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創立記念公演① テオドール視点

テオドールはラモット邸の玄関ホールで、二か月ぶりに会う婚約者の登場を待っていた。


表情こそ平静を装ってはいたが、胸の内には緊張と不安が波のように押し寄せ、無意識につま先が床を打っていた。


そんな自分に気づいて、ひそかに眉根を寄せる。なぜ、いちいちこんなふうに構えているのか。苛立ちにも似た感情が胸の奥に渦巻いた。


だが、アリシアが姿を現した瞬間、そのすべてが一気に和らいだ。


アリシアはさらに美しくなっていた。


淡い陰影が骨格を際立たせ、葡萄のように艶やかな唇が、彼女の凛とした優美さを一層引き立てる。

深い濃紺のドレスには銀糸が織り込まれ、星空のように小さな光をまとう。まるで彼女自身が輝きを放っているかのようだった。


(今日の装いは『夜の女王』といったところか…)


二か月前、彼女の影に見え隠れしていた不安や緊張は、どこにもない。

足取りには確かな自信が宿り、にこやかな眼差しがまっすぐこちらをとらえている。


(化けたな……)


アリシアが階段を降りきり、玄関ホールに足を下ろすと、テオドールはゆるやかに歩み寄った。


「おかえりなさい、テオドール」


その声にも、立ち居振る舞いにも、以前とは違う本物の落ち着きがにじんでいる。


「ただいま、アリシア」


アリシアから差し出された手を、テオドールは静かに取る。

かつて見せた緊張の影はなく、しなやかな指先が彼の手の中で自然に馴染む。


(マノンは、やはり優秀だな…)



*****



アリシアが馬車の席に腰を下ろすと、テオドールはその隣に座り、彼女の手を握った。


彼女はテオドールに顔を向けると、品のある春先の木漏れ日のような笑顔を作った。


テオドールの脳裏に、頬を紅潮させ、懸命に動揺を隠していた彼女の姿が、淡く甘酸っぱい記憶となって浮かび上がる。


「二人きりのときは、仮面をはずせ。アリシア」


「…テオドール?」


アリシアは、小首をかしげ、上品なまなざしのまま問い返す。


(自覚がないのか…?)


この従順で善良な女は、自身の初々しさや少女らしさも全て覆い隠し、『次期公爵夫人』を完璧に演じているらしい。


「…何でもないさ」


この短期間でここまで練り上げた努力への称賛と、小さな落胆が、胸の奥で絡み合う。


「アリシア、綺麗だ」


それを悟られぬよう、最上級の気品を持って彼女に微笑む。


「ありがとう」


彼女もまた、同じような笑顔を見せる。


胸の奥から立ち上る霞のような違和感を持て余し、テオドールは仕方なく視線を前方へ向けた。


*****



創立記念公演という、災害後はじめての華やかな催しとあって、オペラ・ド・ラ・ミューズのホワイエには、いつも以上に多くの人々が集まっていた。


テオドール達が階段を降りきると、

「まあ……アリシア嬢じゃありませんか!」

と、ひときわ明るい声を響かせ、数人の夫人たちが満面の笑みで近づいてきた。


「先日の舞踏会では、母を気遣ってくださってありがとう。あの夜、どれほど助かったか」


「例の救援金の件、おまとめくださっていたのでしょう?ご尽力に感謝していますわ」


次々に輪が広がっていく。


アリシアは微笑みをたたえながら、慣れた様子様子で、丁寧に一人一人に応対する。


テオドールは、その様子を息を呑むように見守っていた。


ふと見るとその輪の中に、あの孔雀頭の夫人も混じっていた。

頭からは賑やかな羽は消え、代わりに月桂樹の葉を模した繊細な金細工のかんざしが上品に飾られている。


テオドールの視線に気づいたのか、夫人がかんざしに手を添えながら、嬉しそうに話し出した。


「テオドール様、お気付きになりまして?素敵でしょう?アリシア様から頂きましたのよ。どうかしら?」


テオドールが、隣の婚約者に問いかけるような視線を送ると、彼女は微笑を浮かべながら、穏やかに応じた。


「マダム・グレースのひときわ艶のあるライトブラウンの髪には、やっぱり繊細な金細工の輝きがよく映えますね。とても素敵です」


アリシアがそう言うと、周囲の夫人たちからもすぐに賛同の声があがった。


「本当に。まるで特注のようにお似合いですわ」

「わたくしも見習いたいですわね、こういう品のある装い」


マダム・グレースは、頬を少し紅潮させながら、誇らしげに簪を指でなぞっている。


「まあ……うれしいわ。やっぱりアリシアさんにお願いしてよかった。皆さんに褒めていただけるんですもの」


(どんな魔法を使ったんだ…)


テオドールは、まるで洗練された演劇の一幕を、独りきりの観客席で見せられているような錯覚に陥った。




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