最終話 見習い魔女の帰還
誠さんに送ってもらってあたしが家に帰りついたのは、西日が差し始める頃だった。
インターホンを鳴らすと、お姉ちゃんが出た。
「はい、小山です」
スピーカーから聞こえてくる声に、少し、誠さんの表情が硬くなるのがわかった。
「あたし、開けて」
玄関を開けたお姉ちゃんは、あたし達を見て戸惑っていた。
「え……誠? なに、どんな状況?」
誠さんがあたしの手をぎゅっと握った。
「自分で言える?」
あたしは誠さんの目を見てゆっくり頷くと、お姉ちゃんに向かって言った。
「あの……危険な目に遭ったので、警察まで一緒に来てください」
◇
お礼を言って誠さんを見送ったあと、お姉ちゃんはすぐにお父さんとお母さんに連絡して、2人が帰ってくるのを待ってから、あたしは警察に行った。
なんでかはわからないけど、あたしは自分が犯罪に巻き込まれたことより、そのせいでお母さんを悲しませてしまったことの方がずっと辛かった。
それからしばらくは何もやる気が起きなかった。
家から出るのも部屋から出るのも億劫で、何をするでもなく日がなベッドの上でゴロゴロしていた。
そんな状態なのにお腹だけはいやに空いて、ご飯に加えておやつもいっぱい食べてたもんだから、かなり太ってしまった。
あたしが寝っ転がってる横を、いろんな情報が通り過ぎていった。
新井さんは死んだ。
あたしの話を聞いて警察が家に行ったときに死体が発見されたらしい。
殺されたのか、自殺なのか、死に顔は安らかだったのか、苦しそうだったのか……それはわからない、知りたくもなかった。
ももちゃんはあたしが警察に行く少し前に、小さな田舎町の警察署に出頭していた。
黒髪のショートカットに眼鏡という姿だったので、最初はあたしの話す『ももちゃん』と同一人物とは思われなかったらしい。
『ももか』というのも本当の名前ではなかった。
本名は『ゆうひ』というらしい。漢字は知らない。
ゆうひ……誰だ? それ。
いつも一緒におやつを食べていたのに、手をつないで夕暮れの街を歩いていたのに、一緒に花火を見て、夜空を眺めながらいろんな話をしたのに……あたしはももちゃんの本当の名前すら知らなかった。
あの家ではあたしはどこまで行ってもただの『獲物』で、仲間にはなれなかった。
みんなと同じ世界を見ることはできなかった。
結局、あたしはこっちの世界に戻ってきてしまったんだ。
忘れた頃に、ユウトさんが捕まったことを教えてもらった。
みゆきさんとヒカルさんは今でも見つかっていない。
そういえば、ベッドで転がっていたとき、一度だけお姉ちゃんが部屋に入ってきた。
なんでノックをしないのか……少しイラッとしたのを覚えている。
お姉ちゃんは寝っ転がったままのあたしに言った。
「結衣、ごめん」
意外すぎる言葉だった。
体を起こしたあたしはお姉ちゃんの顔を見てぎょっとした。
お姉ちゃんは泣いていた。
「ごめん……本当に、ごめんなさい」
あたしは何を言ったらいいのかわからなくて、しゃくりあげるお姉ちゃんをただ見つめていた。
お姉ちゃんが何をそんなに謝っていたのかはいまだにわからない。
◇
「そのジジイの理論には2つの明らかな矛盾がある」
きれいに整頓された部屋の中、デスクチェアに体を預けながら彼は言った。
「だいたい、普通の社会でうまくいってない奴らを集めて共同生活をしたところで、破綻するのなんて目に見えてるだろ」
彼はにこりともせず、デスクチェアをきこきこ揺らす。
「お前、よくそんなの信じたな」
そう言って、彼は呆れたようにベッドの上のあたしを見た。
大学で知り合ったひとつ年下の男の子は、あたしをひとり暮らしの部屋に連れ込んでおきながら、さっきからずっと新井さんの『理想社会』の批判ばかりしている。
そうじゃないんだよな。
あの頃のあたしは、世界からはじき出されて、進むことも戻ることもできない八方塞がりの中、必死に道を探していた。
ただ温かく受け入れて、羽を休めさせてくれる場所が必要だったんだ。
たとえそれが、魔女によって作られたお菓子の家だったとしても。
「俺だったら、絶対に騙されないね」
彼は仏頂面のまま、自信満々に言った。
日焼けした顔が少し似てると思ったけど、やっぱり全然似てないや。
「おい、何笑ってんだよ、真面目に聞け」
今度は怒られた。なんだろう、忙しい人だな。
「ちゃんと聞いてるよ」
小首をかしげて瞳をのぞき込むと、何が気に入らないのか、彼は不機嫌そうに目を逸らした。
あたしと彼はここから『進展』したりするんだろうか。
よくわからない……まあ、なんでもいいか。
ふと窓に目をやると、新緑がまぶしそうに揺れているのが見えた。
また、夏が来る。
おしまい
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