画家のアトリエ③ テオドール視点
テオドールの元へ、レインから不可解な報告が届いた。
祖母を訪ねるはずだったアリシアが、いつの間にかトンプスへ足を伸ばし、フローラたちを訪ねていたというのだ。
(何かの冗談か?)
目的地はフローラ達の家。
実際にはフローラ夫婦の様子をうかがう程度の接触だったらしいが、ヴィクトリアとは偶然にも言葉を交わしたようだ。
報告書を何度も読み返す。
(どうやら、本物だ…。アリシアにこんな行動力があったとは、驚きだ)
報告書をたたみ、引き出しへ仕舞う。
(どこから情報が漏れた…)
書庫の管理人に確認をとると、出発前にマノンと一緒に支援芸術家のリストを見ていたことがわかった。
(リストの住所を改善する必要があるな…)
展覧会で、ルカの絵の前で足を止めてしまった自分を思い出し、舌打ちする。
しかし、それだけでルカとヘンドリックを結びつけるのは無理がある。
(どんな手を使った、アリシア…)
執事を呼び、展覧会前後のアリシアの行動を詳しく調べるよう命じた。
(それに、理由がわからない…)
フローラに会ったところで、テオドールとの婚約がどうなるわけもなく、彼女には何の意味もない。
(フローラを訪ねる理由は何だ?……嫉妬…か?)
そんな淡い期待が浮かび上がり、自分に薄ら笑った。
午後になると、執事が別の報告を持ってきた。
「アリシア様は、先日の展覧会の後、レムス・ジョルという画家に肖像画の依頼をされたそうです」
(アリシアに似たアテナを描いた、あの画家か…)
「それで?」
「あいにく断られたようですが、その後にアトリエ見学を依頼されたようです」
「アトリエの場所は?」
「それが、画家の希望で公開しておらず、すぐにはわかりません。お時間を頂けますか?」
「いや、いい。俺が直接行こう。馬車の用意をしてくれ」
「かしこまりました」
*****
精緻な細工が施されたアカデミーの扉を押し開けると、テオドールは、重厚な足取りで受付に向かった。
中年の男が顔を上げ、質の悪い笑いを浮かべながら窓口に出る。
「これは、これは、テオドール様。今日はどういったご用件で?」
テオドールはその男を見下ろし、冷たい声で言った。
「レムス・ジョルのアトリエの場所が知りたい」
受付の男性は、面倒そうな顔を浮かべた。
「ああ、その件ですか…」
そして、事務的な口調で続ける。
「申し訳ありませんが、画家本人の希望で、お知らせできません」
テオドールは、冷たい笑みを浮かべた。
「そうか…」
男性の肩に手を置き、顔を近づけると、低く冷たく諭すように言葉を投げつけた。
「君は、公爵家からアカデミーに、毎年いくらの支援金が入っているか知っているか?」
男性は目を見開き、おびえたようにテオドールを見る。
テオドールは構わず、刃のように言葉を浴びせる。
「君の首が飛ぶのと、私の欲しい情報を提供するのと、どちらが賢い選択だろうか?」
男は震える声でか細く答えた。
「わ、わかりました…。ただし、絶対に口外しないでください」
テオドールは軽くうなずき、紙に書かれた住所を受け取る。
「感謝する」
冷たく言い放つと、手にした紙を懐にしまい、静かにアカデミーを後にした。
*****
職人街の一角にその住所はあった。
古びたに2階建ての画材屋。
扉を開けると、薄暗い店の奥で店主が椅子にもたれかかり、うたた寝をしているのが見えた。
テオドールは、わざと大きく音を立て、扉を閉めた。
バタン!!
店主は飛び上がるように目を覚まし、眠そうに目をこすりながら顔を上げた。
「ああ、いらっしゃい。何をお探しですか?」
「レムス・ジョルという画家を訪ねにきた」
「へえ、また、レムスさんにお客さんか。
あいつもやっと日の目を見そうだな!」
(『また』か…)
店主は自分のことのように嬉しそうに笑みを浮かべている。
「会えるか?」
「アトリエはここの二階だが、今は留守だ。
火曜と金曜の午前にしか来ないんだ。
悪いが出直してくれないか?」
そう言って、店主は奥の階段を指さす。
テオドールは、無言で店主を追い越し、階段をあがっていく。
「ちょっと、今は留守だってば!」
慌てて店主が後ろから声をかけるが、テオドールは振り返らず、ノブを回し、アトリエの扉を開けた。
(鍵もかけずに、不用心なやつだ…)
アトリエは思ったよりも整頓されていた。
机の上には画材がまちまちに並ぶが、床はきれいに掃除されている。
(才能のある画家のアトリエは、たいてい二通りだ。
足の踏み場もないほど混沌としているか、恐ろしく整然としているか)
アトリエの中に足を踏み入れ、見回す。
(ここは、…中途半端だな)
壁にはいくつかのデッサンや小さな絵が掛けられていたが、特に目を引くものはなかった。
「鍵をかけろってあれほど言ったのに…。いわんこっちゃない」
店主の呟きが背後から聞こえた。
部屋の中央には、埃よけの薄い布がかぶせられたキャンバスが置かれている。
テオドールは近づき、その布を持ち上げる。
「おい!」
店主が慌てて声をあげる。
キャンバスに描かれていたのは、未完成のアリシアの肖像画だった。
(……肖像画は断ったと聞いていたが?)
「こりゃ、この前のお嬢さんじゃないか」
店主がニヤニヤして近づく。
「彼女がここへ来たのか?」
「ああ。別嬪さんだろ? レムスの良い人だってさ」
「……」
短く息を吐き、布を元通りにかけ直す。
その指先に、妙な力がこもった。
「邪魔をした」
そう告げて階段を下りる。
店主はホッとしたようにアトリエの扉を閉めた。
(まったく……アリシアの周りは、どうしてこうも報告と食い違うんだ…)




