社交界への挑戦者
レッスンが始まって一週間も経つ頃には、アリシアはジュリアンの艶を帯びた本気モードの戯れにも、余裕を持って応じられるようになっていた。
「ずいぶん手強くなったなあ。もう、隙がないや」
ジュリアンが、心底残念そうにつぶやく。
「やっと授業に集中できそうです」
アリシアはくすっと笑った。
「さあ、いよいよ社交界で立ち回る準備に入るわよ?」
マノンがそう言って、大きな紙を机に広げた。
「アリシアの場合、できるだけ敵を作らずに、勢力を強めていくスキルをつけていきましょう」
「なんかそれ、腹黒マノンらしくていいなー」
マノンは紙の上部に、大きく書きつけた。
『社交界の七カ条』
その下に、項目を一つずつ丁寧に並べ、書き終えると、ふうっと息をついて紙を掲げる。
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社交界の七カ条
①自分を知る
②環境や相手を知る
③賞賛にも非難にも「ありがとう」
④戦わない
⑤必要以上に目立たない
⑥徳を積む
⑦自分を一番大切にする
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「我ながら達筆ね!ジュリアン、あそこの壁に貼ってちょうだい」
入口近くを指さすと、ジュリアンは鼻歌まじりに従った。
それから二週間、マノンとジュリアンに支えられながら、社交界での立ち回りをひとつずつ身につけていった。
「伯爵家ごときの娘さんが、もう公爵夫人面でいらっしゃるの?」
羽の夫人を真似て、マノンが茶目っ気たっぷりに言う。
ジュリアンは、思わずハラハラと視線を泳がせた。
「ご助言、感謝いたします。ところで、そのブローチ、ブリュレ王国産のですか? とても素敵ですね」
アリシアは少し照れながらも、相手を立てるように返す。
「いい返答だわ。よくできました」
マノンは微笑み、ジュリアンもほっと表情を緩める。
演技だとわかっていても、二人の言葉に胸がざわつき、戸惑うこともあった。
けれど、その度に、マノンは優しく寄り添い、ジュリアンはおどけて笑わせてくれる。
「もう、ふざけすぎよ」
とマノンが軽くたしなめれば、
「でもアリシアが笑うと楽しいんだもん」
とジュリアンが返す。
気づけば二人は、家族のような存在になっていた。その温かさ支えられ、アリシアは確かな手応えを感じながら、成長していった。
*****
ちょうどその頃、父が領地から戻ってきた。
「アリシアはどこだ?」
母ひとりが出迎え、アリシアの姿は見えない。
「今、レッスン部屋にいるはずよ」
「ああ、そうか。様子を見に行くか……」
父は上着を脱ぎ、廊下を進む。
レッスン部屋の扉を開けると、そこにはアリシアとマノン、そして目を見張るほど美しい令嬢が立っていた。
「おかえりなさい、お父様」
「あ、ああ……」
アリシアの笑顔に返事は返すものの、父の視線はすっかり令嬢に釘づけだった。
令嬢はにこりと笑い、ふわりとスカートのすそをつまむ。
「ごきげんよう、お義父様。お帰りなさいませ♡」
「…どちらのご令嬢でしたかな…?」
呆然とする父の背中を、母がにこやかに小さくつねる。
「ジュリアン様よ?」
父の時間が、一瞬止まった。
「ワハハハ。ジュリアン様かっ!なるほど、そう言えば!!しかし、なぜそのような…。ワハハハ」
父が吹き出すと、つられてアリシアたちも笑った。
「ちょっとしたおふざけで。やってみたら、自分でも驚くほど綺麗になってて、びっくりですよ」
笑い声が、レッスン部屋いっぱいに広がった。
*****
一ヶ月ほど経つと、社交も少しずつ再開され、ささやかな集まりが開かれるようになった。
マノンは慎重に参加先を選び、アリシアは時にはジュリアンにエスコートされながら、少しずつ社交界の中心へ歩みを進める。
「公爵家の素敵な婚約者」――
いつしか、そんなふうに呼ばれるようになり、社交界の空気を柔らかく整えるような存在になっていた。
*****
そうしてさらに一ヶ月が過ぎた頃、念願の知らせが届いた。
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✉️アリシアへ
ようやく首都に帰る目処がついた。
来週末には戻れると思う。
その日、ちょうどオペラ・ド・ラ・ミューズで創立記念日公演がある。
演目はなんと『魔笛』だ。
改めて、観に行こうと思う。
どうだろうか
テオドール
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