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第6話 理想社会とバームロール

 薄暗い室内を青い光が柔らかく照らす。


 外の世界とは切り離されたかのような不思議な空間で、はるか昔に紡がれた物語をゆっくりと追っていく。

今日もこの部屋は海の底みたいに静かだ。


 銀河の旅は続く。


 北十字の先、不思議な発掘現場を過ぎると、茶色の外套を着た鳥捕りが乗ってきた。

どこから来たのかと鳥捕りに聞かれるけれど、なぜなのか、ジョバンニはどうしても思い出すことができなかった。


「ようし、そこまで」


 新井さんの低い声が響く。

相変わらず、体の芯を揺さぶるような不思議な甘さがある。


『ただのジジイじゃないんだよ』


 ももちゃんの言葉を思い出す。


 新井さんは昔、独自の思想をかかげて組織のリーダーをしていた。

世の中を変えようとして、できなかった。


 新井さんはどんな世界を目指していたんだろう。

今の、この世界のことをどう思っているのだろう。

閉ざされた部屋で、あたしが読み上げる物語をただ聞いているこの静かな時間は、新井さんにとってはどんな時間なんだろうか。


「なんだ?」


 ぼうっと新井さんを見つめていたあたしに新井さんが声をかけた。


「新井さんはさ、どこから来たの?」


 夢の中みたいな気分であたしは新井さんに尋ねる。

新井さんは少し面食らったような顔をしてから、ゆっくり口を開いた。


「浜松」





 余計な情報がまたひとつ増えた。


「それは知らなかった……てかそんなこと聞いてどうすんの?」


 ももちゃんは笑いながらホットケーキをほおばる。


「いや、なんとなく……ちょうど物語がそういうところで終わったから」


 あたしも焼きたてほかほかのホットケーキを食べながら言った。

この間はバターと蜂蜜だったけど、今日はアイスとマーマレードが添えられている。


 確かに、なんて答えを期待していたんだろう。


「何読んでるの?」


 ももちゃんはお茶でも飲むみたいに両手でマグカップを包んでコーヒーに口をつける。


「銀河鉄道の夜」


 なんだろう……あの部屋にいると現実感がなくなって、物語の世界に吸い込まれるような感じがする。

もしかしたら、どこから来たのかわからなくなってたのはあたしだったのかもしれない。


「ああ、それあたしも読んだよ。いいよね」


 ももちゃんが懐かしそうに言った。


 ももちゃんがこの家で朗読をしていたのはずっと前の話だと言っていた。

ももちゃんはここでどれだけの物語を読んだんだろう。

朗読をしていたほかの女の子達は、今は何をしているんだろう。


「あ、ヒカルくんだ」


 ももちゃんの視線の先、庭へと続く縁側からヒカルさんが上がってきた。


「どうも、今日は料理教室してないの?」


 ヒカルさんは居間で座ってるあたしを見て言った。


「あ、はい」


 あたしが答えるとヒカルさんはふうと小さく息を吐く。


「なんだ、結衣の手料理が食べられると思ってきたのに」


 ヒカルさんは台所でみゆきさんに袋を渡すと、小さな袋を持って居間に戻ってきた。


「はいこれ、可愛い結衣に」


 ヒカルさんが袋の中から取り出したのは雪みたいに白いチーズケーキだった。


「来る途中で見かけたから買ってきた。サービスエリアのだから美味しいかわからないけど」


 あたしのために買ってきてくれたの……?

思いがけないプレゼントになんだか感動して胸があつくなる。


「あ、ありがとう」


「ねえ、ヒカルくん、あたしには?」


 あたしの横でももちゃんが甘えたような声を出す。


「はいはい、ももかはこれだろ?」


 そう言ってヒカルさんは笹の葉の両端をキャンディみたいに紐で縛った物体をどさっとちゃぶ台に置いた。


「やったあ! ヒカルくん大好き」


 ももちゃんが満面の笑みを浮かべる。


「あの……なんですか? これ」


 あたしが尋ねると、ももちゃんとヒカルさんはきょとんとした顔でこっちを見た。


「笹団子知らない?」


 ヒカルさんが言った。


「じゃあ結衣のやつと半分こしよう。おいしいんだよ」


 ももちゃんはぱぱっと笹をほどくと、緑色の団子をあたしに差し出した。


「はい、あーん」


 ひと口かじると、柔らかい食感の中にふんわりとお米の豊かな香りが広がった。


「美味しい!」


「でしょ!」


 ももちゃんが嬉しそうに笑った。


「ああー、このチーズケーキも美味しい……しあわせ」


「あ、ももちゃん! あたしの分ちゃんと残してよ」


 ヒカルさんはあたし達を興味深そうな顔で見ながら言った。


「お前ら、すげえ食べるのな」





「あ、結衣、山椒とって」


 あたしから小さいビンを受け取るとももちゃんは麻婆豆腐に山椒を振る。


 あのあと、ももちゃんとヒカルさんに誘われて、あたしも夕ごはんを食べていくことになった。

麻婆豆腐と棒々鶏の大皿が乗ったちゃぶ台をみんなで囲む。


「麻婆豆腐に山椒って合うの?」


 あたしが言うとももちゃんは意外そうな顔をした。


「え、結衣はかけないの? すごくおいしいよ」


 山椒自体、うなぎ屋さんでしか見ないからあまり馴染みがなかった。

試しに麻婆豆腐にかけてみると、確かに辛みが効いて味が深くなる気がする。


「あ、美味しい」


「でしょ」


 ももちゃんは得意気に言った。

麻婆豆腐だけじゃなくて、棒々鶏も、鶏を茹でた汁で作ったというネギのスープもすごく美味しかった。

今度作り方を教えてもらおう。


「結衣は素直だなあ」


 ヒカルさんが感心したように言った。


「そう? 初めて言われたな」


 ああでも、ここではなんだかのびのびとしていられるかもしれない。


 学校では間違えないように、輪を乱さないように、意識しすぎて何も言えなくなっていた。

結果、少しずつ『世界』から外れていった。


 この家は不思議だ。


 理想社会を目指してたどり着けなかった新井さんと、それを支持していたみゆきさん。

地元を飛び出したももちゃん、それにヒカルさんとあたし。


 家族でもない、それぞれ別のところから来た人たちが、こうやって集まって食卓を囲んでいる。


 だから、楽なのかもしれない。


 きっと、どこから来たのかなんてどうでもいいことなんだ。

ここにあるのは、とりとめのない会話ととびきりおいしいごはんだけだ。


「結衣はなんでも初めてなんだな」


 ヒカルさんは子どもみたいな顔で笑った。


 つけっぱなしのテレビでは気象予報士の女の人が台風の接近を知らせていた。





「銀河鉄道でさ、鳥の話が出てくるじゃん?」


 夕暮れの道を歩きながらももちゃんが言った。


「うん、今ちょうどその辺読んでるよ」


 どこから来たのか思い出せないジョバンニに、鳥捕りは納得したような顔で「遠くからですね」と静かに言う。

この間の新井さんのネタバレとあわせて、なんとなく銀河鉄道の正体がわかってくる。


「あのさ、お菓子みたいな鳥ってどんな味だと思う?」


 ももちゃんがワクワクしたように言った。


「ああ……」


 鳥捕りはジョバンニに鳥をひと口食べさせてくれた。

その鳥は「チョコレートよりももっとおいしい」お菓子のような味がした。


「あたしさ、あれ、バームロールだと思うんだ」


 ももちゃんがうっとりと空を見る。


「バームロール?」


 思わずあたしは聞き返す。


「あれ、知らない? 小さいケーキにホワイトチョコみたいなのがかかってるやつ」


「いや、知ってるよ。おいしいよね」


 ももちゃんは頷くと嬉しそうに笑った。


「あたしあれ大好きでさ、初めて食べたとき、こんな美味しいものがあるんだってびっくりしちゃって……だから、なんとなくあの鳥もバームロールで再現されるんだ」


 力説するももちゃんはなんだか可愛かった。

どんな味だったかいまいち思い出せないけど、バームロールが食べたくなった。


「あたしはね、千歳あめだと思った」


「千歳あめ?」


 聞き返すももちゃんにあたしは頷く。


「うん、七五三で食べるやつ。変に甘くて全然好きじゃないんだけど、なんだろう……鳥と甘いものって言ったら、なんかもうあの味しか思い浮かばなくて」


「ええ……じゃあ、結衣のイメージだとあの鳥ってマズいんだ」


 ももちゃんは楽しそうに笑った。


「かわいそー」


 言い方がおかしくてあたしも笑う。


「いや、あたしもこれからはバームロールだったことにしよう」


「えー、パクリ禁止」


 何がおかしいのかだんだん笑いが止まらなくなって、バス停に着くころにはふたりとも爆笑していた。


「じゃあね、結衣の鳥ニッキ飴にしといてあげる」


 声を震わせながらももちゃんが言った。


「いや、渋すぎる……ももちゃんの鳥はゼリーの表面に砂糖かかってるやつのぶどう味ね」


「バカにすんでねえ、うめえんだぞアレ」


 ももちゃんと別れたあとも笑いがおさまらなくて、周りから見たら不審者だったと思うんだけど、そんなのどうでもよかった。


 このまま、どこまでも駆けていくことができそうなくらい軽い気分だった。

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