第9章「筋肉、遺跡に挑む ― 理の影が忍び寄る」
遺跡ノーク=レムへ足を踏み入れた剛たち。
筋肉で封印扉を攻略しつつ、古代の「理と筋肉の交差点」に近づいていきます。
白理の影も、静かに動き出す章です。
荒野の地平線の向こう。
崩れた石塔が、月のない空に黒い指のように突き立っていた。
クァルガが顎で示す。
「……あれだ。“沈んだ都”の入口だ。」
剛は目を細める。
崩れた塔、地面に半ば埋もれた巨大な円盤、割れた石柱。
一見すればただの遺跡だが――近づくほど、空気が変わっていく。
(……空気の重さが、少しだけ違う。
呼吸の深さを勝手に調整してくるような、変な感覚だな)
リオナが肩をすくめた。
「正直に言っていい?
ここ、研究者としては興味津々だけど……
今の私たちの状況で来る場所じゃないわ。」
ドルガンが鼻息を鳴らす。
「だがよ、白理に追われてる以上、
こういう“魔力が濃くて面倒な場所”のほうが見つかりにくい。
安全といえば安全だ。」
「安全の定義おかしくない?」
リオナが即座にツッコむ。「“面倒”は普通、避けるものなのよ?」
クァルガは真面目な声で続けた。
「それに……ここには“理と筋の境界”が残っている。
古代族が、理と肉体を同列に扱っていた時代の痕跡だ。」
剛の目がわずかに輝いた。
「……筋肉が、ちゃんと扱われてた時代か。」
「そこなのね、食いつきポイント。」リオナが額を押さえる。
しかし、彼女も分かっていた。
(……白理から逃げながら、何も知らないままでいるのは危険。
世界の根っこにある“理”の仕組みを知れるなら――
ここは、避けちゃいけない場所かもしれない)
剛は静かに言った。
「行こう。
ここで何が分かるかは、後で効いてくる。」
「“効いてくる”って筋肉の話じゃないからね!?」
リオナのツッコミは、とりあえずいつも通りだ。
そうして一行は、沈んだ都――地下遺跡ノーク=レムの入口へ向かった。
■ 地下へ続く“筋トレ階段”
入口は大穴だった。
崩れた塔の根元にぽっかりと口を開けた円形の穴。
その内側に、螺旋状の階段が地の底へと延びている。
剛が足を踏み入れた瞬間、微かな感覚が脚を走った。
(段差の高さが……絶妙だな。)
普通の階段より、一段一段がわずかに高い。
歩いて降りるだけで、太腿と尻に心地よい負荷がかかる。
剛は思わず口に出していた。
「良い段差してるな。」
「ねぇ剛。」
リオナがすかさず噛みつく。「遺跡の第一印象が“良い段差”ってどうなの?」
「トレーニーにとって重要な要素だぞ。」
剛は真顔だ。
ドルガンも実感しているようだった。
「ふぅむ……確かに、降りるだけで脚に来るな。
オーク族の鍛錬場に導入したい段差だ。」
「鍛錬用の階段なの、ここ……?」
リオナが呆れる。
クァルガは少し考え込み、ぽつりと呟く。
「古代族は、日常の中に“負荷”を溶かし込んでいたと聞く。
住居の段差、街路の傾斜、道具の重さ――
全てが“鍛える前提”だった時代だ。」
剛はその話に、深く頷いた。
「いい文化じゃないか。」
「文化の評価基準が完全に筋肉なのよあなたは。」
リオナはため息をつくが、その口元は少しだけ笑っていた。
■ 扉を開けるのも筋肉
階段を降りきると、巨大な石扉が行く手を塞いでいた。
扉の中央には円形の窪み、その周囲には幾つもの筋のような線が走り、
床には淡く光る紋様が刻まれている。
クァルガが眉をひそめた。
「封印式だな。
だが……魔力の鍵ではない。
“重さ”で開閉が変わる仕組みだ。」
「重さ?」と、剛。
クァルガは床の紋様を指差す。
「見ろ。
この輪の内側、一歩だけ低くなっている。
誰かが乗れば沈み、その沈み具合で扉が反応するタイプだ。」
リオナが頷く。
「なるほど、“体重による起動式”。
器用なことするわね古代。」
ドルガンが胸を張った。
「なら、ここは俺だな!
オークの体重を見せてやる!!」
勢いよく輪の中心に乗り込むドルガン。
床がギシッと沈む。
……が、石扉は、ぴくりとも動かない。
「動かねぇ。」
ドルガンが首をかしげる。「おかしいな。
オークの誇りある体重でもダメなのか。」
「誇りの基準が体重なの、どうなのよ。」リオナが冷静にツッコむ。
クァルガが分析する。
「おそらく、一定以上の“負荷のバランス”が必要なのだ。
一点に集中した重さではなく――複数の点で、決められた以上の圧をかける……」
「つまり――」
剛は輪の縁に立った。
「みんなで乗ればいいってことだろ。」
剛、ドルガン、クァルガ。
三人が円の内側に散らばるように位置取りする。
リオナが不安そうに呟く。
「ねぇ、これ、もし“重さが重すぎたら崩落します”パターンじゃないわよね……?」
「大丈夫だ。」
剛は即答する。「この床は、大丈夫な床だ。」
「今の何の根拠よ!? 筋肉感覚やめて!!」
それでも、彼女もそっと輪の端に乗った。
床はもう一段、ギシギシと沈み込む。
――ゴウン。
鈍い音とともに、石扉の輪郭に光が走った。
ごろごろと石の内部で何かが転がる音。
そして、ゆっくりと扉が横にスライドする。
「開いた……!」
リオナが目を丸くする。「ほんとに筋肉で開けちゃったわね……」
剛は、わりと真面目な顔で言った。
「筋力だけじゃない。
体重、バランス、位置取り。
今までやってきたスクワットの応用だ。」
「スクワット万能説やめなさい。」
リオナのツッコミに、ドルガンが大きく頷く。
「だが、悪くない理だ。
“正しい足場に、正しい重みを乗せる”……それは戦士の歩き方だ。」
クァルガも四本腕を組んだ。
「古代族も、戦士の理を理解していたのだろうな。
筋肉を軽んじる現代の貴族どもとは違う。」
その言葉には、少なからず苦味が混ざっていた。
■ クァルガの“鍛える理由”
扉を越えた先は、広い通路になっていた。
天井に埋め込まれた石板が青白く光り、足元を優しく照らしている。
剛は歩きながらふと尋ねた。
「なぁ、クァルガ。」
「なんだ。」
「お前は、どうして鍛えてるんだ?」
クァルガは少し目を見開いた後、苦笑した。
「四腕族は、“魔力に選ばれなかった種族”と呼ばれている。
魔導士にもなれず、貴族にも好かれず……
ただ器用さだけを求められ、道具のように扱われる。」
リオナが眉を寄せる。
「……知ってる。
王都でも“便利な下働き”みたいな扱いをされてたわね。」
クァルガは続けた。
「だから俺が鍛え始めた時、皆は笑った。
『筋肉をつけても意味がない』と。
“四本腕を持ちながら、荷運びを楽にするためだけに鍛えるのか”とな。」
ドルガンが歯ぎしりをする。
「くだらねぇ……!」
クァルガは、しかし静かに笑った。
「だが、俺は知っていた。
身体を鍛えると、
心が折れにくくなるってことを。」
剛の胸に、何かが響いた。
「……ああ、それは分かる。」
「筋肉そのものよりも――
“鍛え続ける自分”が、
いつか俺を支えてくれると思ったのだ。」
クァルガは剛を見た。
「だから、剛。
お前の筋肉を見たとき、心が震えた。
“意味はある”と証明してくれる存在が、
異世界から来たのだと。」
剛は、少しだけ照れ臭そうに鼻を鳴らした。
「そんな大層なもんじゃないさ。
俺はただ――鍛えるのが好きなだけだ。」
リオナはそのやりとりを横目に見ながら、
心の中でぽつりと呟いた。
(“好きなだけ”で、ここまで真っ直ぐでいられるのが……
一番すごいのよ、きっと)
■ 遺跡の“理の気配”
通路の先には、小さなホールのような空間が広がっていた。
中央に円形の台座。
周囲の壁には、魔法陣とも違う、幾何学模様の線が刻まれている。
剛が一歩近づくと、足元の床が微かに震えた。
(……さっきの階段とは違う。“重さ”じゃない感覚だ……)
リオナが慎重に、壁に触れずに目だけで観察する。
「魔力……とも違う。
これは、“理の書き込み”ね。」
「理の……書き込み?」と剛。
リオナは、研究者の顔になっていた。
「世界のルールそのものを、少しだけ“こうであれ”って指定する技術。
現代の封印派の理術と同じ系統だけど――
これはもっと、素直で、筋が通ってる感じ。」
ドルガンが頭を掻く。
「よく分からねぇが……
つまりここは、“世界のルールがいじられてる場所”ってことか?」
「簡単に言えばね。」
リオナは頷く。「重さとか硬さとか、
“当たり前”だと思ってるものが、
ここでは“そうとは限らない”ってこと。」
剛は足先で床を軽く踏んでみる。
トン、と小さな音。
だが、その反響の伝わり方が、ほんの少し“ズレて”いる。
(……スクワットの最下点に近い。
重力のかかり方が、ほんの少しだけ深くなるような……
そんな感じだ。)
クァルガが剣の柄に手をかける。
「剛。これ以上奥に踏み込むなら、
準備が要るぞ。
ここから先は、“理の影”が濃くなる。」
リオナも真剣な表情になった。
「白理にとって、この遺跡は“放置できない場所”のはず。
ここを動かせば、必ず何かが反応する。」
ドルガンが鼻息を鳴らす。
「つまり、鍛えがいのある相手が来るってことだな。」
「そういう単純な要約やめて。」
リオナが即ツッコミを入れる。「世界の理の話を筋肉会議みたいにまとめないで!」
剛は静かに息を吐いた。
「……だが、ここで引き返すわけにもいかない。」
リオナが剛を見る。
「どうして?」
「ここは、“筋肉と理が並んで語られていた場所”なんだろ?」
剛は、少しだけ笑う。
「だったら――
この世界で筋肉がどこまで通用するか知るには、
ちょうどいい。」
リオナは言葉を詰まらせる。
(……ほんとにこの人は……)
恐怖も、不安も、全部抱えた上で――
それでも前に進もうとしている。
彼は、“勝てるから行く”のではなく、
“鍛え続けてきた自分で挑む”ことを選んでいる。
それは、彼女がこの世界で見てきた
どんな魔導士とも、どんな騎士とも違った。
「……分かったわ。」
リオナは小さく笑う。「じゃあ、私も一緒に行く。」
「当然だろ。リオナいないと、この世界の説明ができねぇ。」
「私の役割そこなの!?」
思わず声が裏返る。「せめて“頼りにしてる”とか言ってよ!」
剛は、ほんの少しだけ目をそらしながら言った。
「頼りにしてるさ。
お前のおかげで、この世界のことが分かる。」
一拍遅れて、リオナの頬が赤くなる。
「……ずるいわ、そういう言い方。」
ドルガンが肩をすくめる。
「ま、なんにせよ行くんだろ?
だったら、オーク族の誇りにかけて前を歩いてやる。」
「俺もだ。」
クァルガが剣の柄を握り直す。「四腕族だからこそ、
“理と筋”の両方を見届けてやる。」
剛は頷く。
「よし。
行こう――“その先”へ。」
彼が円形の台座に足を乗せた瞬間――
床の紋様が淡く光り、
空間の“重さ”が、ほんの少しだけ変わった。
■ 理の影が忍び寄る
その変化は、まだ小さなものだった。
呼吸が、ほんの少し深くなる。
筋肉への負荷が、半歩だけ増える。
だが――
遠く、遠く離れた絶理楼の最上階では、その微かな変化が確かに検知されていた。
「……理波の揺らぎを確認。」
観測官が顔を上げる。「北方地下域――ノーク=レム。
“理と肉体の交差点”が、再び動き出しました。」
白理隊長ハルヴは、静かに目を開けた。
「また、異界の者か。」
観測器に、ひとつの名が浮かぶ。
《神谷剛》
ハルヴは立ち上がる。
「理の外側に踏み出す者。
今度こそ――見過ごすわけにはいかない。」
白い外套が揺れ、
理を纏った影たちが静かに動き出す。
その頃、剛たちはまだ知らない。
自分たちの一歩が、
世界の“理の監視者”を再び呼び寄せたことを。
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