第2章「マッスルは信仰なり ― 力を笑う村で」
村人たちは魔術中心の価値観を持ち、
筋肉は“珍しいが役に立つ”程度の扱い。
そこへ、剛の“本物の鍛え方”が入り込みます。
筋肉と魔力の文化ギャップを楽しめる章です。
第2章「マッスルは信仰なり ― 力を笑う村で」
草原の風が、優しく頬を撫でていた。
あの清らかな香りは、今も微かに残っている。
だが遠くには、煙のような匂いが混ざっていた。
人の営みの匂い――文明の気配だ。
神谷剛は、筋肉の声に導かれるように歩いた。
光沢のある土を踏みしめるたびに、筋肉が静かに反応する。
まるで地そのものが、彼の歩調に合わせて呼吸しているようだった。
(……この世界の重力は、少し軽いな。動きやすい。
筋肉が、まるで喜んでるみたいだ。)
谷を越えると、小さな村が見えた。
木造の家々と、煙を上げる竈。
人々の声が風に乗って届く。
剛は微笑んだ。
(まずは、ここからだ。筋肉を――この世界で生かす方法を探す。)
村の入口に立つと、農具を持った男たちが剛に気づいた。
その視線は、一様に訝しげ。
見慣れぬ格好、そして異様に発達した肉体。
半裸の筋肉質の男が突然現れたのだ。無理もない。
「お、おい……お前、何者だ? 傭兵か?」
「その身体……魔力の刻印も見えねぇ。まさか“無マナ”か?」
“無マナ”。
その言葉に剛の眉がわずかに動く。
(無マナ……? 神が言っていた“魔力”ってやつか?)
「魔力がない奴は、働き手にもならねぇぞ!」
「村に入れるな、呪われる!」
ざわめきが広がる。
剛は静かに息を吐いた。
(なるほど、筋肉より魔力が重んじられる世界……ってわけだな。)
彼は両手を軽く上げ、ゆっくりと前に出る。
「俺は争う気はない。ただ、少し腹が減っているだけだ。」
「うるさい! “無マナ”は出ていけ!」
その時だった。
遠くの畑で、悲鳴が上がる。
「キャアアッ! ゴルドウが! 魔獣ゴルドウが来たぞ!」
村人たちが一斉に振り返る。
黒い影が森から飛び出した。
二本角を持つ巨大な猪のような魔獣――ゴルドウ。
魔力を帯びた突進が、家々をなぎ倒していく。
「魔術師を呼べ! 早く!」
「だめだ! 魔力障壁が間に合わねぇ!」
混乱の中、剛が一歩、前に出た。
「下がってろ。」
「な、何を……!? お前には魔力が――!」
「筋力がある。」
その言葉とともに、彼の身体がわずかに光を帯びた。
胸筋が震え、肩が膨張する。
血流が全身を駆け巡り、筋繊維が共鳴音を立てる。
剛は地を踏み込んだ。
土が爆ぜ、衝撃波が走る。
ゴルドウが突進してくる。
その速度、弾丸のごとし。
だが剛は逃げなかった。
腰を落とし、構える。
呼吸を整え、筋肉に語りかける。
(行くぞ、限界を超える。)
拳を握り、踏み込む。
衝撃が空気を裂く。
次の瞬間、光のような一撃がゴルドウの顎を捉えた。
――轟音。
巨大な獣の体が宙を舞い、畑の奥へと吹き飛んだ。
静寂。
風の音が戻る。
村人たちは、口を開けたまま動けなかった。
「ま、魔力を使っていない……のに……」
「なんだ、あの力は……!」
剛は軽く拳を下ろし、静かに息を整えた。
「魔法じゃない。筋肉だ。」
風が頬を撫で、草木が微かに揺れた。
その中で、誰かが呟く。
「……筋肉が、魔物を……?」
彼は微笑んだ。
「筋肉は、裏切らない。
それはこの世界でも同じだ。」
光が、彼の背後で揺れた。
それは“マナ”ではなく、“生命の律動”だった。
この世界に、筋肉という新たな信仰が生まれた瞬間である。
― 戦いのあと ―
畑の奥に吹き飛んだ魔獣ゴルドウは、ぴくりとも動かなくなっていた。
村人たちは誰一人声を発せず、ただ神谷剛の背中を見つめていた。
沈黙を破ったのは、ひとりの少年だった。
「……すげぇ……」
その声に、村人たちの緊張がほどける。
次々とざわめきが戻ってきた。
「な、なんなんだあの男は……魔法も詠唱もしてないぞ!」
「まさか、本当に“無マナ”で……?」
「それであのゴルドウを……?」
恐怖と驚き。
それらが入り混じった視線が剛に突き刺さる。
剛はゆっくりと息を吐き、土にめり込んだ拳をほどいた。
その手の甲には、かすかに光が残っている。
(やっぱりだ……。あの瞬間、筋肉が何かに反応していた。
けど俺には“魔力”ってやつの仕組みは分からない。
ただ分かるのは……筋肉が、生きてるってことだ。)
村の長老が杖を突きながら近づいてきた。
灰色の髭を揺らし、ゆっくりと剛を見上げる。
「……助かった。あの魔獣を倒せる者は、この村にはおらなんだ。
名を、聞いてもよいか。」
「神谷剛。」
「剛……。異界の名だな。」
長老は目を細め、周囲を見渡した。
「みんな、今日はもう家に戻れ。
この男は悪意を持っておらん。
むしろ、命を救ってくれた恩人だ。」
ざわめきが再び起こる。
その中で、ひとりの男が声を上げた。
「だが、長老! あいつには魔力がねぇ!
魔力がない人間なんて……生き物として不完全じゃないか!」
剛はその言葉に、ほんの一瞬だけ目を細めた。
しかし、何も言わなかった。
反論ではなく、静かな視線だけを返す。
その沈黙に、男の方がたじろいだ。
「……まあいい。
剛殿、しばらく村に滞在するといい。
飯と寝床くらいは用意しよう。」
「感謝します。」
― 村の夜 ―
夜。
焚き火の煙が、星空に吸い込まれていく。
村人たちは遠巻きに見ていたが、子供たちは好奇心を抑えきれずに寄ってきた。
「ねぇねぇ、おじさん! どうしてあんなに強いの?」
「その腕、どうやって作るの? 魔力の呪文?」
剛は苦笑し、腕を軽く曲げた。
盛り上がる上腕二頭筋に、子供たちの目が輝く。
「これは呪文じゃない。努力だ。」
「どりょく?」
「ああ。
毎日、限界まで体を動かして、
少しずつ強くしていく。
そうやって積み重ねた力が、筋肉になる。」
子供たちは顔を見合わせて笑う。
「限界まで? それって痛そう!」
「痛いさ。でもな――」
剛は焚き火の炎を見つめながら言った。
「痛みは、一番確かな成長の証だ。
逃げなければ、必ず強くなれる。」
その言葉に、子供たちは不思議そうに首を傾げた。
だが、その目には、わずかな憧れが宿っていた。
― 長老との語らい ―
深夜。
皆が寝静まった頃、長老が剛のもとを訪ねてきた。
「……不思議なものだな。
お前のように魔力の気配がまったくない者を見たのは、初めてだ。
だが確かに、お前の中には“何か”がある。」
「それが筋肉です。」
長老は目を丸くした。
「筋肉、というのか?」
剛は頷く。
「俺たちの世界では、鍛えれば誰でも強くなれる。
それが“筋肉の理”だ。
努力を積み重ねた分だけ、力になる。」
長老はしばらく考え込み、やがて静かに笑った。
「なるほど。
魔力は生まれつきの才だが、筋肉は後天の努力……。
この村にはない考え方だ。」
剛は焚き火の残り火を見つめた。
「筋肉は嘘をつかない。
努力も、痛みも、全部覚えてくれる。
裏切らないんです。」
風が吹き、火が揺れた。
長老はしばらくその炎を見つめ、静かに言った。
「……魔力よりも、確かな力、か。
神谷剛――お前、面白い男だ。」
夜空には、二つの月が浮かんでいた。
その光を背に、剛は腕を組み、静かに微笑んだ。
「この世界でも、筋肉を積み上げるだけだ。」
村人との交流で、剛は“異世界でも筋肉は通じる”ことを知ります。
ただ、魔力という理の違いが、少しずつ軋みを生みつつある。
次章では、剛とリオナの出会いに繋がり、
筋肉と研究者という異質な組み合わせが動き出します。




