第13話 駅前のセーラーカラー
強い日差しを照り返すように街路樹が揺れる。
太陽がやや傾きはじめた昼下がり、駅へ続く道は若い女の子や子どもを連れた主婦達が楽しそうに歩いている。
交差点の前でチラシを配っている女の人は、おそらくコンタクトレンズ屋さんだ。
のどかな街角って、こういうのを言うんだろうな。
あたしが働いている歓楽街……確かに人の気配があるのに道を歩く人はまばらで、みんな隠れるように静かに生息しているあの街と、ほんのひと駅しか離れていないなんて信じられない気がする。
「暑いねー」
前から歩いてきた男の人と目が合ったと思ったら、話しかけられた。
30代の半ばくらいだろうか、服装は若いけど、革ひものネックレスをつけた首元の皮膚が少したるんでいる。
「お姉さん、めっちゃキレイ。暑いしさ、かき氷食べにいかない? 奢るよー」
女性らしい服を着て、化粧をするようになってから、こんなふうに街で声をかけられるようになった。
今までも駅前はしょっちゅう歩いてたけど、きっと男のひとが話しかける対象の中に入っていなかったんだろう。
おそらくナンパかスカウトだ。
はじめて声をかけられたときは怖くて泣きそうになったけど、今ではもう軽くあしらえる。
「用事があるので」
ひとことだけ言うと、男の人は「そっか、じゃあまたねー」とひらひら手を振って去っていった。
◇
ショッピングモールの中は寒いくらい空調が効いていて、どこかで聴いたようなポップな音楽が流れていた。
服と無香料のボディソープ……とりあえず必要なものは買ったし、夕ごはんの買い物をする前にちょっと休憩して行こうかな。
フードコートにある生ジュースの店で桃とヨーグルトのジュースを注文する。
出来上がりを待っていると「キャアアア」と悲鳴のような声が聞こえて少しぎょっとした。
声のした方を見ると、女子高生の4人組が中央の席で楽しそうに笑っている。
どうやら悲鳴みたいに聞こえたのは笑い声だったらしい。
「いや、もうバカ! ほかのお客さまに迷惑だから」
さっき悲鳴をあげた子の頭をぐりぐり撫でながら楽しくて仕方がないような顔で女の子が言った。
「だってもう、このメンバーが本当に最高すぎー」
頭を撫でられた女の子はまるで何かを主張するように声を張り上げた。
「お前うるさいって、もうちょっと静かにできねえのか」
横に座っていた女の子も大声で笑いながら言った。
彼女たちが着ている制服は見覚えがあった。
真っ白なセーラーカラーに紺色の控えめなタイとプリーツスカート。
創立以来変わっていないという特徴的な制服は、このあたりではどこの高校かひと目でわかる。
間違いない、あたしが通ってた『北高』の生徒だ。
何が楽しいのか、彼女たちは転げるように笑い声を上げる。
ふと、苦手だった笑い声が平気になっていることに気づいた。
そうか……今まで同じ世界にいたから、苦しかったんだ。
あたしはもうあの子達とは違う世界、違うものを目指している。
だから、あの声を聞いても大丈夫なんだ。
今となっては、店で流れる音楽みたいなもの……ただの背景だ。
「ゆいゆ?」
ジュースを受け取ったとき、ふいに懐かしいあだ名で呼ばれて振り返る。
「あ、やっぱりゆいゆだ」
「はるにゃ!」
声をかけてきたのは、高校時代の友だちだった。
◇
「最初わかんなかったよ。ゆいゆ、すごくキレイになっちゃって、すっかりおとなのおねえさんって感じ」
フードコートの椅子に座ってバナナジュースを飲みながらはるにゃが言った。
「そうかな」
久しぶりに会った友だちに言われるとなんだか照れる。
にやけそうなのをごまかしてあたしもジュースを飲む。
はるにゃは高校のとき同じクラスで、いつもお昼ごはんを一緒に食べていた。
本名がはるなで、はるちゃんがはるにゃんになって、最終的にはるにゃに落ち着いた。
あたしはゆいがゆいゆいになってからのゆいゆだ。
あだ名で呼ばれると、なんだか子どもの頃に戻ったようなくすぐったい気分になる。
高校生だったのはほんの数ヶ月前なのに、もうずっと昔のことみたいだ。
「ゆいゆは今、何してるの?」
反政府的な思想を持つ組織のメンバーになって、活動資金のために風俗で働いてるよ……とはとても言えない。
「何もしてないかなあ……普段はバイトしてて、今日は休みだからこれから食料品売場で夕ごはんの買い物してく」
嘘は言っていない。
「はるにゃは? 大学って楽しい?」
深くつっこまれる前に話題を移す。
最後のほうはあまり学校に行かなかったから詳しくは知らないけど、はるにゃは確か県内の大学に進学したはずだ。
「うーん……勉強はぼちぼちかな、ああ、でもサークルにかまけてたら単位ひとつ落としちゃった」
そう言ってはるにゃは苦笑した。
サークルとか単位とか、聞きなれない言葉が出てくると、なんだか大学生という感じがする。
「サークルって何してるの?」
「えっと……」
はるにゃは少し言いよどんでから、恥ずかしそうに言った。
「あのね、漫画研究会に入ってるの」
「漫画研究会?」
少し意外だったので聞き返すと、はるにゃは頷いた。
「ずっと、絵を描くのが好きだったんだけど、その、下手だし、あんまり人に言うのが恥ずかしくって……でも、大学で同じ趣味の人にいっぱい会えてさ、いますごく楽しいんだ」
話しているうちにはるにゃの目がきらきらしてくるのがわかった。
「でも、全然知らなかったな、はるにゃにそんな特技があったなんて」
あたしが言うとはるにゃはあわてたように胸の前で手を振った。
「いやいや、全然……そんな特技っていうほどのものじゃなくて、ほんとに落書きレベルだったから……」
「いいじゃん、今度見せてよ」
ほとんど残っていないジュースを吸い上げながら言うと、はるにゃは控えめに笑った。
「今、学園祭で配布する用の漫画描いてるからさ、よかったら……来てくれると、嬉しい」
◇
フードコートではるにゃと別れたあと、あたしは食料品売り場に来ていた。
今日は餃子と春雨サラダだ。
野菜をカゴに放り込んだあと、ひき肉の売り場まできて固まる。
豚と鶏と牛と……どれにしたらいいんだ。
それに、餃子の皮にもなんか種類がある。
薄皮とかもち粉入りとか……何が違うのか全然わからない。
とりあえず半分は合ってることを期待して合い挽き肉と、皮は中間くらいの値段のやつにした。
買い忘れがないかもう一度メモを確認してからレジに並ぶ。
『すごく楽しいんだ』
はるにゃの生き生きした顔を思い出す。
同じクラスで、いつも一緒にいたはずなのに、絵を描くのが好きだなんて知らなかった。
それだけじゃない、あたしははるにゃが休みの日に何をしてるのかも全然知らなかった……知ろうともしなかった。
あまり、踏み込んだ話をしなかったというか……深い話を避けていたのかもしれない。
なんで?
いや、今ならわかる。
怖かったんだ……深く踏み入って、拒否されるのが。
怖がって、当たり障りのないことしか話せなかった。
高校のときにさっきみたいな話をしていたら、はるにゃの描いた絵を見せてもらえたかもしれない。
『そこまで仲良くない』なんて勝手な線を引かなければ、休みの日だって一緒に過ごせたのかもしれない。
もっと、ずっと仲良くなれてたのかもしれないのに。
「1860円です」
店員さんの声で、あたしの意識は現実に戻ってきた。
◇
バス停に向かって駅前のペデストリアンデッキを歩いていたら、見慣れたピンク色の頭を見つけた。
なにやら無心に駅の掲示板を見ている。
「ももちゃん」
声をかけると、よっぽど驚いたのか、ももちゃんは飛びあがりそうな勢いで振り向いた。
「うわ! 驚かすでねえ」
その様子がおかしくて笑ってしまう。
「ごめんごめん、なに見てたの?」
掲示板には花火大会のポスターがでかでかと貼ってあった。
毎年、夏の終わり頃にオートレース場で開催される、このあたりでは一番大きなお祭りだ。
「もうそんな季節かあ」
ここのところ毎日がめまぐるしくて、気づけば季節は変わっていく。
ポスターに描かれた赤い花火を見ながら、ふと思った。
ももちゃんは花火とか好きなのかな。
誘ったら……来てくれるかな。
今まで興味もなかったけど、ももちゃんと一緒に花火を見れたらきっとすごく、すごく楽しいんじゃないか。
でも、迷惑かもしれない。
それに、ももちゃんとはこの先もずっと一緒にいることになるんだし、もう少し仲良くなってからでも……
いや、なんですぐにやらない言い訳を探そうとするんだろう。
ももちゃんと一緒に花火に行きたいって伝えるだけだ。
だって花火は毎年上がるけど、今年の夏はこの一回きり。
踏み込むのを怖がってたら、前に進むことなんてできないんだ。
あたしはぎゅっとこぶしを握りしめる。
「結衣? どうした」
「ももちゃん!」
思いのほか大きい声が出た。
「はいっ!」
ももちゃんが驚いたようにビクッとなる。
「花火大会一緒に行かない?」
ひと息で言い切った。
心臓がものすごくドキドキしている。
顔があつい……たぶん、頬は真っ赤になっているんだろう。
「花火……?」
ももちゃんは目をぱちくりさせてから掲示板をチラッと見て「ああ」と小さく言ったあと、笑った。
「いいよ、一緒に行こう」




