お騒がせな侍女
朝の光が、まぶたの裏にやさしく差し込む。
ゆるやかにまぶたを持ち上げると、見慣れた天蓋と、揺れるレースのカーテンが目に映る。
(…ここは?)
いつの間にか、自室のベッドに戻っていたらしい。
(たしか…馬車の中にいたはずなのに…)
「お嬢様、お目覚めですか?」
勢いよく視界に飛び込んできたのは、侍女のミーナだった。
「体調は、いかがですか?」
「ええ、大丈夫よ」
「ふふふふ…」
「どうしたの?そんな顔して」
「やっぱり覚えていらっしゃらないのですね」
ミーナは頬を紅く染め、夢見るような表情で声を弾ませる。
「昨夜、テオドール様が、眠ってしまわれたお嬢様を抱き上げ、お部屋までお運びになったのですよ!」
(テオドールが!?)
「まさか…」
「本当でございます!」
ミーナは力のこもった声音でアリシアに迫り、早口で言葉を繰り出していく。
「まるでおとぎ話の王子様のようでしたわ。あのお姿を目にしたら、誰でも心を奪われてしまうに違いありません!」
ふぅっと陶然と息を吐き、遠くを見つめるミーナ。
「ふわりと揺れる栗色の髪に、凛としたご様子……お嬢様を抱きかかえるそのお姿は、物語に出てくる王子様のようでございました」
「…」
「ずっとお嬢様のご様子を気にかけ…、その眼差しに、私まで胸キュンしてしまいました!」
「…ミーナ」
「お嬢様をベッドにお下ろしになる時なんて、まるで宝物でも扱うみたいで…」
ミーナは両手を胸の前で組み、うっとりと目を細める。
「それから、眠っているお嬢様をじっと見つめ、愛おしそうに額のあたりを――こう、2回、優しく撫でられて……!きゃーっ!」
ミーナは頬を赤らめ、身をよじった。
アリシアは、思わず額を押さえる。
指先が触れたその場所に、記憶のないぬくもりを感じる。
「『彼女は、とても疲れている。どうか、しっかりと休ませてやってくれ』――」
ミーナは急に低い声でテオドールの真似をすると、ぱっと顔を明るくして、
「帰り際に、そう言い残していかれました…」
胸元に手を当て、ため息をつく。
「…ミーナ」
「はあ~、テオドール様は、どうしてあんなに完璧なのでしょうか?」
「ミーナ!!!」
「あ、はいはい。もちろん、そのお言葉に、私も心を引き締めまして、できる限りのことをさせていただきましたわ! それでですね……」
乙女モード全開のミーナには、アリシアの言葉は届きそうになかった。
(……仕方ないわね)
アリシアは、ミーナの興奮が治まるのを待つことにした。
(ミーナには、テオドールがそんな風に見えているのね……)
アリシアは、キャッキャと楽しそうにしゃべるミーナを、羨ましく思いながら眺めていた。
***
目覚めたのが遅かったので、部屋で簡単な朝食をとり、支度を始める。
ミーナが靴擦れに気づき、
「まあ! こんなに腫れて……すぐに手当てをしなければ!」
と、大騒ぎした。
アリシアは苦笑して、
「今日はもう触らないで」
と制し、身支度を終える。
左足に巻かれた包帯が、ジュールのことを思い起こさせる。
「ミーナ、一番いい便箋とインクをお願い。贈答用の万年筆も」
ジュールに宛てて、お礼の手紙を丁寧に綴る。
差出人は伏せることにした。
今の立場を考えれば、不名誉な噂につながるような言動は、極力避けなければならない。
書き終えると、ふぅと息をついて背を伸ばす。
(テオドールにも、書かなくちゃ……)
心の中で小さくため息をついた。
「ミーナ、テオドール用にもう一組、便箋をお願いできる?」
ミーナはぴたりと動きを止め、首をかしげる。
「えっ? テオドール様に? どうしてですか?」
「…え?」
「だってテオドール様、お嬢様のことが心配だからって、午後にお越しになるって言ってましたよ?」
「……え?」
(それを、早く言いなさいよ……)
アリシアは、また一つ大きなため息をついた。