第31章 赤の打診 ― 筋肉は誰の味方か
第31章 赤の打診 ― 筋肉は誰の味方か
― 王都・赤脈殿 ―
高い天窓から、夕陽が赤い筋となって差し込んでいた。
石造りの広間の中央、巨大な魔導盤に、地図と波形が重ねて映し出されている。
「……砦周辺の波形が、また動いたか。」
赤い外套を羽織った男――赤理の隊長が、
顎に手を当て、浮かぶ線を見つめていた。
補佐官が横から、追加の晶板を差し出す。
「黒理観測局からの最新転送です。
ラーニ宿場および街道カーブでの“局所崩れ”――
いずれも、神谷剛の介入により被害最小で収束。」
隊長は、ふっと笑う。
「白理が見れば、“理に逆らう異常因子”だろうな。
だが、我々から見れば――」
補佐官が言葉を継ぐ。
「“崩れ方を学習しながら、
被害を抑えた前例”、ですね。」
魔導盤には、
二つの地点が光っていた。
ひとつはラーニの宿場。
もうひとつは、昨日ひび割れた街道のカーブ。
どちらにも、
黒い小さな印が重ねられている。
「揺れは止められていない。」
隊長が静かに言う。
「だが――散らばらず、
“筋肉の届く範囲”で処理されている。」
補佐官が眉をひそめる。
「……白理への公式報告は、どうなさいますか。」
隊長は、あまりにもあっさりと答えた。
「一段階、落として出す。」
補佐官:「またですか。」
「黒理が送ってきた数値は正確だ。
だが、その“解釈”を白理に任せる気はない。」
隊長は、魔導盤に浮かぶ“筋肉の男”の名前を指でなぞった。
《神谷剛》
「奴は、“理を壊したい男”ではない。」
「“守りたいもののために、
壊さざるを得なくなった時にどう動くか”――
そこが、我々の関心だ。」
補佐官は小さく息を呑む。
「……では、
こちらから直接、接触を?」
「白理は一度退いている。」
隊長の目が細くなる。
「次に動く時は、大きく出る。
それまでに、“別の選択肢”を提示しておく必要がある。」
補佐官は、ちらりと周囲を見渡し、
声を落とした。
「隊長。
あの男を、赤理側の“楔”にするおつもりですか。」
隊長は否定しない。
「楔か、橋か――それは本人次第だ。」
「だが一つだけ言える。」
魔導盤の光が、隊長の横顔を照らす。
「筋肉は、
命じられて動くより、
“自分で選んだ重さ”を担いだ方が強くなる。」
「我々は――
その“選ぶ機会”だけは、奪うべきではない。」
補佐官は、少しだけ微笑んだ。
「……赤理らしいお考えです。」
「では、使者を?」
隊長は頷き、短く指示を出した。
「一隊を出す。
“交渉用の赤”、だ。」
「戦ではなく、対話を前提に動ける者たちを選べ。」
補佐官が一礼し、
足早に広間を出て行く。
赤理の隊長は、
ひとり残された広間で、もう一度魔導盤を見上げた。
揺れ続ける線。
そこに、小さく滲む“別の波”。
(空のきしみ。
地のひび割れ。
そして――)
彼は、言葉にしてはいけない何かを、
心の奥でそっと避ける。
(その前に、
“筋肉で試せること”は、
全部試しておきたいのだよ、神谷剛。)
赤い光が、静かに揺れた。
― オーク砦・夕刻 ―
その日の砦は、
いつになく静かだった。
朝から街道の補修プランを練り、
オークたちに新しい“踏み固めメニュー”を教え、
ようやく一息ついたところで――
「剛!! 門のところに“赤いの”が来てる!!」
見張り台からの叫び声が響いた。
リオナが顔を上げる。
「赤いのって何よ。」
「赤理だろ。」
剛はタオルで汗を拭きながら答えた。
「白よりマシだ。」
「ハードルの設定おかしくない?」
砦の門の上から覗き込むと、
確かに、白ではなく赤の外套を纏った一団が立っていた。
先頭の人物が、
両手を広げて見せる。
武器は抜いていない。
外套も、動きやすいように留め具を外している。
「――オーク砦の戦士たち。
私は赤理調整局所属、マリアン。」
柔らかい声。
年齢はリオナより少し上に見える女性だが、
その目には、戦場の色がかすかに宿っている。
リオナが小声で呟く。
「“調整局”ってことは……
ガチの戦闘班じゃなくて、“橋渡し専門”ね。」
剛は、ひとつ頷き、
門の上から声を返した。
「ここはドルガンの砦だ。
用件を言え。」
マリアンは、
日差しを避けるように目元に手をかざしながら笑った。
「もちろん、まずは砦の主に挨拶したいところですが――
今日は、あなたに会いに来ました、神谷剛。」
門の上が、
一瞬ざわつく。
ドルガンが、
剛の横に並んだ。
「……お前、名前を知られてるぞ、人間剛。」
「まあ、王都で一回暴れたからな。」
「さらっと言うな。」
リオナが横から刺す。
「どうするの?」
剛は、
ほんの少しだけ考えるふりをして――
あっさり言った。
「会う。
ただし門の中には入れない。」
ドルガンの口元が緩む。
「それでいい。
門前なら、いつでも“押し返せる”。」
オーク族らしい物騒な言い回しだが、
それが一番の“安全策”でもある。
砦の外、
門のすぐ内側と外側で向かい合う形になった。
剛、リオナ、ドルガン。
外側には、マリアンと赤理の小隊。
マリアンが、軽く頭を下げた。
「改めて。
赤理調整局・第三班班長、マリアンと申します。」
「今日は“交渉”ではなく――
“確認”に来ました。」
剛:「確認?」
マリアンは、
リオナとドルガンにも視線を向けてから、言葉を続けた。
「まず、礼を。
ラーニ宿場と街道での対応――
王都への報告では、被害を抑えた要因として、
あなたの名前が何度も上がっている。」
ドルガンが、鼻を鳴らす。
「当然だ。
剛は俺たちの砦の“筋肉の柱”だからな。」
リオナ:「誰が上手いこと言えと。」
マリアンは、
そんなやり取りを微笑ましそうに見ていたが、
すぐに表情を引き締めた。
「けれど――
白理は、別の読み方をするでしょう。」
空気が少しだけ冷える。
マリアンははっきりと言った。
「“揺れの中心にいる異界の男。
どこで割れるか分からない揺らぎを、
自分の周りに集めている存在。”」
「そういう見方も、
確かに出来てしまう。」
リオナは唇を噛んだ。
「……で?」
マリアンは、
今度は剛だけを見る。
「赤理としては、
あなたが“何を守りたいのか”を知りたい。」
「理を守りたいのか。
この国を守りたいのか。
仲間を守りたいのか。
あるいは――
“鍛えた自分の筋肉だけ”を守りたいのか。」
剛は即答しなかった。
代わりに、
自分の手のひらに視線を落とす。
街道で荷馬車を支えた時に出来た、
小さな擦り傷が残っていた。
(守りたいもの、か。)
(そんなの――)
彼は、静かに答えた。
「順番は決めてねぇ。」
マリアンが、少し目を瞬く。
「……?」
剛は続ける。
「仲間も、
この砦も、
通り道も。
“今目の前で潰れそうなもの”から、
順番に守る。
それだけだ。」
リオナが横で笑った。
「そういうところよね、あなたは。」
ドルガンも、大きく頷く。
「分かりやすくていい。」
マリアンは、
ほんの一拍だけ黙り――
ふっと息を吐いた。
「……なるほど。」
「“理の安全”を最優先にする白理とは、
やはり考え方が違う。」
「ですが――
“目の前の亀裂を最優先で埋める”という点では、
私たち赤理と、たいして変わりません。」
彼女は、外套の内側から
小さな封筒を取り出した。
赤い紋章が封蝋に押されている。
「これは正式な書状ではありません。
ただの“個人的な招待状”です。」
「赤脈殿の一室を、
一時的な“訓練施設”として開放します。」
リオナ:「は?」
マリアンは続ける。
「王都には、
まだ崩れていないが“きしみの強い地点”が複数ある。
そこを――
“筋肉視点でどう見るか”を、
赤理として知りたい。」
剛は封筒を受け取りながら言った。
「それは、俺を“兵器”にしたいって話か?」
マリアンは首を振る。
「違います。
“指標”にしたい。」
「どの揺れ方が危険で、
どの揺れ方なら、まだ持つのか。」
「数字と理層の知識だけでは、
どうしても見えない“現場の感覚”がある。」
「その部分を、
あなたの筋肉に頼りたい。」
リオナは、半眼で剛を見る。
「どうするの? 剛。」
剛は、封筒を軽く指で弾いた。
「すぐには行かない。」
マリアンが眉を上げる。
「理由を聞いても?」
「街道の補修が終わってねぇ。
オークたちにメニューだけ押し付けて、
自分だけ王都ってのは、性に合わない。」
ドルガンの目が潤む。
「剛……!」
リオナ:「そこに感動するの、ほんと好きよねあなたたち。」
剛はもう一つ付け加えた。
「それと――
白理が“次に動く前”なら、行ってもいい。」
「白が動いたあとの王都なんざ、
どうせ落ち着いてスクワットできる場所じゃない。」
マリアンは、少しだけ笑った。
「“落ち着いてスクワットできるかどうか”が基準なんですね。」
「大事だ。」
「分かりました。」
マリアンは、きちんと一礼した。
「ではその封筒は、
“いつでも使える招待状”だと思っておいてください。」
「あなたが来るなら、
赤理として歓迎します。
あなたが来ないなら――
ここから届く数字だけでも、
可能な限り守りに使いましょう。」
剛は短く頷いた。
「数字は、黒理が拾ってる。」
「筋肉は、こっちで動かす。」
マリアンは、その答えを
どこか満足げに受け止めた。
「……ええ。
それで十分です。」
「筋肉は、
命じられて動くより、
自分で決めた場所で動く方が、強い。」
「赤理としても、その点は同意します。」
そう言って、
マリアンたちは来た時と同じように静かに去っていった。
赤い外套が、荒野の向こうに小さくなっていく。
砦の上で、
リオナがぽつりと言った。
「……世界の揺れ方が、
少しずつ“人の形”をし始めてる気がするわ。」
「白理の理。
赤理の理。
黒理の監視。
そして――
筋肉の理。」
剛は肩を回しながら答えた。
「難しいことは分からん。」
「でも、
自分で選べる重さが増えたなら――
筋肉的には悪くない。」
リオナは呆れたように笑い、
どこか安心した顔で空を見上げた。
まだ、空のきしみは小さい。
だが、その下ではすでに、
それぞれの“理”と“筋肉”が歩く場所を選び始めていた。




