嵐が来た
オペラ座の夜から二日後ーー
王国は、西側を中心に季節外れの大嵐に見舞われた。
西の空を覆う鉛色の雲が、冷たい風を巻き込み、王国と周囲の国々を一気にのみこんでいく。
西部の村々では、洪水や土砂崩れで道路や橋が壊れ、生活に必要な食糧や衣服等を運ぶ手立てすら途絶えた。
各地で家屋の倒壊や浸水が起こり、人々は教会に避難して寒さをしのいでいる。
それ以外の地域でも、川の氾濫による畑や家屋の浸水、船の沈没や損傷などが相次ぎ、その被害は甚大だった。
*****
嵐がようやく勢いを弱めたころ、アリシア達はは折れた枝や瓦礫が散乱する玄関先に立っていた。
昼だと言うのに薄暗く、弱くはなったものの荒々しさを残す風が衣類をなびかせていた。
「お父様、お気をつけて。領地の皆様は大丈夫でしょうか?」
アリシアは不安を隠しきれずに問いかけた。
アリシアの手を握る母の手に力がこもる。
父は手袋をはめながら、落ち着いた様子で娘を見つめた。
「大きな被害はなかったはずだ。屋敷の周辺で木が何本か倒れた程度で、村々にも大きな混乱もない。おまえの兄が、よくやってくれている」
「では、何故お戻りになるのですか?」
「確認を兼ねてな。あの子ひとりに任せきりにするのも酷というものだ。何より、領民の顔を見ておきたい」
「…」
「そう不安がるな」
父の表情がにわかに曇る。
「公爵領は…かなり大きな被害が出ているらしい。浸水に倒木、家屋の倒壊も多いと聞いた。テオドール君も、今朝早くに領地へ向かったそうだ」
「…そうですか…」
「心配はいらん。彼なら上手くやるはずだ。すぐに立て直して帰ってくる」
「…はい」
「アリシア、君はここで自分にできることをするんだ。母さんを頼むよ」
父は二人を優しく抱き寄せると、その手を離し、馬車へと乗り込んだ。
蹄の音が、湿った地面を叩く。
ゆっくりと進み出した馬車の後ろ姿を、アリシアは母と並んで見送った。
去りゆく車輪のきしみが、耳の奥に響いた。
「……テオドール」
呼び慣れない、敬称のない彼の名をつぶやいた。
それは風に攫われ、誰にも届かぬまま消えていく。
(会いたいな…)
皆が奔走している時に、不謹慎だと思いながらも、テオドールへの想いを止めることができなかった。




