されかねないし。
「……言えへんか。ま、会うたばかりやしな。せやけど、泊めてやったし、飯も食わせてやったさかい、ちょっとくらい信用してくれてもええ思うんやが……?」
「そ、それはとてもありがたいと思ってますっ。正直、行くところも無いし、お金も無かったので……」
「ほな、今までどうしとったんや? 身なりもそうやけど、その言葉遣い、大坂の者やないやろ? 見慣れん物ばっかり持っとるのに、無一文やなんて……追剥にでも遭うたんか?」
目が覚めたら江戸時代の大阪にいるって、一体誰が信じてくれるだろう?
毎日死にたいとか現実から逃げ出したいと思ってたけど、だからってタイムスリップは無いと思う。
「なんや、捨てて来んかったんかいな」
私が答えに困っていると、通りの向こうから玄斎さんが眉間に皺を寄せて近づいて来た。
「おう、玄兄ぃ。ちょっと相談があるんやけど」
治兵衛さんが片手で頭を掻きながら笑みを浮かべると、玄斎さんは軽く溜息を吐いて足早に家の中に入って行った。




