表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/43

ジュリアンの恋愛指南①

翌日のレッスンは、ひどいものだった。

音もリズムも全てがバラバラで、楽譜すらまともに追えない。


「ストップ、ストップ、ストップ!!!

 アリシア、今日はもうやめよう。

 どうしちゃったの?」


ジュリアンが、今にも泣き出しそうな顔をしてアリシアを見る。


「…ごめんなさい」


うまく笑顔を作ることができない。


「とりあえず、お茶でもしよう?こんな日もあるよ」


ジュリアンが、慰めるようにアリシアの肩を叩いた。


*****


ジュリアンはアリシアの真横に座り、小さなティーテーブルの上にあるお菓子を、ハミングしながら選ぶ。


アリシアは、ベルガモットの香りが漂う紅茶を一口と飲むと、その香ごとこぼすように呟いた。


「…フローラ様って、どんな方だっんですか?」


ジュリアンが、目を丸くしてアリシアをみた。


「…どうしたの?急に」


アリシアは、はっとして、取り繕うように表情をつくるが、うまくいかない。


「何でもないです。忘れてください」


ジュリアンは、心配そうにアリシアを見た。


「テオドールと、なんかあった?」


「……」

アリシアは、硬い表情のまま首を振った。


ジュリアンはふうっとため息をつき、肘を机に乗せると、横目でアリシアを見た。


「知っても意味ないと思うけどね…」


ジュリアンは、仕方ないなといった顔で、言葉を繋げる。


「……フローラ嬢は、ピアノの達人で、……愛され屋さん、かな」


「え?」


「フローラ嬢には、何度か伴奏をお願いしたことがあったけど、愛情にすごく飢えてる子だなって印象だったよ。幼い頃に、実母を亡くしてて、そういうのも関係あるのかなぁ」


「…」


「まぁ、テオドールは、婚約者なんて公爵家の  

歯車の一つくらいに思ってたから、

あ、今は違うよ?………多分」


アリシアは苦笑した。


「そんなだからさ、付き合いも形式的で最低限、『塩』そのもの。フローラ嬢に対して恋愛感情を持つ様子もなかったよ」


「え??でも、テオドールは…」


「ん?」


「テオドールは、フローラ様を愛していたんですよね?」


「ないないないない!ぜっーたいない!!!」 


「え…?」


「どこでそんなウソ情報仕入れてきたのさ」


ジュリアンは、アリシアをもう一度しっかりみると、彼女に言い聞かせるように言った。


「いい?あの二人の間に、恋愛感情なんて一つもなかったよ」


「…そんな…」


「駆け落ちした絵描きは、侯爵家の愛情豊かな次男坊。テオドールが敵う訳無いだろう?」


「…でも…」


「でも?

 でもって何だ?

 あ、あれだ。

 もちろん、恋愛感情がなくたって、テオドールは傷ついたよ?

 自分なりに役目を果たしてたのに、突然婚約者を失ったんだから……」


ジュリアンは、珍しく早口でまくしたてるように話した。その声にはやるせなさがにじむ。


アリシアは、ジュリアンの言葉を飲み込むと、また一口、ベルガモットの香りのする紅茶を口に入れる。


そして、口の中に広がる香りをしばらく味わうと、静かに口を開いた。


「…どうして、私だったんでしょう…」


「ん?」


「レオノーラ様や、他にも相応しい方がたくさんいらしたのに…」


「んー…」

ジュリアンは腕を組み、しばし思案するそぶりを見せた。

が、言葉にはしないままで、目の前にあったお菓子に手を伸ばす。


アリシアは、テオドールとのこれまでの関わりを、反芻するように、思い浮かべた。


そして、紅茶をもう一口。


「一度だけ…、婚約して間もないころに、キスされたことがあったんです」


「え!?そうなの?……テオドールから???」

ジュリアンが思いきりお菓子を吹き出した。


「……はい」

アリシアはナプキンを手渡した。


「へぇ…。意外だな。続けて?」


「でも、そのあと、例の嵐があって、2か月会えなくて」


「うんうん」


「再会したのが、オペラ・ド・ラ・ミューズの創立記念日だったんですけど…。公演が終わったくらいから、急に彼の態度が冷たくなったような気がして…」


「ふうん…。僕が幕前演奏した日だよね?」


「はい」


「冷たくなったって、どんな風に?口を利いてくれないとか?」


「いえ、そういうのじゃなくて。もともと口数の少ない人ですし…」


「まぁ、…そうだね」


「基本的には、いい婚約者でいてくれるんです。本心は別として、丁寧に接してくれます」


「ん?」

ジュリアンのカップを持つ手がとまる。


「え?」


「あ、まぁ、続けて」

ジュリアンは、そう言うと紅茶を一口すすった。


「テオドールにとって、私は景色の一部なんです。視界に入ったとしても、特段、意識を向ける必要のない」


「アリシア…」


「時々、私に注意を向けることもあるんですよ?

 でも、そういう時の彼は、きまって、私の中に誰かを探すんです」


「……」


「彼は、もしかしたら、その誰かと一緒にいたかったのかなって…」


カチャッと小さな音を鳴らしながら、ジュリアンはカップを置いた。


「あー。なるほど。それでフローラ嬢が浮上してきたわけね」


「…はい」


ジュリアンは、カップの飲み口を指でなぞると、トントントンとリズムをとる。


「ふーん。

 なんか、こじらしてる感すごいなー」


「?」


「テオドールに、それを伝えたことは?」


「…ありません」


「逆にテオドールから、何か言われたり求められたりしたことは?」


「……婚約者としての交流スケジュールのようなものなら、手紙で…」


「違う違う。それは、求められたんじゃない。ただの予定の確認だよ?」


アリシアは、テオドールとのやり取りを思い出すが、その記憶が何故かぼやけて見える。


「…なにか、あったのかな…」


紅茶に伸ばそうとしたアリシアの手を、ジュリアンはきゅっと掴んで、うかがうようにみる。


「アリシア、テオドールのこと、ちゃんと見てる?」


「え?」


「いい婚約者でいることばかりに気を取られて、テオドールに向き合ってないんじゃない?」


ぼやけた記憶の欠片達が、頭の中で不規則に再生されていく。


「……そう、かもしれません」 


重ねられた手の人差し指が、トントントンとアリシアの手の上でリズムをとる。


「自覚ある?

 君、テオドールのこと、もの凄く好きみたいだよ?」


「え……」


アリシアの手をつかむジュリアンの手に、ぎゅっと力がこもった。


「勝手な思い込みを捨てて、目の前のテオドールをちゃんと見てごらんよ、アリシア。景色が、違ってくるはずだから」


「ジュリアン様…」


ジュリアンは、穏やかな表情でアリシアの頭をぽんぽんと撫でた。


その手がすっと頬へと移動し、もう片方の手でアリシアの体を引き寄せる。


そして、顔を近づけ――


アリシアは反射的に、両手でジュリアンの口を塞いだ。

指先に、彼の柔らかく湿った唇の感触が伝わる。


「ジュリアン様!?」


ジュリアンは、残念そうに身を引いた。


「や、だってさ。アリシア、可愛いんだもん。ついキスしたくなっちゃった……ダメ?」


「だめですっ!」


「はは、そうそう。そういうとこ」


アリシアが恨めしげに睨むと、ジュリアンの目が窓の外へ向かい、「……あっ」と驚いたような声を出す。


釣られてアリシアも振り向く。


その瞬間――


頬に、ふわりと柔らかな唇が触れた。


(えっ……?)


反射的に頬に手を当てたアリシアを、ジュリアンがくいっと引き寄せ、ふわっと唇を重ねる。


「ジュリアン様っ……!!」


「あはは。契約外の恋愛相談にのったんだよ?ご褒美くらいもらわないと!」


動揺するアリシアをよそに、ジュリアンは楽しそうに笑い、一気に紅茶を飲み干した。


「もう…」


恨めしそうにジュリアンを睨むアリシアに、ジュリアンが勝ち誇ったように笑う。


「やっと、アリシアらしくなったね」


ジュリアンは鼻歌交じりで椅子から立ち上がった。


「じゃ、そろそろ行くね」


そう言って扉の前で振り返る。


「テオドールに、上書きしてもらいなよ?」


いたずらっぽく笑うと、リズム良い足音を響かせて、去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ