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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

或る悪役令嬢の生涯

天下一悪役令嬢武闘大会

作者: 曲尾 仁庵

 乾いた風が吹き、砂埃を巻き上げている。歴史を感じさせる石造りの闘技場は異様なまでの熱気に包まれていた。アリーナの中央にはフード付きの外套を身に着けた闘士が向かい合っている。観客たちは手に賭け札を持ち、自らが賭けた側に声援を、その相手には罵声を送る。闘いを最も間近で見ることのできる貴賓席には主催者である王太子が冷厳な瞳で二人を見据えていた。


――天下一悪役令嬢武闘大会、決勝。


 四年に一度開催される祭りの熱狂が、王都を震わせている。




 戦乱渦巻く大陸に一人の若者が武威を以て平和と安定をもたらしたのは、今から三百年前に遡る。『偉大なる』ファーガスと讃えられたその若者の影には、彼を助け、時に剣となり盾となった乙女たちがいた。彼女たちはファーガスの建国を支え、それ以後も命を賭して王家に尽くし、散っていったという。彼女たちの役割は子々孫々に引き継がれ、泰平の世となって久しい今でも、王都の闇に潜み、王家を害する者たちを音もなく排除し続けている。

 人々は彼女らを、恐怖と嫌悪を込めてこう呼ぶ。


 悪役令嬢、と。




 王太子が右手をゆっくりと上げる。その手が振り下ろされたとき、戦いが始まるのだ。合図の銅鑼が鳴り響き、つい先ほどまで隣の人間の声さえ聞き取れないほどに騒がしかった闘技場に緊迫した沈黙が降る。闘士の二人が示し合わせたように外套を脱ぎ去った。姿を現したのはうら若き乙女。まだ二十歳にもならぬであろう彼女らは、おおよそ荒事とは無縁な華奢な身体に不似合いな闘衣をまとって対峙していた。一人は太陽を思わせる金の髪を無造作に束ねた娘。もう一人は月光に似たアッシュブロンドを肩口で切りそろえた娘。月の娘は太陽の娘よりもやや小柄だった。

 金の髪の娘の名はリステル伯爵令嬢ブリギット。白銀の髪の娘はレンドル男爵令嬢モリガン。しかしその爵位に意味はなく、当人の名ですら識別記号以上の意味を持たない。面差しのよく似たその姿は姉妹と見紛うほどだが、モリガンがブリギットを見据える瞳には激しい憎悪があった。ブリギットはその憎悪を冷淡に見つめ返している。

 王太子が鋭く右手を振り下ろす。同時に始まりを告げる銅鑼が打ち据えられた。誰かの唾を飲む音が聞こえる。




 悪役令嬢として生まれた者に自由はない。彼女たちは生まれてすぐに王家と『婚約』を交わし、生まれながらに闇の中で生きることを強いられ、戦いの技を覚えることを強いられ、王家に尽くすことを強いられ、戦いに死ぬことを強いられる。道具として、兵器としての生、それ以外が彼女たちに認められることはない。




『我が右手は全てを切り裂き』


 二人の娘の声が闘技場全体に渡る。観客たちの緊張と期待がいやがうえにも高まる。それは悪役令嬢たちに伝わる闘いの儀式――自らに暗示をかけ、限界を超える力を引き出すための祝詞だ。


『我が左手は全てを貫く』


 二人の娘の瞳が、徐々に狂気を帯び始める。華奢なはずの腕の筋肉がメキメキと音を立てて盛り上がっていく。


『地を駆ける何者も我に追いつくこと能わず』


 二人は等距離を保ったまま、円を描くようにゆっくりと移動を始める。腕と同様、足の筋肉が膨張を始めた。


『鋭き刃も我を傷付けること能わじ』


 瞳に宿る狂気が強さを増し、赤く染まる。その顔には刺青のような青い痣が浮かび上がった。『闘傷(スカーフェイス)』と呼ばれるその痣は悪役令嬢が真の力を開放した証であり、悪役令嬢が世に忌み嫌われる由縁でもある。醜いその痣はしばしば悪魔の形相にたとえられ、悪役令嬢への謂れなき悪評を生み出し続けている。二人は大きく息を吸い、儀式の完成を叫ぶ。


『崇めよ! ひれ伏せ! 我、悪役令嬢なり!!』


 儀式の終わりと同時に二匹の獣が地を蹴り、拳が交錯する! 怒号のような歓声が再び闘技場を覆った。




 モリガンの繰り出した右の拳を左手で打ち払い、ブリギットは抉りこむように右わき腹を狙う。モリガンは左肘でその拳を防いだ。ブリギットは左拳でモリガンの右頬を窺う。身を引いて左フックをかわし、モリガンは前蹴りを放つ。ブリジットは膝でそれを受け――勢いを止めきれずに後方に吹き飛ばされた。むき出しの地面を靴が削り、互いの牙が届かぬ距離で二人は向かい合う。


「不可解、という顔ね」


 モリガンがどこか楽しそうに言った。ブリギットはわずかに不快そうな色を滲ませる。


「私の技に、見覚えがあるのではなくて?」


 モリガンの顔には隠し切れない優越感がある。お前が知らないことを私は知っている――その確信が満ちている。確かに、先ほどの短い攻防の中で、ブリギットは小さな違和感を覚えていた。あたかも同門と組み手をしているかのような、よどみない技の応酬。まるでこちらの手の内を知り尽くしているかのような。

 悪役令嬢に受け継がれる戦いの技は一子相伝。各家はその技を門外不出とし、他家がその詳細を知ることはない。ブリギットが使うのはリステル流闘術と呼ばれる無手の技だが、他家では剣術、槍術、弓術など、それぞれに独自の道を定めて技を極めている。そもそも素手による格闘術を選択している家は少なく、その上で戦い方まで似通っているということは考えづらい事態だった。王家は悪役令嬢同士の交流を禁じ、各家が独自に技を磨くよう命じている。似通った流派が偶然に存在したとしても、王家がそれを放置し続けることはないだろう。多様な悪役令嬢を抱えることこそが王家の繁栄を支えるのだと、彼らは考えているのだから。

 ブリギットは足を肩幅に開き、大きく腕を後ろに引いた。それは『問答をするつもりはない』という彼女の意思表示だ。モリガンが気分を害した顔で身構える。ブリギットの瞳が獣の光を湛え、咆哮と共に両手を前に鋭く突き出す!


――リステル流闘術、射法の一『(ツブテ)』。


 驚異的な速度で繰り出された両腕は大気を圧縮し、つぶてと化して敵を討つ。殺傷範囲が両手両足の範囲に限定される格闘術の弱点を克服するために編み出された、リステル流闘術の秘技の一つである。しかし――


「イィアァァァーーーーーッ!!」


 耳をつんざくような叫びを上げ、モリガンが中空に向かって右足を振り抜く。その凄まじい速さは真空派を生み出し、ブリジットが放った大気の礫を切り裂いてブリギットの頬に浅い傷を作った。ブリギットの目が驚きに見開かれる。これは、紛うことなきリステルの技――


「リステル流闘術、射法の三『(タチ)』――!」


 モリガンの目が愉悦に歪んだ。




「なぜ、その技をお前が?」


 厳しい表情でブリギットはモリガンをにらむ。モリガンはクスクスと嗤った。


「使えるわ。だって私は、リステル流闘術の継承者だもの」


 ブリギットの表情が厳しさを増す。下らぬ嘘を、とその瞳が告げていた。モリガンは侮りを以てブリギットを見据える。


「何も知らないのね。己の罪も、リステルの闇も」


 モリガンの目が憎しみに染まり、その口が罪を断ずる。


「私は貴女の妹よ、お姉様」




 今から十七年前、リステル家に双子の赤子が生まれた。しかし悪役令嬢の技は一子相伝。継承に際して争いとならぬよう、双子はその片割れを生まれてすぐに葬るのが家の掟であった。当主はその掟に従い、双子の妹を川に沈めた。その、はずだった。


「お父様は、私を殺したふりをして皆を騙し、密かに逃がしたの。レンドル家は遡ればリステル家の分家筋に当たるらしいわ」


 モリガンは興味の無さそうに鼻を鳴らした。ブリギットは不可解そうに眉を寄せる。


「なぜそのようなことを?」


 モリガンはブリギットの疑問に吐き捨てるように答えた。


「リステルの闇を私に継がせるためよ!」


――グワァーン


 銅鑼の音が響き、二人はハッと主催者を振り向いた。問答を始めた二人にしびれを切らした王太子が戦いの再開を促したのだろう。ここは戦いの場であり、言葉を交わす場所ではないのだ。再び向き合い、モリガンは憎悪と共に叫んだ。


「何も知らず正統を生きてきたお前に教えてやる。リステルの闇を、闇に打ち捨てられた怒りを!」


 走って距離を詰め、モリガンは無造作に中段蹴りを放つ。しかしリステルの技を知る者であれば瞬時に気付くはずだ。その一見不用意な蹴りが持つ危険性に。


 リステル流闘術、蹴法の五『蛇咬(ジャコウ)』。その蹴りは蛇のごとく自在に軌道を変え、敵に牙を突き立てる。ブリギットはモリガンの筋肉の動きを見、その軋みを聞いて蹴りの軌道を予測した。自在に軌道を変える、とはいえ、人体の可動範囲は自ずと限られる。中段から軌道を変えるなら頭を狙うか足を狙うか――それは足へとつながる筋肉の動きが教えてくれる。


(――上!)


 モリガンの足が跳ね上がり、ブリギットの側頭部へと襲い掛かる! しかしブリギットはその軌道を読み切り、上半身を後ろに引いてかわした。鼻先を蹴りが掠める。『蛇咬』は避けられてしまえば敵に無防備な半身を晒す大技。ブリギットにとってモリガンはわざわざ必殺の一撃を叩き込む隙を献上してくれたようなもの――


――ゴッ!


 不意に走った右側頭部の痛みにブリギットの視界は一瞬真白に染まった。何が起きたのか理解できず、混乱を抱えたまま距離を取る。右瞼の上が切れて派手な出血を起こした。流血の事態に観客が沸く。王太子が満足そうにうなずいた。


「リステル流闘術・冥技、蹴法の五『龍尾(リョウビ)』」


 モリガンの瞳が隠し切れぬ優越を湛えてブリギットを見る。ブリギットは厳しい表情でモリガンを見据えた。『龍尾』などという技はリステル流闘術には存在しない。リステルの正統な後継者であるブリギットが知らない技などあり得ない、しかし現に自らの血が顔の半分を染めている。


「『蛇咬』がハイリスクな技だということは理解しているわよね? 外してしまえば隙だらけ、だから必中が『蛇咬』の基本。必中を確信できない場面では使ってはならない」


 覚えの悪い生徒を諭すようにモリガンは侮りの声を放つ。


「我が冥技は正統が抱える弱点を克服する。『蛇咬』で振り抜くはずの足を返して虚をつく、いわば『龍尾』は『蛇咬』の上位互換」


 モリガンの言葉でブリギットは自らに起こった現象を理解した。モリガンは中段蹴りから上段蹴りに変え、それが避けられたと知るや強引に足を返して踵でブリギットの額を痛打したのだ。もっとも、そんなことは言葉にするほど容易くはない。おおよそ人体の限界を無視した荒業と思えた。


「リステルは自らの技を磨くために数多くの実験を繰り返した。薬物による身体強化を行い、人にあり得ぬ動きを可能にした。そうやって生み出されたのがリステル流闘術・冥技――」


 モリガンの瞳が憎しみ、怒り、そして侮蔑と愉悦の複雑に混ざり合った色に変わる。顔の闘傷が濃さを増した。


「――いいえ、もはや我らは本家の影に隠れ生きる必要はない。我が拳はお前の全てを凌駕する。リステルの名など不要! 今、この時より、我が流派はレンドル流闘術、この私こそが正統よ!」


 モリガンの声には抑圧され、虐げられてきた者の叫びがある。ブリギットは無表情に右目の視界を遮る血を手の甲で拭った。モリガンがギリリと奥歯を噛み、ブリギットをにらむ。

 ブリギットは深く呼吸を繰り返す。体内に巡るアドレナリンが額の出血を止めた。気を練り、鋭くモリガンを見据える。ブリギットは練り上げた気を右手に集め、地面を蹴った。一気に距離を詰め、強く左足を踏み込んで拳を繰り出す。何の飾り気もない正拳は纏う空気を歪ませるほどの熱を帯びていた。


 リステル流闘術、打法の六『(ショウ)』。練り上げられた気を焦熱と化して拳に乗せた一打は鉄板ですら容易く貫く。触れればただではすまぬその一撃に、しかしモリガンは拳を合わせた!


――ゴゥ!


 赤熱したモリガンの拳はブリギットの拳の威力を完全に抑え込み、弾き飛ばす。ブリギットはわずかに顔をしかめて後方に下がった。打たれた右の拳が焼け爛れている。左手で右の袖を裂き、ブリギットは右の拳に巻き付けた。モリガンが得意げに嗤う。


「レンドル流闘術、打法の六『(シャク)』。『焦』をねじ伏せる灼熱はリステルには実現不可能でしょう?」

「ずいぶんおしゃべりが好きなのね」


 ブリギットは冷淡にモリガンを見据えた。モリガンの顔が紅潮し怒りに歪む。


「自分の立場を分かっていないようね。リステルの技は私には通じない。お前は私には勝てないのよ! ひれ伏せ! 泣いて許しを乞え! 正統の座に安住して研鑽を怠った己の愚かさを後悔するがいい!」


 何も分かっていないのね、とブリギットはつぶやくように言った。


「私は泣くことも、許しを乞うこともない。何かを後悔することも。地に伏す時は死ぬときよ。悪役令嬢とはそういうもの。そうあることができないなら、悪役令嬢を名乗るべきではない」


 ブリギットは半身に構え、鋭い視線でモリガンを射抜いた。


「冥技とやらがどれほどのものか知らぬが、所詮は傍流の足掻きに過ぎぬ。来なさい。正統の重みを教えて差し上げましょう」


 モリガンの顔が蒼白になり恥辱に震える。怒りと憎しみに引きつった笑みを浮かべ、モリガンは強く拳を握った。


「その軽い舌の報いを、受けさせてくれるぞ! リステル伯爵令嬢ブリギット!!」


 激情と共にモリガンがブリギットに襲い掛かる。迎え撃つブリギットの左手の爪が鋭くとがった。モリガンの両手の爪もまた刃のごとく鈍い光を放つ。


「リステル流闘術、裂法の一『虎爪(コソウ)』」

「レンドル流闘術、裂法の八『獅子噛(シシガミ)』!」


 振るわれたブリギットの左腕をモリガンの両の腕が咢のごとく上下から狙う。辛うじて腕をひねり獅子噛を避けたブリジットの二の腕が深く裂かれた。牽制に放った右拳は容易くかわされ、モリガンの掌打がブリギットの胸を打つ。よろけるように後退したブリギットをモリガンが追撃する。


「レンドル流闘術、蹴法の七『鷹嘴(ヨウシ)』!」


 モリガンのつま先が嘴のごとき鋭さでブリギットに迫る。地面を蹴って後方に下がりながら右拳を突き出し、ブリギットは強く親指を弾く。


「くだらない!」


 モリガンの一喝がブリギットの放った気弾をかき消した。距離を取ったブリギットの血塗れの左腕がだらりと下がる。


「正統の重みを教えてくれるのではなかったの? それともその重みとやらはその程度、ということかしら?」


 勝ち誇るモリガンの未熟を笑うようにブリギットはわずかに口の端を上げた。モリガンの顔が険しさにゆがむ。


「何がおかしい!」

「正統の重みというのはね」


 どこか虚ろに、かすかな自嘲と共にブリギットは言った。


「技の巧拙でも身体の強さでもない。勝つという意志、負けぬという約束。私は貴女に勝つけれど、それは私が貴女より優れているからではないわ。正統を背負う者は負けてはならない。ゆえに勝つの。それだけのこと。それだけの違い」

「負けてはならないから勝つ、ですって? 世迷言を! そんな理由で勝てるならこの世に敗者などおらぬわ!」


 ブリギットが深く息をする。左腕の傷が泡立ち、出血が止まった。何の感情も宿さぬ目をしてブリギットは言った。


「終わりにしましょう。もう、貴女を見た」


 静かな重圧を振り払うようにモリガンは大声を上げる。


「ええ、そうね! くだらない問答にも飽きたところよ!」


 野の狼のごとく鼻にシワを寄せ、モリガンがブリギットをにらみつける。二人はゆっくりと間合いを詰め、そして同時に地面を蹴った!

 ブリギットは何の企てもなくまっすぐに右の拳を突き出す。ただの、本当にただの正拳。モリガンの顔が勝利の確信に沸く。


(今度こそその拳を壊し、戦いの術を奪って、たっぷりと絶望させた上で潰す!)


 モリガンの拳に気が集まり、黒鋼のごとく染まる。両者の拳が激突し、その余波は大気を割り天を裂いた。何かが砕ける音が響く。


「アァァァーーーッ!!」


 拳を弾かれたモリガンが絶叫を上げる。砕かれたのはモリガンの拳のほうだった。


「リステル流闘術、打法の(つい)崩天(ホウテン)』」


 そうつぶやき、ブリギットはさらに踏み込んで左手を鋭く突き出した。怯えに引きつった顔でモリガンが悲鳴を上げる。刃のごとく研ぎ澄まされた手刀がモリガンの左肩を抉った。


「リステル流闘術、裂法の(つい)穿海(センカイ)』」

「し、知らない! そんな技、私は知らない!!」


 半狂乱で叫ぶモリガンをさらにブリギットの右足が追い詰める。


「リステル流闘術、蹴法の(つい)砕理(サイリ)』」


 胴を薙ぐ閃光のごとき中段蹴りはモリガンの身体を大きく吹き飛ばした。モリガンの口から血の塊が噴き出す。ブリギットが両手を突き出して重ねる。大気を歪ませ、破滅の気配と共に闘気が迸る!


「リステル流闘術、射法の(つい)滅界(メッカイ)』」


 闘気はモリガンを中心に大爆発を起こし、もうもうと砂煙が上がる。闘技場が張り詰めた緊張感に包まれ、静寂が支配する。ブリギットはゆっくりと爆発の中心に歩み寄った。砂煙が晴れ、ボロボロの姿で横たわるモリガンの姿が光の下にさらされる。


「どうして……」


 悔しさに歯噛みし、モリガンはブリギットをにらむ。モリガンの傍らに立ち、ブリギットは彼女を見下ろした。


「どうして、私の知らない技がある!」


 理不尽をなじるモリガンの声が闘技場を渡る。わずかな憐憫を宿してブリギットは言った。


「分家に全ての技を伝えるはずもない。終の技は我らの秘奥。それを知るのはリステルの正統後継者のみよ」


 モリガンの目から涙がこぼれ、地面に跡を付ける。


「お前たちはいつも、私たちを利用して、使い捨てて、お前たちは!!」


 ブリジットは静かに首を横に振った。


「リステルの名に、貴女は縛られるべきではなかった。たとえ始まりがリステルであっても、貴女は誇りを持ってレンドルの技を磨いていくべきだったのよ。リステルの名に縛られていたのはあなた自身なのだわ」

「勝手なことを――!!」


 ポロポロと涙をこぼし、モリガンはブリギットをにらみ上げる。闘いの終わりを宣言するようにブリギットは大きく声を上げた。


「貴女を打ち倒した技の名は、リステル流闘術奥義『四界絶唱』。四技の終による連撃は天を崩し、海を穿ち、理を砕き、世界を滅ぼす。私にこの技を使わせたことを生涯の栄誉と心に刻み、地獄の悪魔に誇るがいい! 貴女は最強の敗者であった!」


 雷鳴のような歓声が闘技場を超えて王都に轟く。歓声に応えるようにブリギットは拳を掲げた。モリガンが固く目をつむり、残酷な結末を期待する声が渦巻く。ブリギットはモリガンを見据え、終わりを与えるためにその拳を振り下ろした――




「それまで!」


 振り下ろされたブリギットの拳がモリガンの眼前で止まる。モリガンが目を見開き、その顔が恥辱に震えた。敗者に自らの運命を決める権利はない。負けながら生きながらえることも、そう定められてしまえば従うしかないのだ。そして強い力を持った悪役令嬢を簡単に死なせてくれるほど王国は優しくはない。

 ブリギットは貴賓席に向き直る。王太子は満足げにうなずき、自ら口を開いた。


「見事な戦いであった。勝者にはいかなる望みも叶えるが古来よりの習わし。お前の望みを言うがいい」


 ブリギットはまっすぐに王太子を見る。王太子はひどく冷淡な瞳でブリギットを見返した。ブリギットは大きく息を吸い、その場の誰にも聞こえるようにはっきりと言った。


「婚約破棄を」


――婚約破棄。悪役令嬢の運命を負う彼女らにとって、それは王家との関係を清算し自由を手に入れる唯一の手段。呪われた運命を打破し望む未来を夢見るためのたった一つの道であった。

 王太子は椅子から立ち上がり、天に証を立てるかの如く空を見据え、声を上げた。


「ファーガス王国王太子の名において、リステル伯爵令嬢ブリギットよ! 貴女との婚約を破棄する!」


 観客席から雷鳴のような拍手が巻き起こる。王国の繁栄と王家の慈悲を讃える声があちこちから響き渡る。ブリギットは天を見上げ、右手を高く掲げて、何かを掴むように拳を握った。




 冷たい風が吹き渡る荒野に、フードを目深に被った一人の女が立っている。彼女の周りには、同年代と思しき娘たちが彼女を十重二十重に囲んでいた。風が強く吹き、彼女のフードを強引に引きはがす。長い金の髪が風に揺れる。


「愚かね」


 彼女を囲む娘たちの先頭にいる銀髪の娘が言った。金の髪の娘――ブリギットは再びまみえた妹を見つめる。


「婚約破棄とは王家の庇護を失うことを意味する。一騎当千の悪役令嬢を野に放って、王家がそのまま貴女を放っておいてくれると思っていたの? 戦いの果て、ようやく手に入れた自由は儚い束の間の幻。そんなものにどんな意味があるというの?」


 ブリギットは微笑み、首を横に振った。


「自由である、ということに意味がある。たとえわずかな時間であったとしても、私は私の時間を生きた。それが最も重要なことなのよ」



 理解できぬ、というようにモリガンは顔をゆがめた。


「これだけの悪役令嬢に囲まれて、まさか生き残れると思ってはいないでしょう?」 

「さあ? どうでしょうね? やってみないとわからないのではなくて?」


 ブリギットが戦いの構えを取る。闘いの気配が膨れ上がり、周囲の悪役令嬢たちが知らず一歩下がった。気圧されたことを覆い隠すようにモリガンが声を上げる。


「儚い自由の代償を払い、ここで散れ! リステル伯爵令嬢ブリギット!」


 悪役令嬢たちが一斉に己が武器を構える。四方から迫りくる死に、ブリギットは凄絶な笑みを浮かべた。


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[一言] えっこれはむしろアクションでは……? 自由を求めての闘いとは切ないですが、悪役令嬢たちのガチバトルは気になります! 最後の勝者は誰なのか……!
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