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第7話 もみじ饅頭とアゲハ蝶

 朝から家の中はなんだか落ち着かなかった。

家中を掃除して、リビングのテーブルの向きを変えてみたり、ダイニングに椅子を増やしたり大騒ぎだ。


「やっぱりソファに座ってもらった方がいいかしら……テレビも見られるし」


 お母さんはさっきからずっとリビングとダイニングをうろうろしている。


「鍋なんだから、テーブルの方がいいだろう」


 そういうお父さんもなんだかそわそわしている。


 玄関にはどこで買ってきたのか大輪の芍薬の花まで飾っている。

あたしは今まで家に花瓶があるのなんて知らなかった。


 今日はお姉ちゃんの彼氏……誠さんが家に来る。


『余計なことは言わないで、おとなしくしててよ』


 お姉ちゃんに言われたことを思い出して少し憂鬱になる。


 ふぅーっと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

大丈夫……黙ってるだけでいい、簡単だ。


 また、透明人間に戻ればいいだけだ。





「お邪魔します」


 お姉ちゃんについてリビングに入ってきたのは、日焼けが健康的で背の高い、精悍な顔つきの男の人だった。


上原誠(うえはらまこと)と申します」


 誠さんは張りのある声で言うと勢いよく頭を下げた。

お父さんとお母さんも合わせて礼をしたので、あわててあたしも頭を下げる。


 なんとなくぎこちない空気がリビングを包む。

あたしだけじゃない、この場にいる全員が、初めての状況に戸惑っているみたいだった。


「ほらぁ、お土産」


 お姉ちゃんが誠さんの腕をつつくと、誠さんは思い出したように紙袋を取り出した。


「あの、これ……つまらないものですが」


 袋から出てきたのはもみじ饅頭だった。


「あら、美味しそう」


 お母さんが大げさに言って顔の前で手を合わせる。


「自分、広島なんで」


 そう言って誠さんがお母さんを見た。


「じゃあ、帰られてたんですか?」


 お母さんの問いに誠さんはあわてたように首を振る。


「あ、いえ……これは……」


「池袋で買ったんだよねぇ」


 横からお姉ちゃんが言ったら、誠さんはふふっと照れくさそうに笑った。





 甘辛く煮た牛肉を溶き卵にくぐらせる。

割下をたっぷり吸ったエノキと一緒に口に入れると、甘い油が卵と絡んでいくらでもごはんが食べられそうだ。


 でも、おかわりに立つような雰囲気ではなかった。


「めぐみはワガママだから、大変でしょう」


 お父さんが話しかけると誠さんは小さく首を振る。


「いえ……そんなことは」


「あたしワガママじゃないしぃ」


 お姉ちゃんが不満そうに大声で言うと誠さんは笑顔で頷く。


「誠さんはビールでいいかしら?」


 お母さんが言うと誠さんはかしこまった表情になる。


「あ……はい、頂きます」


 冷蔵庫から缶ビールを出そうとしてお母さんがふと振り返る。


「あの、少しなら日本酒もありますけど」


 誠さんは小さく首を振る。


「いえ、ビールで」


 ぎこちない会話は続く。


「広島っていったら、やっぱりカープなの?」


 バットを構えるようなポーズでお父さんが言うと、誠さんは気まずそうに小声になる。


「すいません……野球はあまり見なくって」


「でも、何かスポーツされてるのかしら?」


 お母さんが間髪入れずに話をつなぐ。


「その、よく日に焼けていらっしゃるから」


「ああ……これは」


「バイクだよねー」


 お姉ちゃんが肉を食べながら言うと誠さんは嬉しそうに笑った。


「バイクかあ……いいなあ」


 何がいいのかわからないけど、お父さんはしみじみと言った。


 なんだろう……会話が途切れないようにみんな必死だ。

まるで円の中でボールを落とさないようにパスを上げるゲームをしているみたいだ。


「結衣は食べてばっかりだな」


 お父さんのひと言で会話の矛先があたしに向いた。


「え?」


「さっきから全然話してないじゃないか」


 透明人間に徹してたはずなのに、急にボールが飛んできた。


「ええっと……」


 話せと言われても……この何とも言い難い空気の中であたしが話すことなんてあるのか?

あたしは逃げ道を探すみたいに鍋のなかのネギをさらう。


「結衣は緊張してるのよね」


 助け舟を出すようにお母さんが言った。


「ごめんねぇ、誠。結衣、ちょっと陰気っていうか、コミュニケーションが苦手なところがあるから、気にしないで」


 お姉ちゃんがあたしをチラッと見てバカにしたように口をゆがませる。

あたしに喋るなと言ったことを忘れたんだろうか。


「結衣ちゃんは趣味とかあるの?」


 誠さんは優しい顔であたしを見た。


「えっと……最近は、本を読むのが好きで」


「ウケる! 本を読むのが趣味って!」


 何が楽しいのか、あたしが話している途中でお姉ちゃんは大声で笑い出した。


 あたしはそれ以上何も喋る気になれなくて、茶色く濁った溶き卵に視線を落とした。





 紅葉を形どったカステラ生地に包まれたこしあんは、しっとりと甘かった。


「あ、美味しい」


 あたしは熱いお茶をひと口のんでふうと息を吐く。


「よかった」


 誠さんが笑顔で言った。


「結衣ちゃんはどんな本を読むの?」


 誠さんの横でお姉ちゃんが「無理して話あわせなくていいのに……」とつぶやくのが聞こえた。


「今は、銀河鉄道の夜を読んでます」


 あたしが答えると誠さんは「ああ」と頷いた。


「銀河鉄道か、小学校の時にプラネタリウムで見たな、懐かしい」


「銀河鉄道? 何それぇ、わけわかんない」


 お姉ちゃんが興味もなさそうに言った。


「あ、そうだ……忘れないうちに」


 誠さんが鞄をさぐって小さな紙袋を取り出した。

紙袋から出てきたのは金色のリボンがかかったミントブルーの小箱だった。


「結衣ちゃんに買ってきたんだ。気に入ってもらえるかわからないけど……」


 そう言って誠さんはうつむき気味にあたしに小箱を差し出した。


 すごく可愛い箱……何が入っているんだろう。


「開けていいですか?」


 誠さんが頷く。

リボンを解いて箱を開けると、紙を細切りにした梱包材の上に、青色の蝶の髪飾りが乗っていた。


 精巧に作られた蝶は鮮やかで、まるで生きているみたいだ。


 あたしのために、わざわざ選んで買ってきてくれたんだ。

胸がいっぱいになって、言葉がすぐに出てこない。


「うっわ! すごいリアル」


 横から覗き込んだお姉ちゃんが目を見開いて言った。


「なんかリアルすぎてちょっとキモいっていうかあ……もろに虫じゃん。あたし、これ頭につけてる人いたら『虫ついてるよ』って言っちゃうかも」


 お姉ちゃんは芝居のセリフでも喋るみたいに、大げさに手振りをつけてまくしたてた。


「え……そうかな」


 誠さんは少し気まずそうにお茶を飲んだ。





 お姉ちゃんが誠さんをバス停まで送りに出たあと、あたしはすぐに部屋に戻った。


 ミントブルーの小箱を開けて、青色の蝶を手のひらにそっと乗せる。


 わかっている。


 誠さんがあたしに優しいのは、あたしが『彼女の妹』だからだ。

誠さんがお姉ちゃんを見つめる優しい目から、照れたように笑う嬉しそうな顔から、お姉ちゃんのことが大好きなのがすごく伝わってきた。


 わかってるのに。


 なんでこんなに心がざわめくんだろう。

なんで、こんな気持ちになるんだろう。


 銀河鉄道の話をしてくれて嬉しかった。

素敵なプレゼントを選んでくれて嬉しかった。

アクセサリーをもらったのなんて、生まれてはじめてだった。


 本当に、本当に嬉しかったのに……


 なんで、ありがとうって言わなかったんだろう。

お姉ちゃんに何を言われても、「すごく嬉しい、ありがとう」って言えばよかった。


 深い青色の羽は、あたしの手の上でキラリと光った。

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