第25章「制限から始まる再設計 ― オフの日も筋肉は仕事をする」
第25章「制限から始まる再設計 ― オフの日も筋肉は仕事をする」
オーク砦・仮設訓練場。
朝の空気はひんやりしているのに、
中央だけ、妙に熱気がこもっていた。
剛は倒木ベンチに腰を下ろし、
膝の上で両手を組んだまま、じっと空を見上げている。
その周りで――
オーク戦士たちがざわざわしていた。
「今日、剛は動かんのか?」
「俺たちのフォームチェックは……?」
「背中の日は? なぁ、背中の日はまだか!?」
リオナがこめかみを押さえ、
深くため息をつく。
「みんな、落ち着きなさい。
今日は“オフ”って昨日ちゃんと言ってたでしょ。」
「オフって何だ?」
「筋肉を休ませる日だ。」
「筋肉を、休ませる……?」
オークたちが一斉に困惑した顔になったところで、
ようやく剛が口を開いた。
「……休ませるのもトレーニングの一部だ。」
リオナがちょっと呆れたように笑う。
「やっとしゃべった。
さっきから空とにらめっこしてるから
“理層でも見えるようになったのか”と思ったわ。」
剛はリオナを見ることなく、
まだ空に視線を向けたまま呟いた。
「空は見てねぇ。
自分の“落ち方”を整理してる。」
「落ち方?」
「白理隊長――ハルヴとの一戦だ。」
その名前を出した瞬間、
砦の空気が少しだけ緊張した。
オークたちも耳をそばだてる。
剛は、あの一撃を思い出していた。
ポージングで筋肉を最大限まで覚醒させ、
理断の線を読み、押し返し――
その後に襲ってきた、あの重い“抜け感”。
(あの時――
俺は“いつも通り”のオーバーロードが
この世界でも通用すると、思い込んでた。)
「……悔しい。」
ぽつり、と剛が言った。
リオナが少しだけ表情を曇らせる。
「負けたから?」
「違う。
“無限に上げられる”なんて、
どこかで勘違いしてた自分にだ。」
剛は拳を握りしめた。
「この世界の魔力は、確かに超回復の燃料になる。
でも――それでも“器”がある。」
「ハルヴとの戦いで、
俺の器のフチがどこにあるかを、
はっきり思い知らされた。」
リオナは、少しだけほっとしたように息を吐いた。
(……気づいたのね。
“無限じゃない”って、ちゃんと自分で。)
オークたちはよく分かっていない顔だが、
真剣な剛の横顔に、誰も口を挟まない。
剛は続けた。
「今までは――
“限界を超える”って言葉を、
ちょっと雑に使ってた。」
「でも本当の限界突破ってのは、
一生にそう何度もやるもんじゃない。」
リオナが頷く。
「前に言ってたわね。
“筋繊維が断裂する手前までいくのは、
普通は一生に一回でいい”って。」
「ああ。
この世界に来て、魔力の補助で
そのラインが分かりにくくなってた。」
剛はゆっくり立ち上がり、
胸の前で両手を組んで軽くストレッチした。
「だから――
今から、トレーニングを組み直す。」
リオナが目を丸くする。
「組み直す?」
「“無限に強くなる”前提の
バカみたいなメニューは捨てる。
ちゃんと“制限付き”の世界用に作り替える。」
オークたちがざわついた。
「捨てる!? あの地獄メニューを!?」
「いや、むしろ助かる……」
「お前は泣いてたもんな……」
剛は少しだけ笑う。
「安心しろ。
楽になるとは言ってねぇ。」
リオナ:「出たわね、悪魔の前置き。」
剛は地面に枝で線を引きながら、
簡単な表を描き始めた。
剛式・異世界メニュー再設計
「まず――
“全部MAX”をやめる。」
リオナ:「最初からそれやめてほしかった。」
「今までは、
“超回復が効くなら、毎回ギリギリまで追い込んでもいい”
って感覚がどこかにあった。」
「でも実際は――
超回復が働くには“段階”が必要だ。」
剛は三本の線を引く。
「① 基礎の日
② 追い込みの日
③ 抜く日」
オークA:「“抜く日”ってなんだ、筋肉を抜くのか!?」
オークB:「やめろお前、剛の筋肉が減ったらどうすんだ!」
「減らねぇよ。」
剛は苦笑しながら説明を続ける。
「① はフォームと可動域、
② は出力とオーバーロード、
③ は“魔力と筋肉に呼吸させる日”だ。」
リオナが首をかしげる。
「呼吸させる?」
「この世界では、
俺の体は魔力を“超回復の燃料”として扱ってる。」
「でも、それをずっとフルスロットルで回してたら――
魔力の流れの方が先にバテる。」
リオナの表情が変わる。
「あ……
だから、ハルヴとの第2撃の後、
動きが一瞬重くなってたのね。」
「あれは――
筋肉じゃなく“魔力配分”がオーバーしてた。」
剛は延々と話しそうな勢いだったが、
一度息を整えた。
「だからこれからは、」
「筋肉の疲労・魔力の疲労・神経の疲労
この三つを別々に見る。」
リオナ:「……あのさ。」
「うん?」
「今の話、
半分くらい“私の研究メモ”としてめちゃくちゃ欲しいんだけど。」
「あとで書いてやる。」
「約束よ!」
リオナの目が、研究者モードの光を帯びる。
日常パート:筋肉は休んでても周りが騒がしい
説明を終えると、
剛はようやく立ち上がって肩を回した。
「今日は“③ 抜く日”だ。」
オークたち:「……。」
「軽いストレッチと、
ポージングの確認だけにする。」
オークC:「いや、ポージングは“軽く”か?」
オークD:「昨日の“モストマスキュラー講座”で
俺たち全員攣ったんだが……」
剛:「あれはお前らが力みすぎただけだ。」
そんなやり取りをしていると、
奥からクァルガが姿を見せた。
長躯の獣人戦士。
鋭い眼光に、筋肉のラインは無駄がない。
クァルガが肩をぐるりと回しながら言う。
「剛。
今日は“休みの日”だと聞いたが。」
「ああ。」
「ならば――スパーはどうだ?」
リオナ:「話聞いてた!?」
クァルガは首をかしげる。
「“オフの日”とは、
鍛えた身体を使う日だろう?」
「お前も昨日、そう言っていたはずだ。」
剛は少し考え、頷いた。
「……軽めなら、ありだな。」
リオナ:「妥協した!?
今、“筋肉と理論の人”から
“筋肉が勝つ人”になったわよね!?」
剛は笑う。
「スパーも、“神経のチューニング”としてなら悪くない。
出力を抑えて、動きの確認だけする。」
クァルガの瞳が嬉しそうに光る。
「よし!
では“七割の力”とやらを、俺にも教えてくれ。」
リオナ:「……七割とか、信用できないわ、この二人の。」
結局、砦の一角で
**“軽めのはずのスパー”**が始まった。
剛は本気の半分にも届かない出力で動いているが、
それでもクァルガの目は楽しそうだった。
「なるほど……
お前の“間合いの詰め方”は、
筋肉の収縮と連動しているのか。」
「お前の一歩は、“斬るため”じゃなく“効かせるため”だな。」
剛も負けてはいない。
「お前の踏み込みは、
“反復ジャンプ”の感覚に近い。
軸足側の臀筋がよく働いてる。」
「その意識でスクワットやったら、
もっと伸びるぞ。」
リオナは遠巻きにそれを見て、
頭を抱えた。
「……何この人たち。
戦闘中に筋トレアドバイス始めるの、やめない?」
砦のオークたちは、
その光景を見ながら感心していた。
「剛とクァルガが一緒にいると、
“戦士の授業”みたいになるな。」
「ちょっと勉強になる。」
「さっきから言ってる“殿筋”ってどこだ?」
リオナはそんな様子を横目に、
ふっと笑ってしまう。
(……こういう時間、悪くないわね。)
剛の“制限”と、これから
スパーも終わり、
夕方。
剛は焚き火の前で、
魔物肉と穀物を煮込んだ鍋をかき混ぜていた。
リオナが隣でメモを取りながら問う。
「結局、今日決めた“再設計”って――
具体的にはどうなるの?」
剛は鍋の味見をしてから答えた。
「ざっくり言えば、こうだ。」
「① 戦闘前に“完全MAX”まで持っていかない。
→ 戦闘中のポージングで“段階的に上げる”。」
「② 魔力の流れを“常時フル稼働”させない。
→ トレーニングと日常で“オン/オフ”を作る。」
「③ 超回復に頼りすぎず、
普通の休養もちゃんと挟む。
→ 寝る、食う、何もしない日も入れる。」
リオナはメモを取りながら、
ふと真面目な顔になった。
「……つまり。」
「あなた自身が、
“筋肉にも限界がある”って前提に戻ってくれたってことね。」
剛は鍋を火から下ろしながら、
小さく笑った。
「限界があるから、工夫できる。」
「無限に伸びると思ってたら、
“雑に強くなる”ことしか考えなくなるからな。」
リオナはその言葉に、
少しだけ胸の奥が軽くなるのを感じた。
(よかった……
この人、どこまでも行ってしまうんじゃないかって
本気で怖かったから。)
剛は鍋をよそいながら、
さらっと付け加える。
「それに――
俺ひとりが無理して壊れるより、
みんなで少しずつ上に行ったほうが、
結果的に“世界の筋力”は上がる。」
リオナ:「世界の筋力って何よ。」
「文字どおりだ。」
剛は真顔だった。
リオナは思わず吹き出す。
「……やっぱりあなた、
どれだけ真面目な話をしても“筋肉の人”ね。」
「筋肉の人で悪かったな。」
「悪くないわ。」
リオナは小さく笑い、
剛から受け取った椀を見つめた。
(限界を知って、ちゃんと止まることを覚えた……
それでも前を向いてる。)
(この人が“世界の理”と殴り合う時、
きっと前より“賢い無茶”をしてくれる――
そんな気がする。)
オークたちとクァルガも集まり、
鍋を囲んで食事が始まる。
笑い声。
「タンパク質!」「炭水化物!」と意味の分からないコール。
それに付き合わされて呆れるリオナ。
そんな、
平和で、でもどこか濃い“オフの日”。
世界の深層で揺らぎは続いているが、
この夜だけは――
筋肉も、理も、少しだけ肩の力を抜いていた。




