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口づけと白昼夢

翌日。

本来なら使用人が届けるはずだった『アリシア側の来客リスト』を、アリシアは自ら公爵家へ持って行くことにした。


「突然の訪問、ご無礼をお許しください」


公爵邸に入ると、ちょうど通りかかった公爵夫人に、ばったりと出くわした。


夫人は、意味ありげに笑うと、扇を広げた。


「いいえ、ちゃんと伺ってましたよ?式の来客リストを持ってきてくださるって」

切れ長の目元が、どこかテオドールに似ていて、気品がある。


「テオドールなら、書斎にいるはずよ。会っていくでしょう?」


「…はい」


「じゃぁ、ゆっくりしていってね」


満面の笑みを向ける夫人に、アリシアは深く礼をし、執事に導かれて書斎へ向かった。


扉が開くと、そこには、昼下がりの陽に包まれてソファでうたた寝をするテオドールの姿があった。


執事が声をかけようとするのを、アリシアはそっと制した。


「起きるまで待ちます。…ありがとう。下がってください」


扉が静かに閉まり、部屋には二人きりの静寂が訪れる。



(…良く寝てる。いつも忙しそうだものね…)



寝息を立てるテオドールは、まるで彫刻のように整っていて、けれど、眠っているせいかどこか子どもっぽく見えた。


アリシアは思わず一歩、近づいた。


彼の婚約者に相応しい自分で居たかった。

どんな時も取り乱さず、泰然として、落ち着きと気品溢れる女性。


テオドールと会う日は、心の湖面に波を立てないように、ずっと気を張っていた。


『自覚ある?』

ジュリアンの声がする。

(うん。あります)


『目の前のテオドールに、ちゃんと向き合ってごらんよ』


アリシアは、テオドールを見つめた。


頬に小さなインクの跡を見つけ、ハンカチでそっと拭う。


視線が、彼の唇に落ちた。


『テオドールに上書きしてもらいなよ』


身体が自然と動いていた。

手が震えて、呼吸が早くなる。

それでも――止まれなかった。


目を閉じて、唇を重ねた。


テオドールの体温と柔らかさが、唇を通して胸の奥へ流れ込み、甘い衝撃が身体中に広がっていく。


(……愛おしい人)


名残惜しく唇を離し、持ってきた書類をそっと机に置く。


背を向けて、扉の方に足を向けた時、


「……なんの真似だ」


背後から手首をつかまれた。


低く抑えた、けれどどこか怒気を帯びた声が響く。


(やってしまった…)


アリシアはぎゅっと目を瞑り、動揺を抑え込む。


振り返る以外の選択肢は、なかった。

観念して、恐る恐る、振り返る。


「アリシア……?」


驚きがテオドールの眼差しを満たし、瞬きさえ忘れているように見えた。


「なぜ、君が……」


彼は、眉根を曇らせながら、唇に残る痕跡を確かめるように、指先が唇に触れる。


アリシアは、自分がボロボロの服をまとった矮小わいしょうな盗人にでもなったかような気分だった。


紅潮した頬を治めることも出来ず、きゅうっと身体を固くした。


「ごめんなさい……。リストをお渡ししようと思って、それで……」


言葉が終わらないうちに、テオドールがアリシアの体をぐっと引き寄せた。


そして、迷いもためらいもなく、唇を重ねてくる。


舌が絡まり、息をするのも苦しいほどの、濃密なキス。


その合間にも、彼の唇が耳の裏、首筋、まぶたへと流れていく。

アリシアの体は熱に溶けそうだった。


ソファに倒れ、テオドールが覆いかぶさる。


と、アリシアの胸のあたりに顔をうずめ、ぎゅっと彼女の熱を確かめるように抱きしめる。


アリシアが戸惑いながらも、その髪を撫でると、テオドールは顔を上げた。


目は、獣のように鋭く、強く、そして迷いに満ちていた。


「……なんていう白昼夢だ」


そう呟いて、アリシアのスカートの裾に手を差し入れた。


「テオドールっ……!」


手が太ももをなぞる。再び唇を奪われ、言葉がかき消されていく。


「あ…っ…」


(ダメ…なのに…)


アリシアは震えながらも、最後の一線でテオドールの唇を、ガリっと噛んだ。


「……!」


テオドールが驚いて身を引く。


唇ににじんだ血を指で拭い、ぼんやりとそれを見つめた。


やがてテオドールは、ゆっくりとアリシアから離れ、床に片膝をついたまま、何かに取り憑かれたように、自分の手についた血と彼女を交互に見つめる。


アリシアは素早く身を起こし、ドレスを整えると、

「……リスト、机に置きましたので」

と、告げて、パタパタと書斎を後にした。


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