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春の王宮舞踏会

春の王宮舞踏会は、まさに季節そのもののような輝きに満ちていた。

薔薇とすみれを浮かべた噴水がせせらぎ、天井から吊られた幾重ものシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床に無数の光の花を咲かせている。


王宮が主催する今年初の大規模な舞踏会。


とりわけ今夜は、長く独身を貫いてきた王太子の婚約発表も予定されており、会場には華やかな高揚感が満ちていた。


アリシアとテオドールも春の装いに身を包み、舞踏会に参加していた。


広間のざわめきが静まり、隣国の王女が正式に王太子婚約者として紹介される。


淡い銀の刺繍の礼装をまとった王太子が、王女の手を取ってダンスフロアに現れた。

彼女の、パールカラーのふわりとしたドレスが光を受けて柔らかく揺れる。


会場の注目を一身に集めながら、二人はゆっくりと中央に進み、春にふさわしい華やかな音楽に合わせて踊りはじめた。


会場からは感嘆の吐息が広がり、それが若い二人の未来を祝福する鐘の音のように場内に響いた。


王太子が、初々しさの残る王女を優しく気遣いながら、ゆっくりとステップを導く。

慣れない足取りに、王女が小さく笑い、王太子もまた穏やかな微笑みを返していた。


その姿に、アリシアはどこか儚げな気配を感じて、視線を逸らした。


自分とテオドールの姿を、二人に重ねて見たのかもしれない。


ふと目に留まったのは、舞踏の輪の向こう側。

まばゆい光に包まれた舞を、ただ一人、じっと見つめるレオノーラの姿だった。


閉じた扇を胸元に抱き、

王太子の一挙手一投足を、宝物でも見るように、目に焼きつけている。


その眼差しは、雄弁に――愛と諦めを語っていた。


二人を凛として見るレオノーラの姿は、

どこまでも気高く、美しく、アリシアの目に映った。


…隣に立つテオドールを見る。


その世界に、アリシアの居場所はない。


それでも。

いま、こうして隣にいられることは――

まだ、幸せなのかもしれない。


*****


王太子達のダンスが終わると、拍手が場内を包んだ。

楽団が次の曲を奏で始めると、それを合図に貴族たちがフロアへと歩み出しす。


アリシアも、テオドールに導かれながら、ダンスフロアの中央へと進んだ。


アリシアはスカートの広がりを丁寧にさばきながら、規則正しいステップで前へ出る。

テオドールは、彼女に合わせて、無駄のない動きで応じる。


(お手本のみたいなダンス…)


ジュリアンとのダンスには、どこかに遊び心があって、言葉を交わすような楽しさがあった。


テオドールとのダンスは、動きと音楽とステップを、パズルのピースのように組み合わせて協奏する、そんな面白さがあった。


二人は円を描くように進み、すれ違う。


「――ダンスも、随分上達したんだな」


(ん?)


テオドールの何気ない一言が、胸の奥で引っかかる。


(テオドールとダンスを踊るのは、これがはじめてなのに…)


アリシアが公の場でダンスをしたのは、デビュタントと公爵家の舞踏会――その二度だけ。


(その時に、私のダンスを観ていたのかな…)


旋回し、向かい合い、また背を向ける――

円舞の隙間から、艶やかな黒髪がちらりと覗いた。


(あ……)


アリシアよりも少しだけ大人で、可憐な令嬢とテオドールと踊る姿が、アリシアの頭をよぎった。


(誰かと、間違えているのかな……)


音楽に遅れないよう、体を動かす。


心の迷いを押し込め、微笑をたたえ、優雅に。


ステップが重なり、旋律が収束していく。

やがて曲の終わりと同時に、二人の動きも静止した。


形式どおりに頭を下げると、テオドールもまた、無表情のまま軽く礼を返した。


心までパズルの一部として組み込まれたような、苦い、はじめてのダンスだった。


*****


ダンスフロアを離れると、アリシアとテオドールのもとへ、知り合いたちが次々に声をかけてきた。

 その一人一人に、愛想よく丁寧に応じていく。


 ようやく一段落したところで、テオドールは首筋に手を当て、軽くほぐすような仕草をしながら、息をついた。


「疲れていないか」


「いえ。……でも、少し休憩が欲しいです」


「そうだな。端に寄ろうか」


 ふたりは、賑わいの中心から少し離れ、フロアの隅へと歩みを進めた。


 すると、背後から、控えめにテオドールを呼ぶ男性の声がした。


「テオドール様、少しお時間をいただけますか」


振り向くと、小柄で細身の中年の男性が立っていた。

銀髪はきちんと後ろで束ねられ、線の細い顔立ちにどこかとぼけたような目元をもつ、老獪さと人懐っこさを同居させたような、不思議な存在感があった。


テオドールは軽く頷き、アリシアの方へ向き直る。


「すまない。事業の話があるようだ。退屈なやり取りになるだろうから、君は、少し休むといい」


「……はい。少し外の風に当たってきます」


「わかった。気をつけて」


アリシアは、男性に向かって、ドレスの裾をつまんで軽く一礼すると、バルコニーに向かった。

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