革の手袋
トンプスの街から領地へ戻ると、長旅の疲れが出たのか、アリシアも侍女のミーナも、そろって体調を崩してしまった。
二日間寝込み、ようやく今日、首都へ向かう。
行き先すら継げず旅行に出たことを、兄は今朝から根気よく叱りつけてくる。
「もういい歳なんだ。お転婆も大概にしろ」
見送りのその瞬間まで、諭す声は止まらなかった。
「あら、結婚前なんだから、少しぐらいの冒険は必要よ。また来てね、アリシア」
兄嫁はいつだってアリシアの味方だ。
「お土産の球根、秋に一緒に植えましょう。また、いらっしゃい」
車椅子の祖母も、変わらぬ優しい笑顔で見送ってくれる。
「はい、必ず」
アリシアは痩せた祖母の手を握り、みんなに微笑みかけると、リサとともに馬車へと乗り込んだ。
温かな領地の家族たちに、後ろ髪を引かれるような気持ちだった。
車輪がきしむ音を聞きながら、テオドールの端正な姿を想う。
その裏側に隠れているだろうフローラへの想いが、アリシアの胸を詰まらせた。
*****
首都の邸宅に着くと、玄関先には父と母が揃って立っていた。
「体調はもういいの? 領地のみんなは元気だった?」
母が心配そうに問いかける。
「ええ、大丈夫です。お祖母様もお兄様たちも、お元気でした」
てっきり、真っ先に叱られると思っていた。
けれど、母も父も旅行のことには触れてこない。
(お兄様、内緒にしてくれたのね…)
心のなかで感謝する。
「フィリップ殿下が、君が戻り次第、テオドール君と一緒に登城するよう言ってきたんだ。すぐに支度できるか?」
「……はい」
「領地に行っている間に、殿下と何かあったのか?」
父の心配そうな視線が向けられる。
「いえ、何も……」
「まぁいい。とにかく、テオドール君と殿下に使いを出す。帰ってきたばかりで悪いが、支度を始めておいてくれ」
「はい」
*****
支度を終えたアリシアは、玄関先でテオドールの馬車を待っていた。
手には、きれいに包装されたトンプス旅行のお土産ーー趣味の乗馬で使ってもらえたらと革の手袋を選んでいた。
細かい雨がしとしとと降り始める。
やがて、シャルヴァン家の紋章をつけた馬車が門を通り、玄関前でゆるやかに止まった。
御者が扉を開けると、奥には彼女の素敵な婚約者が座っている。
「こんにちは」
アリシアは笑顔を作ったが、彼の胸の内に在るフローラを思うと、その顔をまっすぐ見ることができなかった。
馬車に乗り込み、一人分のすき間をあけて腰を下ろす。
扉が閉まり、馬車が走り出す。
テオドールが、一枚の紙をひらりと差し出した。
「レインからの報告書だ。殿下も恐らく同じものを受け取っている。行く前に読め」
お土産を握るアリシアの手に、力がこもる。とても渡せる雰囲気ではない。
報告書には、彼女の行動が淡々と時系列で記されていた。
読み終えて報告書を返すと、テオドールはアリシアを見ることなく言う。
「ヴィクトリアの件について、詳しい事情を説明するつもりはない。知らないほうが君のためだ」
「はい」
「殿下に嘘や誤魔化しは通用しない。聞かれたことを、ありのまま話せ」
「はい」
しとしと、しとしと、雨が窓を打つ。
ぬかるみを踏むたびに馬蹄の音が鈍く響いた。
「勝手なことをして、すみませんでした」
「…そうだな」
アリシアは、彼に気づかれぬよう、手にしていたお土産をハンカチで包み、座席の脇へ隠すように置いた。




