春の王宮舞踏会③
会場へ戻ると、テオドールがふたりを見つけ、真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
「一緒にいたのか」
「一人で退屈そうにしてたからさ、散歩に連れてったんだ」
ジュリアンは、いつもの屈託のない笑みを浮かべて言った。
「そうか」
テオドールは表情を変えずに応じた。
「お話しは、もうよろしいのですか?」
アリシアの問いかけに、テオドールは軽く頷く。
「ああ、大方済んだ」
「じゃ、僕は行くね」
ジュリアンはふたりに軽く手を振ると、早々に人の波へと消えていった。
その背中を見送ってから、テオドールが低い声で問う。
「ジュリアンと何を話していた?」
(……フローラ様の絵のことも、王女様のことも、言い辛いな……)
「特には…。隣国で流行りだしたワルツという踊りのことなど、他愛のないことを」
「そうか」
テオドールは、まだ何か言いたげだったが、言葉を呑み込むようにして、話題を切り替えた。
「王太子が君を紹介しろと言ってる。今から行けるか?」
「──はい」
アリシアは、差し出された彼の腕にそっと手を添えた。
「アリシア。王太子の前では、必要なこと以外、何も話すな。分かったな?」
いつになく重い口調でテオドールが言った。
「……はい」
テオドールの声に、ただならぬものを感じ、喉の奥がこわばった。
会場を満たす華やかな音楽の中、二人は王太子の待つ奥の小部屋へと向かった。
*****
貴賓用控室は、会場と隣接しており、使用中は侍従が入口を見張っている。
アリシアたちが案内されて中に入ると、王太子と王女が、それぞれ彫刻を施された椅子に座っていた。
アリシアの姿を認めた王女が、ぱっと顔を輝かせ、手元の扇を勢いよく開いた。
「顔見知りか?」
隣のテオドールが少し驚いたようにに、アリシアを見遣る。
「先ほど、ジュリアン様とご一緒していた時に、お会いしたんです」
王女はにこにこと愛想よくアリシアに微笑みかける。
王太子がアリシアとテオドールに向かって軽く頷き、自己紹介を促す。
「お初にお目にかかります。シャルヴァン公爵家、長男、テオドール・ド・シャルヴァンです」
「ハンサムな方ね」
王女が笑みを浮かべると、テオドールは丁寧に一礼し、隣のアリシアに手を向けた。
「こちらは、私の婚約者。ラモット伯爵家、長女、アリシア・ド・ラモットです。
お二人におかれましては、ご婚約、誠におめでとうございます」
アリシアは深く優雅なカーテシーを見せ、テオドールもそれに倣って頭を下げる。
「どうぞ、かけて」
王太子の一声に、二人はもう一度礼をしてから、向かいの腰掛け椅子に静かに腰を下ろした。
「素敵な婚約者だね、テオドール」
「恐れ入ります」
王太子は、アリシアの方を向き、目を細める。
「アリシア、と呼んでいいかな?」
「はい」
「この朴念仁をよろしく頼むよ」
「もったいないお言葉です」
すると、ヴィクトリアもアリシアに向かって、ゆったり声を掛ける。
「私もアリシアと呼ばせて頂いていいかしら?私のことは、ヴィッキーと呼んでくださる?」
ヴィクトリアの言葉に、王太子は微笑むと、アリシアに穏やかな表情をむける。
「ヴィクトリアとアリシアは歳も近いしね、いい友人になってくれると、僕も嬉しいよ」
アリシアは、笑顔だけ返した。
「フィリップ、少しアリシアと二人で話したいのだけれど。いいかしら?」
そう言って、ヴィクトリアは部屋の奥にあるバルコニーへ視線を向けた。
王太子が、アリシアを上目遣いに、問うような表情をしたので、アリシアは応えた。
「ヴィクトリア様が、お望みでしたら…」
「ありがとう。行っておいで、ヴィクトリア」
「ええ、嬉しいわ」
ヴィクトリアはすっと立ち上がり、軽く微笑みながらアリシアの手を取り、
「行きましょう」とゆったりとした足取りでバルコニーへ向かった。
王太子とテオドールは、その様子を静かに見守っていた。
*****
バルコニーの扉が閉まると、ヴィクトリアがゆっくりと口を開く。
「あなたは、器用な方のようね」
「……どういう意味でしょうか?」
「だって、二人のことを同時に想っているのでしょう?」
「…何か、誤解されているようですね。
ジュリアン様は、私の音楽講師です」
「…そういう関係では、ないの?」
「はい」
「そう……そうなのね」
「…」
残念そうに呟くヴィクトリアの姿に、アリシアは背筋が凍る思いがした。
(このお方は、とても危ういわ…)
「先程のことは、内緒にしてくださる?」
「何のことでしょうか」
「ふふ…。そう…。アリシア、私、頭のいい娘は好きだわ。ありがとう」
アリシアは微笑みを浮かべながらも、細心の注意を払う。
「貴方は、あの婚約者のことが好きなのよね?」
「…ええ、もちろん」
「羨ましいわ。契約結婚でも愛が芽生えるなんて…」
「王太子殿下は素晴らしい方です。王女様もきっとそうなると思います」
「そうかしら。まだお会いして間もないけれど……でも、愛せるようになるといいわね」
その時、強い風がバルコニーを吹き抜け、ヴィクトリアのスカーフがひらりと舞い上がり、彼女の顔を覆った。
「きゃっ!」
思わず声を上げた彼女の顔から、アリシアは慌ててスカーフを外す。
「風が強いようです。そろそろ中に戻りましょう、ヴィクトリア様」
スカーフを押さえ、立ち止まったヴィクトリアが寂しげに呟いた。
「……ヴィッキーと呼んでくださる?」
アリシアはバルコニーの扉を開け、振り返ると、少し困ったように笑いながら言う。
「ええ、ヴィッキー、中に入りましょう」
ヴィクトリアも微笑み、部屋の中へと戻っていった。
*****
長い舞踏会の夜が、ようやく終わりを迎えようとしていた。
帰りの馬車に乗り込むと、テオドールは無言のままアリシアの隣に腰を下ろした。
お互いに、舞踏会での疲れを和らげるように、わずかに背もたれに身を預け、馬車の揺れに身を任せる。
窓の外に、王城の灯が見えなくなる頃、テオドールが控えめな声でアリシアを呼んだ。
「アリシア…」
アリシアがテオドールの方を向くと、彼は射抜くようなまなざしで彼女を見つめ、低く、冷えた声で言った。
「ヴィクトリア様とは、距離を置け」
「……はい」
たじろぎながらも、アリシアは返事を返した。
テオドールは一度大きく頷き、表情を少しだけ緩める。
「賢明な判断だ」
その笑みは穏やかだったけれど、アリシアの胸には、いいようのない不安が広がっていた。




