ジュリアンの恋愛指南②
「やっほー、元気だった?」
その夜、テオドールが別邸で書類に目を通していると、派手なスカーフをまいた、陽気な男がひょいっとやってきた。
「王宮音楽祭の準備は、放っておいていいものなのか?」
「放っておけるわけないだろう?でも、君の顔を見ておかないと、どうにも集中できなかったんだ」
「俺の存在が、君の集中力に影響するとは興味深いな」
「しょうがないよ。だってアリシアが絡んでるんだもん」
「アリシア?」
「この前、レッスンで会ったんだけど、元気がなくてさ。そんなの、絶対テオドールとのことが原因だろ?」
「俺が彼女の不調の原因か…。じゃあ明日の天気が崩れたら、きっとそれも俺のせいなんだろうな」
「なんでそんなにトゲトゲしてるのさ」
「刺々しい?これがか?試しに政治の話でもしてみるか?」
「はいはい、でもさ、いつもの君なら、そこまで言わないじゃない?」
「……」
「今日、彼女に会ったんだろ?どんな様子だった?」
「…人の婚約者にまで気を回して、慈善家の仲間入りでもしたのか?」
「ほっとけないよ、可愛い生徒だもん。心配する権利くらいはあるでしょ?」
「そうか、講師ってのは随分と手広く『教育的配慮』をする職業なんだな」
「好きに取ったらいいよ」
「…それで? その『生徒』のために、次は何をしてくれるんだ?」
「…レッスンの時、少し驚かせるようなことをしちゃってさ。
だから、気になって…。
アリシア、何か言ってなかった?」
「残念だが、君の話は一度も出なかった」
「そっか。言わなかったんだね」
「…何があった?」
「落ち込んでるアリシアの姿がさ、あんまりにも可愛くて…つい、……キスしちゃった」
ガタガタガタガタ、ドンッ!!
テオドールがジュリアンの胸ぐらを掴み、そのまま壁に叩きつけた。
壁が震え、額縁がガタガタと揺れる。
「何のマネだ…」
絞り出すような低い声音に、部屋の空気が一瞬にして張りつめる。
ジュリアンは一瞬たじろいだものの、すぐにやれやれと言うような溜息をつき、両手を上げて無抵抗の態勢をとった。
「ストップ、ストップ。キスって言っても、軽いやつだよ?家族とか子供とかにするやつ」
それでもテオドールの手にこもる力は緩まない。怒りが、腕を通してジュリアンにぶつけられているかのようだった。
「何を怒ってるの?テオドール。君たちは政略結婚だろ?そこに愛がなければ、愛人だって作るし、一夜のお遊びだってする」
「貴様…」
ジュリアンは淡い笑みを浮かべて、艶のある低い声でテオドールの耳元に囁いた。
「アリシアって、可愛いよね」
その言葉に、テオドールは横目でジュリアンを睨みつける。
「マノンのおかげで、隙はだいぶ減ったけど…
初めて会ったときから変わらず、素直で真面目で優しい。
…君も、よく知っているだろ?」
ジュリアンの瞳に、テオドールの反応を楽しんでいるような、挑戦的な光がある。
それを察したテオドールは、心の底から忌々しそうな顔して、握りしめていた拳の力をゆるめた。
「悪趣味な真似はやめろ」
ジュリアンは、乱れた襟元に指をかけ、指先で丁寧に伸ばしながら、ヘラヘラと笑った。
「あーあー、もうバレちゃった。演技の才能はないな、僕」
「減らず口を叩くなら、帰るんだな」
「…アリシアがね、自分はテオドールにとって道具の一つなんだって言ってたよ。あれ?景色の一部だったかな?…まぁいいや」
テオドールは、返す言葉を探しかけて、結局何も言えなかった。
「でも、違うよね?それが確認できて良かったよ」
ジュリアンは、テオドールのくしゃけた襟元を軽くつまんで、丁寧に整える。
「次期公爵なんだから、身だしなみはしっかりね」
そう言いながら、ふっと笑うと、テオドールの唇に軽くキスをした。
驚いたテオドールは半歩下がり、まるで異生物にでも出会ったかのように、ジュリアンを見る。
その様子を、ジュリアンはけらけらと嘲笑った。
そして、慈しむような視線でテオドールをみると、
「君ら、なんでそんなにすれ違ってるんだよ?」
と、優しい声でいった。
テオドールの目をじっと見つめて、ジュリアンが続ける。
「二人は似た者同士だね。自分の勝手な憶測や期待を通して相手をみてる。そんなこと、やめたらいいのに」
戸惑うテオドールを尻目に、ジュリアンはまた笑う。
「じゃあ、帰るね!またね!」
ジュリアンはスカーフをなびかせ、手を振り、部屋を跡にした。




