オペラ座の夜①
支度を終えたアリシアは、恐る恐る鏡の前に立った。
息をするのを忘れるくらい、鏡を見入る。
鏡に映った少女は、あどけなさや野暮ったさが消え、洗練された気品をまとう女性になっていた。
濃紺のドレスは肌の白さを引き立て、髪に添えられた銀の星々が、落ち着いたアップスタイルに若々しい輝きを添えている。
それが自分だと気づくまでに、少し時間がかかった。
(装い一つで、こんなにも人の印象は変わるのね…)
「お嬢様…お美しいです」
ミーナが呆けたように呟く。
「ありがとう」
化粧が崩れないようにと、ささやかな笑顔で応える。
アリシアは細く長く息を吸いながら、瞼を閉じた。
オペラ鑑賞を想定した予行練習を思い出す。
所作、表情、歩き方。知人への挨拶、エスコートの受け方、ボックス席でのふるまい——
(大丈夫。うまくやれる)
ゆっくりと瞼をあけ、溜めていた息を吐いた。柔らかく背筋を伸ばし、表情を整える。
「行きましょう」
彼女はテオドールが待つ玄関へと歩みを進めた。
*****
アリシアは手すりに軽く指を添えながら、ひと段ひと段、つま先からゆっくりと足をつけて階段を降りる。
広い玄関ホールに視線を移すと、そこにテオドールの姿があった。
濃紺の礼装に身を包んだ彼は、右足のつま先を軽く弾ませるようにリズム良く床を打っていた。
彼女の気配に気づいて顔を上げる。
その瞳がアリシアを捉えると、満足げな微笑が浮かんだ。
ホールに降りたアリシアは、胸元に手を添えて浅く一礼する。
「こんばんは。テオドール様」
テオドールはゆったりとした歩みで近寄ると、何も言わずにアリシアの手をとり、手の甲にそっと唇を寄せた。
「……綺麗だ」
テオドールの艶やかな眼差しに、アリシアの身体中の血液が一気に沸き立ち、熱に包まれていった。
彼の整った額や、すっと通った鼻筋、淡い灰青の瞳、その全てが、彼女に苦しくも甘美な、激しい熱と胸の痛みを引き起こす。
彼女は必死に心を鎮め、震える声を抑え込む。
「ありがとうございます」
精一杯平静を装い、その言葉を紡いだ。
けれど、内側で渦巻く高鳴りは、まだ治まる気配を見せなかった。
(この人の側に居たい…)
瞼の裏に、鏡に映っていた自分の姿を思い浮かべる。何もかもが洗練されていたはずだ。
さっきまで恐ろしくて仕方なかったドレスも、煌びやかな装飾品も、今は自分を支えてくれる同志のように思える。
(大丈夫。私は彼の婚約者なんだから)
背筋を伸ばし、柔らかな微笑を浮かべ、彼の隣に相応しいレディとして思い描いた通りの所作で馬車に乗り込んだ。
彼女の小さな決意を乗せて、馬車は静かに夜の空気に溶けていった。




