10.ウメ
「悪いな。こいつらにお前の絵を見せたって」
治兵衛さんにそう言われて、なんとなく理解した。
春蝶さんがひったくりに遭った話を同僚にし、その際に私の絵について語ったんだ。
私が頷くと「誰か、紙をくれへんか?」と治兵衛さんが声を掛ける。
「ほな、これに」と春蝶さんが近くにあった紙を一枚くれた。
「ここで描き」と別の絵師の方が机の一つを示す。
やはり正座か。
男性は胡坐をかいたり、楽な姿勢で絵を描いているようだけど、私にはちょっと無理だ。
鉛筆を……とここでふと周囲を見回す。
十人程の視線に囲まれ、緊張する。
先程、番所で鉛筆を使った時に風呂敷包みの結び目の隙間から中に挿し込むようにして入れていたので、結び目を軽く解いて、手探りで鉛筆を探り当て取り出す。
「筆やないな。なんやろか?」
「見たことあるか?」
「無いなぁ」
ひそひそと話す声に鉛筆を握る手に力が入る。
私の正面に治兵衛さんが向か合うようにして座り、治兵衛さんも何か筆を動かし始めた。
「お前らも手を動かさんかい。出来上がってから見たらええやろ」
治兵衛さんに言われ、「せやけど……」と不満そうにしながらも、一人、また一人と自分の持ち場へ戻り、作業を再開し始める。
「悪いな。仏像みたいに、じっとしとられへんで。今日中に仕上げないけんもんがあるんやけど、遅れとってな。筆動かしながらでも描けるか?」
治兵衛さんの問い掛けに「大丈夫です」と答える。
治兵衛さんは筆を動かしながら再度「悪いな」と言った。
真剣な表情で筆を握る姿は職人の顔つきだった。
現代の男性とは違う、髪型。
時代劇でよく見るちょんまげ。
絵に描くのは初めてだ。
自然に任せた眉毛。
真剣な目つきは一重で、よく通った鼻筋、きゅっと結んだ唇。
一つ一つパーツを注視して、全体を見て描く。
少し解れた襟元、くたびれた茶色の衣。
木綿の質感と皺を細かく描く。
あれ? よく見ると、治兵衛さんは男前かもしれない。
ちょんまげと陽気な関西弁のせいで、気付かなかったけど。
じっとパーツパーツを見ていたら、そんなことに気づいてしまった。
「ん? 描けたんか?」
私の手が止まったのに気づいて、治兵衛さんが声を掛けると、その場の全員が手を止め、顔を上げた。
そして、ぞろぞろと私の周囲に集まり、覗き込む。
「はあ……」
全員が唸るように声を漏らし、一瞬、間を置いて。
「まるで紙の中に吸い込まれたようやな」
「ここまでそっくりな絵は初めて見たわ」
「ほんまに絵か?」
口々に驚きの感想を漏らす彼らを治兵衛さんはどこか満足そうに見やった。
私も自分の絵をこれ程までに褒められたのは初めてで、思わず笑みが零れる。
「あの場で描いたんより、ずっと凄いわぁ……師は誰やねん?」
春蝶さんに訊かれ、私は「えっと……」と口籠る。
そこにパンパンッと手を叩く音が響いた。
「絵はもう見たやろ。今日中にこれ仕上げな、飯食われへんで」
治兵衛さんがピリついた声を上げる。
「そこの……八さんやったか。荷の確認は終わった思うたけど、まだなんやあるんかいな?」
治兵衛さんに声を掛けられた八さんは「あ、いや。おまへんけど」と顔の前で片手を振った。
「それにしても、上手いっちゅうより……こないな絵は……ほんまに絵なんか? 目の前で描くとこ見たけど、信じられへんわぁ」
心底驚いた様子でそう言いながら両腕を組み、そのまま首を捻りながら階段を降りて行った。
八さんの感想に皆も同意するように頷いたり、唸ったりしている。
「ところで、この御方は? せめてお名前くらい教えてもらわんと。一応、恩人やし。どこぞの絵師なんか?」
不意に春蝶さんに問われて治兵衛さんは「名前は梅吉や」と即答した。
番所で咄嗟に出た名前でもある。
「今日から俺の弟子や。分かったら作業に戻りぃ」
そう皆に紹介して、また両手をパンパンッと皆を急かすように叩いた。
それから私の隣に座り、
「せやけど、今日は作業はさせられへんさかい、雑用手伝うてや」
そう言った。
ん? 弟子って言った?
私、追い出されなくて済むの?
ここにいていいの?
「皆にはウメって呼ばせるさかい、男らしゅうして合わせてな」
そう言って私の背を軽く叩き、立ち上がる。
「ちっと早いが昼飯にしよか。ウメ、昼飯の準備手伝うてやって。あっこの春蝶に教えてもらい」
何がどうなっているのか。
でも、とりあえずご飯が食べられる。
そう思っただけでなんだかホッとした。




