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五章 privateな調査

1、

「……なんだよ」猪狩は自分ができる精一杯の嫌な顔を奈美香に見せつけた。

 一週間が過ぎた。藤井基樹、新川怜奈に事件の事を話し、例の如く推理大会のような事もあったが、特に何か思いつくでもなく平凡に過ぎていった。

 猪狩はこの日も平凡に過ごす予定だった。少なくとも時間が一桁のうちは起きるつもりはなかった。

 現在九時半。さすがに休日の朝早くから他人宅を訪れるという非常識な行動にはならなかったが、猪狩にとっては十分不機嫌になるに足る時間だった。

「車出して」奈美香は気にも留めずににっこりと微笑む。

 なぜか猪狩の家の前には奈美香がいた。いや、なぜかはわかりきっている。

「うちはタクシーじゃないぞ」

「面白くないわよ、それ」

「うるさいな、何なんだよいきなり」

「いいから、出しなさい」

 いつの間にか命令口調になっている。こうなってしまってはどうしようもない。本当はまだ応戦可能だが、あとあと面倒になる。

「……ちょっと待ってろ」猪狩は応戦する事を諦め、支度に取り掛かる。一度玄関の戸を閉める。

「母さん、車貸して」

「なあに? デート?」

「まさか、奴隷だよ奴隷」

「そんな事言わないの。はい、鍵。楽しんでらっしゃい」

「……行ってきます」

 楽しめるものか。どうせ行き先は決まっている。再び戸を開けると妙に上機嫌の奈美香が待っていた。

「さて、行きましょ」

「最初は誰の家だ?」

「そうねえ、まずはここ」そう言って住所が書かれたメモを手渡す。「瀬戸さんの家」

「へいへい」

 なぜこんな目にあっているのだろうか。朝早くに起きた事ではない。もちろんそれもあるが。

 確かに人生において多少の刺激は欲しい。しかし、それはハンバーガーに入っているピクルスのようなものでいい。なければないでいいと思っていたのに実際にないと物足りない。その程度でいいのだ。

何を好き好んで殺人事件に巻き込まれ、ましてや、なぜ捜査をしなければいけないのだ。それも何度も。子どもが裸足で逃げ出すピーマンの苦さなど要らないというのに。


2、

 新興住宅街という言葉が似合う地域。存在を主張しすぎない草木が理路整然と道路脇に並ぶ。真新しい大きめの公園では子どもたちが無邪気にはしゃいでいる。そのすぐそばに瀬戸の家があった。

「はい、どうぞ」

 瀬戸は二人のために紅茶を淹れてくれた。実のところ猪狩は紅茶が嫌いだったが、相手の親切を無下にはできないので、黙っていただく事にした。

「で、どうかしたの?」瀬戸は優しい笑顔で聞いてきた。

「ちょっと、事件の事でお話が……」奈美香がそう言うと、瀬戸は表情を険しくした。

「何をする気なの? 素人が首を突っ込んじゃダメよ。そういう事は警察に任せなさい」悪戯をした子どもを諭すような、優しげではあるが厳しい口調で瀬戸が言う。

「すいません。康平がどうしてもっていうので。彼、何度か事件を解決しているんですよ。この事件って、普通じゃないじゃないですか。普通の事件だったら警察に任せればいいんですけど、密室から死体が移動したり。こういうのを解くのが得意なんです」

 もう、反論するのは、諦めた。

「うーん」瀬戸は納得がいかないようだったが、やがて「まあ、考えるのは自由だしね」と渋々了承した。「何が聞きたいの?」

「夕食の後、瀬戸さんと阿久津さんは二人で部屋にいたんですよね?」

「ええ、彰と二人で昔話をしていたわ。昌弘も誘おうとしたんだけど、見つからなくって」

「夕食の後、すぐですか?」

「ええと、まあ、そうね。一度、部屋に戻ったけど、五分もせず彰の部屋に行ったわ」

「? 教授はいつ誘ったんですか?」

「彼、パーティーの終わるちょっと前からいなかったじゃない。で、上に上がるときに部屋に寄ったんだけど、いなくて。ちょっとは探したんだけど、まあいいかって」

 猪狩は記憶を遡る。どうだっただろうか。確かに、教授はパーティーの終わりにはすでにいなかった気がする。柏田がパーティーのお開きを宣言していたはずだ。そして、二人が階段を上っていくのは見た。その後教授の部屋に寄った後に自分の部屋に行ったかどうかまでは見ていないが。

「その時、教授の部屋の中に入りましたか?」今度は猪狩が質問する。

「ちょっとドアを開けて中を覗いたくらいで、中には入っていないわ」

「じゃあ、一度も教授の部屋には入らなかったんですか?」

「いえ。あそこに着いた時に挨拶しに入ったわよ。けど別にたいして変わった事はなかったわよ」

「そもそも、佐加田家ってどんな人たちなんですか?」再び奈美香が訪ねた。

「どんな、ってねえ……。昌弘は大学のときはいいとこの坊ちゃんって感じだったわ。おとなしい優等生っていうよりは、甘やかされたヤンチャっ子って感じでその時からわりと悪戯好きだったんだけど。まあ、年を重ねるごとにタチが悪くなってるわね」そう言って苦笑する。「静江さんはよくわからないわ。なんであんなのと結婚したんだか……。別に、昌弘の事を悪く言ってるわけじゃないのよ。彼はとてもいい人よ。仲間内に一人はいて欲しいムードメーカーみたいな感じで。旦那には絶対にしたくないけどね」

「結衣さんはどうですか?」

「なんていうか……、母親似で良かったわ。でも彼女もあんまり知らないの。あの家族に会ったのは五年ぶりだから。彰に聞くといいんじゃないかしら、毎年パーティーに出ているらしいから」

「そうですか、わかりました。あ、紅茶ご馳走様でした」


 瀬戸宅を後にした二人は次に阿久津に話を聞くことにした。猪狩はささやかな抵抗を見せたものの徒労に終わり、おとなしく運転する事にした。

 先程とは別の住宅街の一角、標準的な一軒家のうちの一つが阿久津宅だった。奈美香は呼び鈴を鳴らす。

「はい」どこか幼さのある声が応答した。

「矢式と言いますが、彰さんいらっしゃいますか?」

「ちょっと待ってください」声が遠ざかる。遠くから「お父さーん!」と呼ぶ声が聞こえた。しばらくすると扉の鍵が開き、阿久津が出てきた。

「どうしたの?」阿久津は不思議そうな顔で二人の方をを見ている。一度会っただけで、特に親しくなったわけでもない。不思議に思うのも無理はないかもしれないそういう意味では瀬戸は順応性の高い人物だといえる。

「ちょっとお尋ねしたい事がありまして」

「ん? 先週の事?」

「まあ、そうですね」

「いいよ、入って」

 二人はリビングに通された。阿久津の奥さんが紅茶を淹れてくれた。猪狩はまたしても苦手な紅茶と対面する事となったのだが、眉を少し動かしただけで何も言わずに戴くことにした。ただ、ほとんど手はつけなかったが。

「で、聞きたいことって?」

「静江さんと優衣さんについて知っている事があったら教えていただきたいんですけど」

「ん? 先週の話じゃないの?」

「あ、いえ。大体は瀬戸さんに聞いたんで。でも一応教えてくれませんか?」

「なんか、警察みたいだな。まあいいか」瀬戸と違いあまり気にしていない様子である。

 阿久津の証言は瀬戸と一致した。新しい事は特にわからなかった。

「やっぱり、一緒ですね。じゃあ、二人について聞いてもいいですか?」

「いいけど、なんか話すことあったかなあ?」

「あ、その前に一ついいですか?」猪狩が口を挟んだ。瀬戸の家でも自ら質問をしていて割と活発な猪狩に奈美香は驚いたようだ。

「何だい?」

「阿久津さんはあの日初めてあの別荘に行ったんですか?」

「そうだよ。それが?」

「じゃあ、教授の部屋に入りましたか?」

「うん。来た時に一回。あと夕食後に一回。あ、二回目は覗いただけだ」

「瀬戸さんと一緒にですか」

「ああ、二回目はそうだよ」

「ありがとうございます。あ、話し戻していいよ」猪狩は奈美香に先ほどの続きを促す。

「えーと、あの二人、実は教授と仲が悪かったとかはありませんか?」

「ないと思うけどなあ。静江さんはかなり献身的だし、結衣ちゃんだって大人しいいい娘だよ」

「そうですか……」

「あ、でも静江さんってああ見えて昔は結構気が強かったんだよ。」

「そうなんですか?」

「うん。昌弘に負けず劣らず我が強いっていうか。その頃は喧嘩もけっこうしてたし、仲が悪いって言ってもいいかもしれないね。でも二十代の頃の話だよ。そうそう、一回もの凄い喧嘩した事があったっけ。いつからかな、ああいう大人しい性格になったの?」阿久津は思い出そうと頭をかいている。

 奈美香はといえば、仲が悪かった時期があるという情報は耳寄りだが、あまりにも昔の事なので若干どうでも良い、といった風で密かに顔をしかめている。

「あ、結衣ちゃんが生まれたあたりかな? そのちょっと前かも。とにかく、親としての自覚が出たんでないかな?」

「そうなんですか」奈美香は作り笑いをした。


「どうしたのよ? 教授の部屋がどうしたっていうの?」車に乗り込みながら奈美香が聞いた。

「教授の家には行く?」奈美香の質問を無視して猪狩が質問を返す。

「うーん。私たち一般人だから、さすがに遺族に話を聞くっていうのもね……」

「じゃあ、調べなきゃいいのに……」猪狩は奈美香に聞こえないように呟いた。

「仕方ないから、そっちの方は伊勢さんから聞きだしましょ!」

「じゃあ、全部そうすればいいのに……」今度も微かに呟いたが奈美香に聞こえてしまったようだ。

「うるさいわねっ!! こういうのは自分で調べるのが一番いいのよ! それより、教授の部屋がどうしたっていうのよ?」

「別に。ただ、瀬戸さんと阿久津さんにも犯行が可能な事がわかっただけ」

「……全然わかんない」

「たいした事じゃないよ。あの三階には鍵がかかっていた。その鍵は教授の部屋のわかり易い所にあった。あの二人は教授の部屋に入った。だから、あの鍵を見つけて鍵をかける事はできた。

 そもそも、俺たちがあの部屋の前に来たときには中で物音はしなかったから、その前に死体が移動した事になる。ということはあの部屋に鍵がかかっている必要はない。

 鍵がかかっていたのはあくまで、あの不可解な現象を修飾するためのものでしかない。たまたま鍵を見つけて利用しようとしただけかもしれない。そういう意味であの二人のどちらかが、教授の部屋で鍵を見つけて初めて、鍵をかけるという事を思いついたかもしれないという事。

 どうやったかわからない以上、あそこに行って初めて犯行を思いついた、という類のものかもしれない。だから、あの二人にも犯行が可能だったって事。以上」猪狩は箇条書きのような口調で一気に話した。

「で、どうやったかはわかったの?」

「さあ? それがわかってたら俺はこうして運転してないわけだし」


3、

 三日が過ぎた、水曜日。猪狩、奈美香の二人は水曜日に授業を一つしか入れておらず、昼からは暇となる。学食も飽きたし、どこかで昼食を取ろうかという話になっているとき、見慣れた車を見つけた。

「これって?」

「ああ」

「やあ」後ろで声がする。案の定、伊勢だった。被害者はO大の教授だから、聞き込みに来るのは当然である。「もう帰るの?」

「ええ、授業が終わったんで。伊勢さんは昼食もう食べました?」

「いや、まだだけど」

「よかったらご一緒しませんか?」

「いいけど、どこに?」

「近くに美味しいスープカレー屋さんがあるんです」

「いいよ、じゃ、乗って」


「何かわかりましたか?」店に着き、注文を済ませたところで奈美香が単刀直入に聞いた。

「君のそういうところ好きだよ。僕の立場理解してあえて聞いて来るんだから」伊勢は苦笑した。「何というかね、報告書が書けない。死体が瞬間移動したなんて馬鹿げてるからね。何か仕掛けはあるんだろうけど。まあ、別館を爆破したのはその証拠隠滅だろうね。手掛かりゼロだよ。」そう言ってお手上げのポーズをした。「おまけにもう一つ。教授の死因はなんだと思う?」

「失血死とかじゃないんですか?」

「ショック死」そう言ってため息をついた。「腹部に火傷の痕があったからスタンガンによるものだと思うけど」

「気絶させようとして殺しちゃったって事ですか?」

「いんや。推理小説とかではよくあるけどスタンガンじゃ気絶しないんだよ。ちなみにクロロホルムもよく出るけど、あれも嗅いでも気を失う事はないよ」

「え!? そうなんですか?」奈美香は驚いて目を見開いた。猪狩もそれは知らなかったようで驚いた風に眉を少し上げている。

「おまけにスタンガンは殺傷能力も低い。体の弱い人が受けると死亡する事もあるけど、教授はいたって健康体だった。おそらく改造して電流を上げたんだろうね」

「ってことは最初からスタンガンで殺すつもりだったんですか?」

「そういう事になるね。でもそうだとするとなぜ心臓を刺したのかがわからない」

「うーん。吸血鬼の心臓に杭を打つのと似たような感じですかね?」奈美香が言ったが、苦し紛れの意見だったようで、釈然としない表情である。

「杭ならわかるけど、刃物を刺すなんて話あった?」

「そうなんですよね……」

「で、さっぱりだから当面は動機の方から探っているけど、全然出てこない」

「全く、ですか?」

「今のところね。あの六人、君らを入れれば九人か、警察って無駄が多いもんで、その六人以外にも被害者の周りを調べなきゃいけないんだけど、全然だね」

「その六人は? えっと、静江さん、結衣さん、柏田さん、阿久津さん、瀬戸さん、あとは……」

「使用人の牧田洋子。君らは見てないだろうけど」

「で、どうなんですか?」

「まず、家族関係は良好。近所、もちろんあの別荘じゃなくて本宅の方ね。周りの話を聞いたけどいい話しか出てこなかったよ。夫婦関係、親子関係ともに良好、柏田も牧田も証言している」

「家政婦は見た! 的なのは?」

「ないない。静江さんは献身的な奥さんって感じだし。結衣さんも特に悪い話はないかな? まあ、ちょっと疎遠な感じはするけどあの年頃の親子ってそんなものだろ? それに、家庭の事情って話しにくいだろうから、実際はわからないけどね。で、柏田は佐加田家に驚くほど従順。もうびっくり。何せ、かれこれ三十年以上働いてるからね」

「て事は二十代から?」

「ああ、柏田は大学中退なんだ。授業料が払えなくなってね。途方にくれている所を拾われたらしい。被害者の父親にだね。彼は癌でもう亡くなってるけど」

「瀬戸さんと阿久津さんは?」

「ここ数年は年に一度のあのパーティーくらいでしか会ってなかったらしい。特に瀬戸は五年ぶりだから、シロだろうね。何かあるとしたら阿久津かな? 高校からの付き合いで大学卒業後も結構付き合いがあったらしいから、家族以外では一番身近な人物だね。もうちょっとすれば何か出てくるかも」

「そうですか……」

 料理が運ばれてきた。三人は食べながらも会話を続ける。

「牧田さんはどうですか?」

「彼女はまだ調査中。まだ、あそこで働いて一年くらいだから、よく分かってない」

「あの……、報告書を見せてもらえませんか?」奈美香は遠慮がちに言った。

「まさか! さすがにそれはできないよ」伊勢はそう言ってコーヒーを飲む。しばらく気まずい沈黙が流れた。

「さて、ちょっとトイレ」そう言って伊勢が席を立つ。「ああ、そこの鞄、絶対に見ないでね」伊勢はトイレの方に歩いて行った。

「この鞄の中に報告書が入ってるから俺の見てないところで見なさい、って事?」

「絶対に見るなと言ったのは空耳か?」よくもここまで都合よく解釈できるな、と猪狩は呆れを通り越して感心した。しかし事実、そういう意味合いなのだろう。

 奈美香は伊勢の鞄の中から分厚いファイルを取り出した。しかし、伊勢が報告書を書けないと言ったとおり、事件の概要については少なかった。

 死亡推定時刻は八時半から九時半の間。死因はスタンガンの電流によるショック死。スタンガンは見つかっていない。さらに包丁で心臓を正面から刺されている。包丁は量販店にある一般的なもので、佐加田家にあったものではない。指紋はなし。現場からはBB型の血液のみが検出されたため、被害者の血液のみと思われるが、現在検査中。

「なんで殺した後包丁で刺したのかしら……」

 別館から被害者が移動した事は一応書かれてはいるが、やはり非現実的な事は書きづらいのだろう、信憑性の薄いものとして書かれていた。

 残りの情報はすでにわかっていた事がほとんどだった。

 佐加田昌弘はパーティーの途中、八時二十分頃を最後に目撃されていない。柏田も牧田も見ていないという。

 佐加田静江は体調不良を訴え、八時頃に自室に戻り、薬を服用して就寝した。薬は風邪薬と睡眠導入剤で行きつけの病院から処方されたものだった。数日前から体調が悪かったらしく、その時に処方されたものである。

 柏田智宏と牧田洋子は八時半にパーティーを終えた後、後片付けをしていた。その後、牧田一人に任せて、柏田が二階に上がろうとしたところで、三階で悲鳴を聞いた。

 牧田はずっと後片付けをしていたが、証拠はなし。ただし、作業の進行度から見てほとんど間違いはないと思われる。

 残りの者は自室にいたと証言している。ただ、佐加田結衣は、九時前に猪狩の部屋を訪れている。

 その他、当日の各人の行動などが調べられていたが事件発生時のものはこのくらいである。奈美香は報告書を鞄にしまった。ちょうど伊勢が戻ってきた。

「見てないよね?」伊勢が笑みを浮かべて聞いてきた。

「はい、もちろん」奈美香は笑顔で返した。

 猪狩は一人コーヒーを啜っていた。


4、

 翌日の木曜日、奈美香は一講目の授業を終え、次の授業に向かう所だった。一番新しく建てられた五号館は一階のみ四号館と繋がっている。奈美香は四号館を経て三号館へと入り、そのまま230教室に入る。230教室はO大の中でも大きい教室で「ニーサン」と呼ばれている。くだらない駄洒落ではあるが、呼びやすいのでほとんどの学生がそう呼んでいる。他に四号館の150教室が「イチゴ」ないし「イチゴー」と呼ばれている。「イチゴー」だと単語として意味を成さないが、呼びやすければ良いらしい。

 次の授業は従兄の木村の授業である。見た目の通りラフなので授業は非常に楽で、いわゆる「安パイ」と呼ばれる教員である。授業を大して聞いていなくても最後には何とかなる。

 さらに何かの映像をスクリーンに映すためカーテンが閉められている。それが余計に睡魔を襲って耐え難い。上の空で授業を終えた後、木村の元へと向かう。

「良兄」

「ん? ああ、奈美香か。何? あ、ちょっと待って」そう言うと木村は壁のパネルのボタンを押した。カーテンが自動で引かれていく。

「あれからどう?」

「どうって何が? それと、あれからっていつから?」

「事件の事よ!」

「ああ……。警察にいろいろ聞かれたけど、別に」

「ああそう。ねえ、やっぱり何も気づいた事ないの?」

「気づいた事って言ってもねえ……」

「じゃあ、教授を恨んでた人っていない?」

「知らないよ。僕みたいに教授に振り回されてた人ならいたろうけど」

「うーん」

「何かいろいろ考えてたみたいだけど何かわかったの?」

「全然。状況的に結衣さんか静江さんなのよね……。他の皆は私たちと動いていたし、牧田さんも片付けの進度からして、不可能っぽいし。けど、誰にしたってどうやったかがさっぱり」

「窓から橋渡ししたってのは?」

「一番妥当っぽいけど、どうやったって死体に手が届かないわよ。部屋の中に誰かいないと無理ね。そんな人いなかったのは私たちが見てるでしょ?」

「どこかに隠れてたかもしれないよ?」

「あのねえ……」奈美香はため息をついた。「覚えてないの? あの部屋に隠れる場所なんてなかったわよ。押し入れもクロゼットもなかったんだから」

「別館の教授は映像だったとか」

「見間違えるわけないでしょ」

「考えるのもいいけど、ちゃんと宿題出してね」

「宿題!? 何それ?」

 木村は深いため息をついた。「授業聞いてなかったんだね」


 奈美香は教室を出た。先程に会話で気になる事があったが何だっただろうか。階段を下りながら考える。宿題……も気になるがそれじゃない。

「あ!!」出口を通った所で奈美香が叫んだ。すぐハッとなって辺りを見渡す。幸い周りに人はいなかった。

「わかったわ!! 康平に教えなきゃ」奈美香は携帯電話を取り出す。

「……もしもし?」

「康平? わかったのよ!」

「ああそう」いつも通りだが素っ気ない。もっと驚いてくれてもいいのに。

「そうなのよ! あ、でも待って。じゃあ、あれは……」いきなり壁にぶつかってしまった。

「リモコンでしょ?」

「ああ、そうか。……って、え? じゃあ、わかってたの?」

「わかったっていうか、そうじゃないかなあって」

「一緒じゃない! でもこれではっきりしたわ!」

「はっきりはしてないと思うけど」

「うるさいわねえ」

「で、どうするの?」

「どうしようかしら?」

「ま、もうそろそろ犯人が捕まってるだろうから、無駄だろうけど」

「え!?」

「伊勢さんに言っておいたから」

「もう!! 何てことするのよ!!」

「だって、それが普通だろ?」

「う……」

「ということで、この話はおしまい。じゃあね」

「あ! ……あいつ、切りやがった」奈美香は携帯電話を乱暴に仕舞うと、次の授業に向けて歩き出した。納得できない、もやもやを抱えながら。


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