結婚式の衣装デザイン② テオドール視点
「こちらが、今朝、奥様とアリシア様、マノン様でお決めになられた結婚式の衣装でございます。ご確認ください」
テオドールの向かいに立つ執事が、封筒から数枚のデザイン画を取り出し、丁寧に執務机へ並べていく。
白いウェディングドレスが一着、儀礼用のカラードレスが二着。そして、それぞれに合わせたテオドールの礼装。全部で六枚。
「どんな様子だった?」
デザイン画を確認しながら問うと、執事は淡々と答えた。
「終始穏やかに進み、すんなりと決まりました」
「そうか…」
テオドールの目線が、ある一枚のスケッチで止まった。
白地に、咲き誇る薔薇が鮮やかに刺繍されたウェディングドレス。
技巧も、華やかさも申し分ない。
まさに、晴れの場にふさわしい衣装だった。
けれど、テオドールは釈然としなかった。
「……これを、アリシアが選んだのか?」
手に取ったドレスのスケッチを、執事の前にかざす。
執事は少し首をかしげ、記憶をたぐるように目を泳がせた。
「そういえば……アリシア様は、最初はかすみ草をモチーフにしたデザインを手に取っておられました」
「それで?」
「奥様が『薔薇のほうが晴れの席にふさわしいのでは』と勧められたところ、アリシア様も素直に受け入れられたようです」
テオドールは、眉をひそめ、苛立ちを隠すように目を瞑ると、低く、口を開いた。
「――その、かすみ草のデザインを出せ」
執事が慌てて封筒の中を探り、別の一枚を差し出す。
純白のベース生地に、かすみ草を模したレース刺繍がふんわりと重なり合い、まるでドレス全体が花のヴェールに包まれているかのようだった。
(似合うだろうな……)
心の中で誰にも聞かせることのない声が湧く。
テオドールは手にしたスケッチを再び執事に戻すと、明確な声で命じた。
「…このドレスに変更するよう、すぐにデザイナーへ使いを出せ」
「で、ですが…」
「三人には、私から説明する。…急げ」
低く凄むような声に、執事の背筋が伸びる。
「かしこまりました」
執事がうなずくと、背後に控えていた従者がデザイン画を携え素早く部屋を出ていった。
***
しばらくして、小さくない足音とともに書斎の扉が開いた。
公爵夫人が憮然とした表情で現れ、執務机の向かいにあるソファに腰を下ろした。
「どういうことかしら?」
落ち着いた声だったが、その言葉の端には抑えきれない怒りがにじんでいた。
「何のことですか?」
テオドールは書類から顔を上げ、夫人を見返した。
「ドレスよ。せっかく選んだものを勝手に変更したそうね?」
テオドールは、眉を深くひそめ、心底うんざりした顔で、ため息をつく。
そして、そのまま書類に目を落とした。
夫人は、その様子に何かを察したのか、口を閉ざし、テオドールを黙って見つめる。
「まだ何か?」
冷たく尋ねるテオドールに、夫人はやるせなさを含んだ表情で答えた。
「…何もないわ」
夫人は立ち上がり、執事に合図を送ると、彼を従えて部屋から出ていった。
***
ほどなくして、執事が銀の盆を手に戻ってきた。
盆には、温かい紅茶と上品な茶菓子。
それらを静かにテオドールの前へと置く。
訝しげに視線を向けたテオドールに、執事は泰然として言った。
「――奥様が、今の若様に必要だろうと」
紅茶からは、カモミールの青リンゴのような爽やかな香りが立ちのぼる。
(落ち着けとでも、言いたいのか……)
執事は書斎の棚に手を伸ばし、小さなオルゴールの蓋を開けた。
ゼンマイを丁寧に巻き、そっと机の端へ置いた。
ほどなく、柔らかな旋律が部屋を満たしていく。
テオドールは、ふっと小さく笑った。
「それも、母上の指示か?」
「いえ、私の判断です」
再び小さく笑うと、テオドールは手元の書類を脇に寄せ、紅茶を一口、ゆっくりと味わった。
「しばらく休む。下がっていい。ついでに、母上に礼を伝えてくれ」
執事は柔らかく微笑み、一礼して部屋を出ていった。
テオドールは、艶やかな光を帯びたオランジェットを一つ、指先でつまむ。
ほろ苦さと甘さの余韻を舌に残したまま、香る湯気とともに静かに目を閉じた。
そして、心に浮かぶ想念を、ひとつひとつ丁寧に辿っていく。
アリシア――
テオドールと関わるようになってからの彼女は、急速に変化していった。
とくに、ヴィクトリアの事件のあとは顕著だった。
どんな場面でも、常に一定の温度で振る舞う。
いまの彼女は、同じ音階を鳴らし続けるオルゴールのようだと思った。
アリシアという人間の音色は聞こえず、多くの人に心地よく映る旋律を、機械のように正確に繰り返す。
(次に会うのは、馬術大会か……)
鳴り止んだオルゴールを見つめ、テオドールはもう一度ゼンマイを巻く。
再び優しい音色が流れ出す。
テオドールが蓋を閉じれば、音は止み、開ければ鳴る。
しばらくそれを繰り返しながら、アリシアのことを思い浮かべる。
やがて、演奏が終わり、開けても音は流れなくなった。
テオドールは蓋を静かに閉じると、机の引き出しから白いハンカチを取り出し、オルゴールの上にそっとかけた。
しばらく指先をそこにとどめたまま目を閉じる。
それから、ティーセットを脇にやると、何事もなかったかのように、書類に目を落とした。




