第17話 ほんとうの幸いとりんご飴
「うわあ、すごい人だね」
ももちゃんの琥珀色の瞳が驚きで開かれる。
夕暮れのオートレース場は、人の波でごった返していた。
すごい……この街のどこにこんなに人がいたんだろう。
はぐれないように、あたしはぎゅっとももちゃんの手を握る。
「知らなかった……こんなに混むものなんだ」
あたしがつぶやくと、ももちゃんは不思議そうにあたしの顔をみた。
「結衣は小さいときからこの街に住んでるんでしょ?」
「そうだけど」
「オートレースの花火、来たことなかったの?」
あたしは小さく頷く。
「初めてだよ、今まで来る機会なんてなかったから」
もともと人が集まる場所は苦手だし、花火が特別好きなわけでもない。
それに、うちの親……特にお母さんは、地域のお祭りとはいえ子どもがギャンブルの場に行くことをよく思わないだろう。
オートレース場の中は人がすごくて、とても落ち着いて花火を見られる状況ではなかった。
きっと『いい場所』は何時間も前から確保していないといけなかったんだろう。
人の波に押し出されるように、あたし達は駐車場まで出てきた。
「中で見るのは無理そうだね」
あたしはため息をついた。
「川のほうまで出て、土手から見るのがいちばん落ち着いて見られるかも」
「じゃあ、そうしよう」
ももちゃんは笑ってくれたけど、付き合わせてしまってなんだか申し訳ない。
もっとちゃんと下調べをすればよかった。
「ごめんね、あたしが誘ったのに」
あたしが言うと、ももちゃんはぎゅうーっと痛いくらい強く手を握った。
「そんなこと言うもんでねえ。いま、すごく楽しいよ」
川に向かう途中で屋台が出ていたのでりんご飴を買った。
ひと口食べて香ばしい甘さに驚く。
「すごい、おいしい! 今までりんご味のでっかい飴だと思ってた」
ももちゃんは笑った。
「でかい飴って……それはそれで面白いけど」
土手まで来ると人はまばらだった。
草の上に並んで腰を下ろしたら、ちょうど花火が上がりはじめた。
パン! と乾いた音とともに、空に光の花が上がっていく。
「ああー、きれいだねえ」
ももちゃんがりんご飴をかじりながら言う。
「うん、すごくきれい」
あたしもゆっくりと空に広がる金色の菊の花を眺める。
こんなふうに、ぼんやりと何かを眺める時間なんてひさしぶりだ。
いつも余計なことばっかり考えて、から回って、勝手に疲れて……もしかしたらあたしに必要だったのは、こうやって単純にきれいなものを見るだけの時間だったのかもしれない。
あたし達はほとんど言葉を交わさずに夜空を見ていた。
花火はやがて終わって、星空が戻って来た。
「あれ、さそり座かな」
ももちゃんが指をさす。
「え、どうだろう」
星座の見方なんて調べたことがないからよくわからない。
「あれだけ赤いから、きっとそうだよ」
ももちゃんは自信ありげに言った。
言われてみればほんのり赤く光る星がある気がする。
「銀河鉄道でさ、さそりの話あったじゃん」
ももちゃんの言葉に、物語の一節を思い出した。
「ああ、赤く燃えている炎ね」
イタチに追われたさそりが、井戸に落ちてしまう。
さそりはどうせ死ぬのならせめてイタチに食べられればよかったと思い、他者の幸いのために体を使いたいと神に祈る。
そして、さそりは夜空を照らす赤い火となって今でも燃え続けている。
「あれ、いい事言ってるようで実際よくわかんない。結衣はどう思う?」
ももちゃんはりんご飴をなめながら言った。
「えー、そうだなあ」
あたしもりんご飴をかじる。
じわっと口の中に甘酸っぱい果汁が広がる。
「どうせ死ぬなら何かの役に立ちたいってのはわかるんだけど……あたしだったら、イタチに食べられるのだけは嫌かな」
「なんで?」
「だってさ」
あたしは空を見上げる。
「イタチはさそりを食べようとした、言ったら敵じゃん? 敵の栄養になるくらいだったら、無駄死にの方が100倍マシだと思う」
「ふふふ、確かにそうかも」
ももちゃんの楽しそうな笑い声がした。
あたりが暗くなってきて、隣にいるももちゃんの顔はよく見えない。
「じゃあさ、本当のしあわせって何だと思う?」
ももちゃんの静かな声が聞こえる。
この質問は簡単だ。
答えはもうあたしの中にある。
でも、言ってしまっていいんだろうか。
にわかに体が熱くなってきた。
いや、伝えるんだ、きっと今しかない。
「あたし……あたし、今」
あたしは隣を見る。
ももちゃんの表情はここからではわからない。
「あの、あたしずっと、その、人とうまく馴染めなくて、学校とかも面白くなくて……あの、だから、なんだか毎日つまらなくて……」
はだかの心をさらけ出すのは、勇気がいる。
守るものがないむき出しの心は簡単に傷ついてしまうからだ。
でも、だからこそ威力がある。
はだかにならないと届かない思いだってあるんだ。
「でも、こうやってももちゃんと会えて、一緒に花火とか見に来られて、いま、すっごくしあわせ。あたし、こんなふうに友達と花火を見たり、その、いろいろ話したりとか、あたしには無いものだと思ってたの。だから、この先大学行ったりとか、理想社会のこととか、いろいろあるんだろうけど、あたし、その、今日のこと……いま、ももちゃんと一緒にいられること、たぶん、いや、絶対、これがしあわせなんだと思う」
言った……言い切った。
息が苦しい、多分、顔は真っ赤になっているだろう。
ももちゃんは何も言わなかった。
ただ、ももちゃんの手があたしを探して、ひざの上に置いていた手をぐっとつかまれた。
あたし達の間に会話はなかった。
川が流れる音と、重ねられた手の温かさだけを感じていた。
◇
土手を下って、あたし達は駅に向かって歩いていた。
言葉は交わさなかったけど、手はきつく繋ぎあっていた。
駅の明かりが見えてきた頃、ももちゃんがふと口を開いた。
「結衣、あのさ……」
ももちゃんの迷いを表すように、手の力が少しゆるむ。
「あの、旅行のこと……なんだけどさ」
ももちゃんはまたぎゅっと手を強く握る。
何か、伝えようとしてるのかもしれない。
あたしは「うん」と小さく言って、手を握りかえす。
ももちゃんはしばらくそのまま黙っていたけど、ふっと笑顔になった。
「あたしも、友達と旅行とか行くの初めてなんだ。だから、すっごく楽しみ」
電灯に照らされて、ももちゃんの琥珀色の瞳がきらきら光っていた。




